市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
個々の患者の体験談を患者や市民に生かす

『患者さんたちが語る「余命」告知 ~「生きる」ことを支える医療を(1)』


認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパン
事務局長 佐藤(佐久間) りか
十年以上に亘る「市民のためのがん治療の会」の活動でも明らかになってきたことの一つに、 患者や家族は、同じような病状を経験した患者の体験を知りたいという思いが強いということである。 当会の「がんは放射線でここまで治る」の第一集、第二集で企画した、患者と主治医が一つのユニットを形成して、 患者は病状やそれに伴う体験談を示し、主治医が医学的に治療経過を示すという方式も、 このような流れ一つと言えるかもしれない。
ディペックス・ジャパンは、このような活動をさらに深化させ、個々の患者の体験をデータベース化し、 患者や家族、一般市民はもとより、医療系学生の教育や、 患者主体の医療の実現に資するような研究に活用していく活動をしておられる。
今回はその活動について、ディペックス・ジャパン佐藤(佐久間)りか事務局長にご寄稿いただいた。
今週、来週の2週にわたっての連載です。
(會田 昭一郎)
私たちディペックス・ジャパンは、英国Oxford大学で誕生したDatabase of Individual Patient Experiences (DIPEx=個々の患者の体験のデータベース)をモデルに、がんや認知症などの病いを体験された方にインタビューをして、 その映像や音声を見やすいようにテーマごとに2~3分の短いクリップに分割・分類して、ウェブ上で公開する活動をしています。 「健康と病いの語りデータベース」と名付けられたこのウェブサイト ( http://www.dipex-j.org )には、現在、 乳がんと前立腺がんの体験者それぞれ49名の語りが紹介されているほか、 19名の大腸がん体験者と16名の診断を受けていない一般市民の大腸がん検診をめぐる語りも紹介されています。

私たちの活動の第一の目的は、このウェブサイトを通じて患者さんやご家族に病気と向き合うための情報と、知恵と勇気、 心の支えを提供することにあります。第二に友人や職場の人など周囲の人々に「病いを患う」 ということがどういうことなのかを知ってもらうということもあります。こうしたウェブサイトを通じて行う情報提供に加えて、 インタビューで得られた語りのデータを医療系学生の教育や、患者主体の医療の実現に資するような研究に活用していくことも、 私たちの大きな目的の一つとなっています。

そうした研究の一つとして、乳がんと前立腺がんの体験者の方の語りの中から、いわゆる「生命予後」 に関する情報をどのようにして得たかについて話しておられるところを抽出して分析したものがあります (Sato RS, Beppu H, Iba N, Sawada A. The meaning of life prognosis disclosure for Japanese cancer patients: a qualitative study of patients' narratives. Chronic Illness. 2012 Sep; 8(3): 225-236)。 ここではそれをご紹介したいと思います。

「生命予後」について知る
そもそもこの「予後」という言葉がわかりにくい、というのはよく言われることですが、『病院の言葉を分かりやすく』 (国立国語研究所「病院の言葉」委員会編)という本によると「今後の病状についての医学的な見通し」ということです。 そこには病気の進行の具合、治療の効果、生存できる確率などの情報が含まれますが、「生命予後」 という場合は主に生命が維持できるかどうかについての予測を指します。

がんの診断を受けたら、多くの人はまずそれが命に関わるものかどうかということを気にかけるでしょう。 それが生命予後に関する情報ということになりますが、これは一般的には「余命」という言葉で言い表されています。 「余命○ヶ月」といった表現がよく使われますが、これは正確には「生存期間中央値」といって、 100人の患者さんがいらっしゃるときに、早く亡くなる方も長く生きられる方もいる中で、 50人目に亡くなった方の生存期間がどれだけだったかを示す数値です。このほかによく使われる表現としては「○年生存率」 といったものもあります。たとえば、ステージII の乳がん患者さんが5年後に生存している割合が90パーセント以上、 といった表現です。

こうした生命予後情報を、医療者はどのように患者さんに伝え、患者さんはどのように受け止めているのでしょうか。 そのことを調べたのが上述した私たちの研究です。私たちがインタビューした患者さんたちの中に、「生命予後」とか 「生存期間中央値」という言葉を使った人はいません(唯一「生存期間」といったのはがんを経験した医師でした)。 「生存率」という言葉を使った人は何人かいましたが、多くの人は「余命」という言葉を使っていました。 こうした言葉の違いにも医療者と患者の間の微妙なニュアンスのずれが見え隠れしているようです。

「余命=残された命のタイムリミット」という誤解
たとえば肝転移が見つかった乳がん女性はインターネットで肝転移した人の生命予後について書かれているのを見たときのことを 次のように話しています。「何か、あの、平均生存率が13 ヶ月だったかな、とかってなんか書いてあった統計学があって。 それを見たときに、すごい、まあ、見たときはパニックをおこしたんですけど。今は、私は、 何かもうその13ヶ月を過ぎているので、もういい意味で統計を裏切っているんですよね」(34歳・乳がん)

おそらく13ヶ月というのは生存期間中央値だったのではないかと思われますが、その数字を見てパニックを起こされたのは、 おそらくそれが自分の生きられるタイムリミットだと感じたからであり、だからこそ13ヶ月を過ぎて生きていることを 「いい意味で統計を裏切っている」と語っておられるのだと思います。しかし、「中央値」 というのはあくまでも100人のうちの50人目の人の生存期間に過ぎず、この人に残された時間を示しているわけではありません。 この方の場合は医師から直接この数字を言われたのではなく、自分でネット情報を見てこのように思い違いをされたわけですが、 「余命」(=残りの命)という言葉が浸透してしまっている現状では、 医師から生存期間についての告知を受けても同じように感じる人は少なくないでしょう。

これに比べると、「5年生存率〇%」という言い方のほうが、こうした数字があくまでも統計的なものに過ぎないことが わかりやすいのかもしれません。2年近くの間不調を訴えて様々な医療機関を渡り歩いた末に 前立腺がんが見つかったという男性は、病名を聞いて自分から医師にあとどのくらいの命か聞いたそうです。すると 「まあ2年以内で生きていられる確率は50%以下ですよ、それから、えっと、まあ5年は、5年の聞はまあ10%以下ですね、 って言われたんですね」 60歳・前立腺がん)。 心理学を学んでいたというこの人は、医師の言葉に大きなショックを受けつつも、冷静になろうと努め、 これは統計データなのだから、自分がその10%に入ればいいのだと気持ちを切り替えたと言います。

<次週に続く>

略歴
佐藤(佐久間) りか

1982年東京大学文学部心理学科卒業後、パルコ「月刊アクロス」編集部勤務。
1991年ニューヨーク大学大学院アメリカ文化科修士号取得後、2002年東京学芸大学非常勤講師(講座「性と人権」)、 2008年プリンストン大学大学院社会学科修士号取得。
2004年お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員を経て、2007年ディペックス・ジャパン事務局長、現職。
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