市民のためのがん治療の会
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『膵臓がん ステージⅣbから9年』


公益財団法人 川西市文化・スポーツ振興財団 理事長
(元兵庫県川西市副市長)
水田 賢一
最難治がんの膵臓がん、しかも ステージⅣbから生還されて9年、今もお元気でご活躍の元兵庫県川西市副市長の水田さん。 抗がん剤などで腫瘍マーカー値が劇的に改善。 しかし、抗がん剤治療だけでは完全にがん細胞が消えてしまったとは言えないのではないか。 単に少し改善しただけ、マーカーの数字が下がっただけ、ということかもしれない。 やはりその次には、放射線や粒子線なり、あるいは患部の切除が必要ではないか。 たった1つの幹細胞でもあれば、そこからまた心配が必要になる。
そこで水田さんは「手術ができるようになった」ことを良しとしてその後2回の外科手術を行い、ついに生還した。
前回に引き続き患者の努力と主治医の努力が相俟って最難治がんの膵臓がんを克服した事例についてご寄稿いただいた。
なお、特殊な治療法等については「ステージⅣbからの脱出 膵臓がん・私の雑記帳」文芸社刊をご覧ください。
(會田 昭一郎)

今では、「ステージⅣの膵臓がんというのは誤診だったのではないか」と言われることがよくあります。 今の私はいたって元気そうに見られるのです。

2011年7月に受けた人間ドックでの腫瘍マーカーCA19-9の検査値が始まりでした。 0~37(μ/㎖)が基準であるのに対し95という高い値。 1か月後の再度検査では275.1とさらに上昇していました。 その場でCT撮影をして、膵臓がんが特定されました。 幸いにも膵尾部で、しかも比較的小さく、ほどなく外科手術に進みました。 しかし開腹してみれば、腹膜に転移があり(腹膜播種)、患部を切除することなくお腹を閉じたのです。 他の臓器に転移のあるステージⅣb(現在の病期区分にはステージⅣにa、bの区分はありません)で最悪の状態でした。 軽く考えていた私はこのことをどう捉えればよいのか分からず、路頭に迷ってしまったような気持でした。 当時、兵庫県川西市で副市長をしていた私は、職を辞することを真剣に考えました。


腫瘍マーカーCA19-9の検査値

そんな時にある方が、神戸市の甲南病院で化学療法を担当する園田隆医師を紹介してくれたのです。 退院した日の午後、手術後の痛むお腹を抱えながら私は甲南病院を訪ねました。 園田医師は目の前で「私は標準治療ではない」と言われます。 標準治療とはどんなものか、そうでないものは何なのか、私にはその意味があまり理解できませんでした。

5日後に入院。4種類の抗がん剤と園田医師独特の併用薬を使った治療です。 がん細胞が持つ薬剤耐性を除外するための併用薬です。 2週間ごとの抗がん剤投与でしたが、治療が進むたびに腫瘍マーカー値は下がり、治療を始めて2か月半ほどすると数値は基準値内に収まってしまったのです。 びっくりするほどの急降下です。 甲南病院を退院した日の検査でCA19-9は18.9にまでなっていました。 退院翌日に職場に復帰しました。 もちろん抗がん剤治療で私の容貌はすっかり変わってしまっていました。 久しぶりに顔を合わせる誰もが、もうアカンな、と思ったことだったでしょう。 今はその頃のことを皆さんが笑って言ってくださいますが。

年が明けた1月に外科手術に臨みました。 西宮市の明和病院でした。 私にとって2度目の開腹手術です。 膵臓にあったがんは見ても分からないくらいに小さくなっていたそうです。 膵臓は体部、尾部を切除しました。 腹膜にあったはずのがんは、ツルッツルになって消えていたと執刀してくれた医師が教えてくれました。 回診の院長は「奇跡が起きた」と言ってくれました。 明和病院を退院すると、すぐに園田医師による維持療法が始められました。 手術前と同様に抗がん剤と併用薬での治療です。 勤務の合間を縫っての通院治療でしたが、これがおよそ1年続きました。

この間に撮影したPET-CTの画像に「光ったもの」があったのです。 放射性物質を含んだブドウ糖を体内に注射して、がん細胞がブドウ糖をより多く取り込むことを利用してがんを特定するのがPET-CTです。 光っていればそれはがんなのでしょう。 「再発した」、と私は覚悟しました。 さらに4か月後に撮ったPET-CTの画像でもそこはやはり光っていました。 でも園田医師は平気な顔でした。 「再発ではない」と言われるのです。 光るものは大きくなっていなかったのです。 がんなら大きくなる、園田医師はそう断言されました。 それでも、やっぱり心配です。 取り除いておこう。仕事の都合を考え、もっとも差し支えのない時を選び、私は3度目の開腹手術に向かいました。 光っているものの正体は、膵臓患部の残滓だったということでした。 この後も園田医師はさらに維持療法をおこないます。 容赦がないなあ、とは思いましたが、私にとってはありがたいことでした。 強力な抗がん剤はまたまた全身の脱毛をもたらし、その他の副作用ももたらしましたが、何とか乗り切ることができました。 その後これまで、最初の膵臓がん発見から9年近くになりますが、無事に過ごさせてもらっております。 これも手厚い治療のおかげと感謝しています。

これらの経験から私は皆さんに伝えたいことがあります。 1つには医療者の方々へのお願いです。 そこに、僅かにでも治る可能性があるなら、とことん救っていただきたい、救う努力をしていただきたいと願うのです。 膵臓がんだから、ステージⅣだから、転移があるから、治療しても無駄だとは考えないでいただきたいと願うのです。 かすかな可能性でもそこにあるなら、治療を進めてほしいのです。

2つには、患者もけっして希望を捨ててはいけないということです。 医学をはじめ科学技術の進歩は素晴らしいものがあります。 昨日難しかったことが、明日は実現しているかもしれません。 新しい発見、発明が毎日のように報道されています。 検査機器も薬もどんどん進歩しています。 ありがたいことに私たちはそんな時代を生きさせてもらっているのです。 生きることを諦めてはいけません。 がんはすでに不治の病ではないのです。

3つには、がんは見つかったというより、自分で見つけなさい、ということです。 女性なら2人に1人、男性なら3人に2人が生涯におけるがん罹患率です。 こんな状況ですから、がんは罹るものという前提でものごとを考えなければなりません。 ならば先手を打って自らで進んでがんを発見しようではありませんか。定期的に継続して検査を受けるべきです。 そしてそこで見つければ、おそらく早期の発見でしょう。 早期の発見なら治る可能性はうんと高くなるはずです。 5大がんはもちろん、その他のがんも可能なものは積極的に検査すべきです。 特に高齢になればなおさらです。 がんは見つかったより、自分で見つける努力をするべきです。 私は人間ドックの腫瘍マーカー検査で膵臓がんを見つけたのですから。

私の体験をまとめ。 『ステージⅣbからの脱出 膵臓がん・私の雑記帳』(文芸社)として上梓いたしました。 一度お手に取っていただければ幸甚に存じます。


水田さんの著作とお元気でご活躍の水田さん
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