市民のためのがん治療の会
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『腫瘍マーカーはがん治療の役に立ちます』


東京大学客員教授・日本分子腫瘍マーカー研究会代表幹事
今井浩三
「腫瘍マーカー」とは、「がんの発見や治療経過に関連する、がん細胞が産生する体液中に存在する物質」とされ、主に血液や尿に含まれる蛋白や糖鎖を指します。 1990年代の遺伝子に関連する研究の著しい進歩に伴い、研究会は腫瘍に関連する遺伝子・ゲノムを含む多様な研究を網羅しながら「患者さんの診療に役に立つ分子の発見」を目指し歩みを継続しています。 ここでは、その歩みを振り返りながら、腫瘍マーカーとはどのようなものかを紹介してみたいと思います。

1.代表的な腫瘍マーカーの時代

まず、代表的な腫瘍マーカーを4つ(AFP, CEA, PSA, SCC)紹介します。 AFPは肝がんの代表的マーカーですが、その後、AFPという分子の特に糖鎖に注目したL3分画(AFP-L3)も測定できるようになり、 共にCT、エコーなどの画像診断と組み合わせて日常診療に使用されています。 CEAに関しては、大腸がん、肺がん、膵がんなどの顕微鏡上「腺がん」といわれるがんの血中に検出され、治療経過を追跡するなどに使用されています。 PSAは前立腺がんのスクリーニングに使用され有名ですが、臨床的な観点からは専門家の意見が分かれていることに留意が必要です。 すなわち、仮に前立腺の生検等でその存在が確認されても、治療に踏み切るか様子を見るかは意見が分かれるのです。専門の医師と十分討論して決定すべきと思います。 SCCは子宮頸がんのマーカーとして、さらには扁平上皮癌(肺がん、食道がんなど)のマーカーとして使用されています。 特に治療経過を見るのに重要とされます。しかし、これらのマーカーを駆使しても、がんの早期診断は困難であるのが課題です。

2.コンパニオンマーカーの時代

モノクローナル抗体という新技術(セザール・ミルスタイン博士、1984年ノーベル医学生理学賞)は、現代のがん治療を席巻するまでになっていますが、 大量生産などが困難であったので、「抗体医薬」として登場するには10数年の歳月がかかり、患者さんに使用されたのは20世紀終わり近くです。

私事になり恐縮ですが、英国のケンブリッジ大で研究をされていたミルスタイン教授のもとに留学した自分でも、 この抗体が画期的なことはわかっていましたが、ここまで大きく治療を変えることになるとは、浅学にして思っておりませんでした。

しかし、その効果は目を見張るものであり、 マーカーErbB2(Her2)に対する抗体医薬「トラスツズマブ」、マーカーCD20に対する「リツキシマブ」は、著しい効果を示し、たくさんの方々の命を救っております。 この抗体医薬を適正に使用するために、このマーカーががん細胞に発現されているかどうかを治療前に検出しようとする動きが、乳がんなどいくつかのがんで始まりました。 「コンパニオンマーカー」といわれるものです。このころから分子標的薬という概念、あるいは個別化医療という考えが、治療の主流になってきました。 私の前の代表幹事をされていた大倉久直先生らは、本研究会の世話人会に、この乳がんマーカーのがん組織における臨床使用の重要性を示し、 厚労省がこれを認め保険収載された経緯があります。研究会の重要な役割を示した好例です。

これを契機として、例えば、肺がんにおけるゲフィチニブという分子標的薬が、マーカーEGFRに遺伝子変異のある肺腺がんに高い奏効率を示すことが報告され、 この変異がまさにコンパニオンマーカーであることが判明しました。 この変異は、日本人肺腺がん症例の約50%に認められ、ゲフィチニブは、高い奏効率を示すため、効果予測因子と考えられます。 他にも大腸がんにおけるRasの変異、肺がんなどに見いだされたALK融合遺伝子、ROS1融合遺伝子などが新たに日本人研究者(ALK, ROS1)により見いだされております。 その研究を契機として新たに効果のある薬剤(クリゾチニブ)が開発されました。 このようにコンパニオンマーカーはゲノム情報との関連が詳細に研究され、臨床に活用されています。 さらに、エピジェネティックス研究も開始され、新たなマーカーが発見されていますが、今回は割愛します。

