市民のためのがん治療の会
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放射線腫瘍医は安易に「放射線治療に2度目はない」と言い続けていいのか

『脊椎骨転移・再発がんの治療について』


都島放射線科クリニック院長
大阪大学名誉教授
井上俊彦
1.プロローグ
 2000年5月18日クリーブランド・クリニックの早朝カンファランスに座りました。何例目かに脊椎骨転移症例がでてきました。司会者に指名されたレジデントから模範的な放射線治療の答えが帰ってきました。隣に座ったボスは満足げにうなずきました。私は口を挟みました。私ならもう少し病歴を丹念に聞きます。現疾患が何で、最初の治療から今回の転移発現までの時間、現在の病気の活動性と転移による症状の程度、患者の社会的背景なども参考にします。場合によっては長期にわたる転移巣の制御を図るために、線量を増やしたいし、患者にあった治療をしたいと主張しました。一瞬レジデント氏はこの日本人は何を無知なことを言うのかといった顔つきになりました。流石にボスは問題点に気づきました。議論は横道にそれました。私はそれでよいと思ったのです。むしろ、知識を鵜呑みにし、考えなくなっている若者が自身の研修態度の問題に気づいてくれたのであれば、本当に良かったと思ったのでした。

2.大阪府立成人病センター時代に治療した脊椎骨転移の2症例
 症例1. 60歳代の男性乳がん患者が胸椎転移による両下肢の運動麻痺と臍以下の知覚麻痺、排尿排便障害で紹介されてきました。相談を受けた段階で緊急照射の準備をしていましたので、急いで治療を開始しました。有難いことに、早期に治療を開始した努力が効を奏して麻痺が改善しました。その後、全身転移が進行し亡くなられました。死後、医療関係者であったので闘病記録が全国紙の一紙に取り上げられました。何と記者氏は放射線治療のために脊髄麻痺が起こったと記事をまとめました。彼の頭の中には放射線脊髄症の医学用語しかなかったようです。したがって、放射線治療で脊髄麻痺が改善するなどとは夢想できなかったのです。当時の市民に放射線の怖さを伝えることが彼の使命だと認識しておられたのでした。

 症例2. 50歳代の女性乳がん患者が第3腰椎転移による腰痛で紹介されてきました。麻痺はありませんが、痛みが強くストレッチャーで放射線治療科に下りて来られました。既に初回治療から5年以上経過し、第3腰椎転移以外に再発病巣はありません。積極的な気持の持ち主でしたので、私は50Gy/25回/5週の回転照射を処方しました。治療が進むとともに痛みが和らぎ、患者はさらに意欲的になりました。治療後、再化骨が完成するまでの期間は(通常1-2か月)痛みが取れたからと言って、過度の運動はしないように指導したところ、よく守られました。半年後に放射線治療科の診察室に明るい声で挨拶しながら入って来られるなり、私の前で飛び跳ねて見せてくれました。一緒に見ていた看護師から伝え聞いた消化器外科の先輩医師はこんな話を今まで聞いたことも見たこともなかったと感心されました。

3.都島放射線科でノバリス治療をした脊椎骨転移の2症例
 症例3. 30歳代のUAE(アラブ首長国連邦)の女性乳がん患者が背部痛を訴えて紹介来院されました。女性はロンドンで2年前にIV期乳がん(すでに第5・12胸椎転移あり)に対して抗がん剤治療と乳房切除術とホルモン療法と術後胸壁照射(45Gy/22回/32日)と第4胸椎~第1腰椎の放射線治療(40Gy/20回/28日)を受けました。その後、肝転移でホルモン療法と卵巣摘出術を受けました。さらに再々発が肝と第12胸椎に見られましたが、これ以上の治療はできないとロンドンの医師に宣告されました。代替治療を薦められ、東京の免疫療法を頼って来日されました。そこから再照射の可能性について問い合わせがありました。事前に画像を送って頂いて検討しました。脊髄耐容線量から判断すれば、ノバリスのIMRT(強度変調放射線治療)を使えば再照射ができると判断し、大阪のホテルに滞在してもらって肝の再発病巣と第12胸椎転移再発病巣を治療(40Gy/8回/10日)しました。無事帰国され、1年後の消息では元気に生活しておられることが確認されました。高精度治療で従来不可能とされた再照射が可能になったのです。装置の進歩のお蔭で技術力が上昇し、それに伴って知識が増したのです。この症例で再照射ができないとするのが世界的に共通した考えです。しかし、それは過去の技術で蓄積されたデータから導かれたものです。挑戦する心があって始めて、新しい考え方がうまれてきます。「放射線治療に2度目はない」と放射線腫瘍医が安易に言い続けてきたことを今一度考え直す必要があります。

症例4. 肝がんで6年余り闘病を続けながら仕事を続けてこられた70歳代の紳士です。4ヶ月前から腰痛に悩まされるようになりました。それまでずっと肝多発病巣との闘いでしたが、ついに肝の外に転移が出てきました。第4腰椎転移が急速に悪化し、立って仕事をすることができなくなり、関東の大学病院に入院されました。教授から治療相談を受け、引き受けました。ただし、そのままでは来阪していただくことはできません。まず、大学病院で椎体形成術(メチルメタクリレート樹脂注入)がされ、引き続き9 Gy/3回/3日が投与されました。3週後新幹線で来院され、診察後第4腰椎転移に対するノバリスIMRTの治療計画を作成しました。その1週後予定通り再度来阪していただき、IMRTで16Gy/1回照射を行いました。右膝下のしびれが残りましたが、その後亡くなられる1週間前までの9ヶ月間引き続き大きなお仕事をされました。

4.エピローグ
 「がん対策基本法」が施行された2007年4月に放射線腫瘍医として国内初の独立開業型放射線治療施設を開業しました。「徹底的な安全管理による最先端の医療技術によって、プライベートクリニックだからこそできる、きめ細やかな放射線治療を提供する。」ことを理念として掲げました。最新技術のSRT(定位放射線治療)やIMRTを用いて、早期肺がんや限局性前立腺がんに限らず、再発がんやオリゴメタスタシス(少数転移)に対する局所治療という治療選択肢を提供します。今までの放射線治療施設とは一線を画した、特殊な役割を担った施設を目指しています。
 主力機種のノバリスはドイツBrainLAB社が開発したリニアックです。ノバリスとは、ラテン語で「新しい開拓地」を意味し、今までにない高精度な放射線治療を可能にするという意味です。6 MV X線装置の先端部に幅3 mmのMMLC(マイクロ・マルチ・リーフ・コリメータ)が装着され、放射線ビームの形を腫瘍に一致させた照射ができます。このため腫瘍周辺の正常細胞への線量を減らすことができます。本MMLCは高精度制御可能で、IMRTにも対応します。お蔭で、メスで切るような鋭い放射線の線量勾配を作ることができます。したがって椎体転移のIMRTで脊髄線量を安全な範囲に置くことができるのです。従来、骨転移の放射線治療は緩和目的が主で、WHO方式の3段階除痛ラダーのレベルで捉えられていました。しかし今は違います。私はこれまで考えられなかった道具を手にしました。椎体固定術あるいは椎体置換術に替わる低侵襲治療を獲得したのです。今後おそらく、Sr-89(メタストロン)や椎体形成術(メチルメタクリレート樹脂注入)とIMRTが互いに補い合うことによって、脊椎骨転移の低侵襲治療の開発が一気に進むであろうと予想されます。
私は院生3年目になったとき、恩師重松先生に「放射線治療に自信がつきました。なんでも来いといった状況です。」と今思えば恐ろしいことを言いました。先生は「再発がんや転移がんをそれなりに治療できるようになったら本物だ。まだまだですよ。」と諭されました。これを思い出すと、今私は新しい出発点に再び立っただけかもしれない。おそらく新たな問題点が再び私の行く手を遮ることでしょう。でも新たな挑戦は新たな知恵を授けてくれます。気分を新たにして、さらに放射線治療の旅を続けます。

そこが聞きたい
Q クリーブランド・クリニックの早朝カンファランスで、先生は「私ならもう少し病歴を丹念に聞きます。現疾患が何で、最初の治療から今回の転移発現までの時間、現在の病気の活動性と転移による症状の程度、患者の社会的背景なども参考にします」と言われたそうですが、患者にとっても、主治医のそのような対応は本当にありがたいことです。そのためにも早く電子カルテの統一化が望まれるところですね。

A 独立開業をしますと、診療情報が同じ院内から届くのとは比べ物にならないほど貧弱です。その原因はがん専門医不足と彼らが十分な診療時間を持てないからです。私は放射線腫瘍医不足だけが問題ではないと考えます。したがって、患者データベースの完成に多くに時間を費やします。患者の紹介状をみて不足している情報を医療事務秘書が該当病院医師に請求し、現病歴、治療情報、画像・検査データなどを準備します。ここまでに普通数日を要します。私はこれをもとに初診患者に1時間かけて問診・視触診します。この段階で、多くの患者・家族はこれまで経験したことのない診察を受けていることに満足されます。そのうえで、治療方針を考えます。電子カルテでまとまった情報が届けば、もっと効率が上がります。しかし、それでも診療に情熱を持たなければ、道具は生かされないことを忘れてはなりません。現在、国内で議論されている低次元の電子カルテのレベルでは、がん医療に役立つ状況とは遠く離れていることを認識すべきです。