3.免疫チェックポイント分子と治療

最近、免疫チェックポイント分子であるPD-1についてメディアでも取り上げられるようになりました。 この分子は白血球中のリンパ球、そのうちTリンパ球といわれる異物に立ち向かう免疫細胞が有している分子です。 がん細胞は、通常自分の持つPDL-1という分子で、このPD-1にくっつき免疫細胞が働けないようにして、自分が殺されないように振る舞います。 そこで、PD-1という分子に対するモノクローナル抗体を薬(チェックポイント阻害薬)として投与すると、 この呪縛が解けて免疫細胞は元気になり、がん細胞を殺し、数か月後にはがん組織をほぼ完全に破壊します。 肺がんや腎がんの方の20%ぐらいに鮮やかな効果が出ています。 これまでの抗がん剤とは異なり、副作用の頻度は低く、効果のある方にはその点でも福音があります。 このような免疫チェックポイントといわれる分子(PD-1, CTLA-4)は、それぞれ日本人とアメリカ人研究者が発見しました。

では、どのようながん細胞に効果があって、どのようながん細胞には効かないのでしょうか。 これに関しては、世界中で研究が行われておりますので、間もなくその点も明らかになるものと期待されます。 今のところ、がん細胞の特定のゲノム異常があるものほど効果があるようですので、これを腫瘍マーカーとして治療対象者を選ぶ形になるかもしれません。 いずれにしても治療は大きく変わり、がんも治癒する方が出てきたことは素晴らしいことです。この分子をついに発見した長年にわたる基礎研究の重要性を示しています。

4.リキッドバイオプシーによる新たな腫瘍マーカー

さらに最近、主として血液を材料として、血中に流れるがん細胞から分泌される核酸や新しい物質をマーカーにしようとする研究の潮流があります。 体液を使用するので、リキッドバイオプシー(しいて訳しますと、体液生検)という名称がついております。 これは、患者さんにとっては臓器生検よりも楽で、繰り返し行えるメリットがあります。 すでに、原発不明がんの患者さんで検索した報告によれば、症例によりいくつかの遺伝子異常が見出されており、 それに対応した的確な治療により遺伝子異常が消滅し、ほぼ同時にがんが退縮する例が見出されております。 原発不明がんといえどもリキッドバイオプシーによるゲノム解析で治療を選択できるのは大きな進歩です。

さらにエクソソームといわれるがん細胞から分泌される小胞についての検索により、いくつかのがんの早期診断も可能であるとする研究もすすめられています。 これらは確認が必要なため少し時間はかかりますが、腫瘍マーカーのひとつに数えられることと思います。 やがてリキッドバイオプシーによるがんの早期診断・治療につながる可能性が期待されます。

おわりに

腫瘍マーカーの簡単な歴史を述べてきましたが、コンパニオンマーカーを活用した抗体治療や、 革新的な免疫チェックポイント阻害薬の登場により、次第にがんの治療の改良につながってきたことを述べてきました。

最後に、ゲノム解析を簡単に行う時代に入りつつありますので、このゲノム情報を腫瘍マーカーとして活用し、 今後は人工頭脳(AI)も駆使しより効率的に治療薬を選択する新しい時代を迎えようとしている点を強調したいと思います。


今井 浩三(いまい こうぞう)

昭和53年 米国NIH認定博士研究員(スクリップス研究所)(~56年)
昭和60年 英国ケンブリッジ大学MRC研究所上級研究員
平成 6年 札幌医科大学内科学第一講座教授
平成16年 札幌医科大学学長
平成19年 札幌医科大学理事長・学長
平成22年 東京大学教授、医科学研究所附属病院長
平成28年 東京大学客員教授、現職
医学博士、内科医
日本がん免疫学会理事長、日本がん治療認定医機構理事長、日本癌学会副理事長を歴任、日本分子腫瘍マーカー代表幹事
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