Q 大阪府立成人病センターの症例1では、メディアの側でも放射線治療の適切な理解がなされていないことを如実に物語っていますね。市民レベルでも未だに放射線治療のことは知らない、知ったら知ったで今度は怖い、薄気味悪いと思われる、そうかと思うと反対に、放射線で一挙に治ってしまうと過剰な期待をする。本当に放射線治療についての適正な普及啓発が急がれますね。

A 私は時にメディアの怖さを感じます。その時代の平均的な受け手を想定して、情報が発信されます。特殊分野の専門家にとって違った意図で世間に情報が流れることが間々あります。したがって、一部の人にはおよそ不適切な情報が届けられることになります。医療の実際においては、標準治療といわれるものが個々の人に最適の医療を提供するものでないことを理解していなければなりません。一般に、予防医学・基礎医学は集団を見ます。臨床医学は個人を見ます。放射線治療患者を診るときは、まさに人と人の対話です。その意味でも、放射線治療をもっともっと一般人に、それと同じあるいはそれ以上に他の医療関係者に知ってもらう必要があります。

Q 症例2の場合は他科の医師がほとんど放射線治療について知らないことが問題ですね。私の舌がんでも、密封小線源による放射線の組織内照射など耳鼻咽喉科の医師は知らなかったのでしょうか、治療計画としても提案されませんでした。

A過去30年の医療政策・医学教育のつけが回ってきました。OECD 2009健康データで示されていますが、日本は医学部卒業生が少ない、外国人医師を導入できる状況でもない。これでは人口100万対の医師数が最低線にとどまることを改善できる見通しはありません。おまけに、医学教育はますます細分化されます。教わる側も大変ですが、教える側も大変です。さらに、教育学を学んだこともないものが教えます。効率が悪く、必須事項が伝わりません。医師は生涯学習を義務づけられます。しかし、実のところ自分の専門分野においてすら、急速に進化する医療に乗り遅れないための努力は大変なものです。また、縦の学問は触れる機会が多いのですが、横の学問に手を伸ばすことは少ないのです。これらが、他科の医師が放射線治療について知らない状況の本質だと思っています。

Q UAEの乳がん患者の例ですが、再照射はできないという「掟」は、従来の機器や技術というフレーム・ワークでのはなしで、革新的な機器の登場によって、対応は多様に変化してゆくことを先生は実証されたのですね。私はマーケティングの専攻ですが、マーケティングの定義はアメリカでは学問だけでなく憲法もそうですがしょっちゅう変わります。が、私が今でも大切に思っている定義の一つに「マーケティングとは、企業が企業を取り巻く環境の変化に対応する努力を言う」というのがあります。この考え方は医学にもあれはまることでしょうし、患者が自分の病気に対応する場合にもあてはまると思います。

A その通りです。変化することが生きていることです。無常とはまさに言い得て妙です。たとえば、標準治療を声高に叫ばれます。しかし、それはまさにその時代のその地域のある限られた条件で成立していることが忘れられています。金科玉条守りに入れば、衰退します。常に見直しがされるのが正しいのです。たとえ、過去に法律で罰せられても、そこに新たな真実が芽生えてくることは往々にして経験されるところです。私自身、振り返ってみると若い時に何々癌の治療指針や放射線治療の標準スケジュールを提案しました。これらは時代とともに変化します。私はかつて提案したから、新たな変化が生まれたと自分勝手に考えています。人は短い時間を生きます。宇宙に思いをはせると、如何に微小なところに生きているかと考えます。しかし、おおきくても小さくてもともに生きている。したがって、変化し続けている。これは大切なことです。

QMMLC(マイクロ・マルチ・リーフ・コリメータ)Sr-89(メタストロン)や椎体形成術(メチルメタクリレート樹脂注入)などは専門的なことですので機会があればまた取り上げたいと思いますが、市民レベルで少し知っておいた方が良いことがあればコメントお願いします。

A かつて大学時代の私の教室にいたフランス人の医学物理士から「MLCは日本人が発明したのですね。原体照射は日本人の発案なのですね」と訊かれました。そうです。梅垣洋一郎先生がMLCを50年以上も前に考案されました。同じ時期に故高橋信次先生が原体照射を開発されました。これが現在のIMRTの基礎になっていることを日本の放射線腫瘍医は誇りに思います。Sr-89(メタストロン)や椎体形成術(メチルメタクリレート樹脂注入)とともに椎体転移の低侵襲治療の切り札です。

QWHO方式の3段階除痛ラダーにつてはたとえば滋賀医科大学のサイトで見ていただいてはどうでしょうか。
http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/analg-cancer.html#ladder

A そうですね、ご参考になさるといいでしょう。


略歴
井上 俊彦(いのうえ としひこ)
愛媛県生まれ。昭和39年大阪大学医学部卒業後、松山赤十字病院、大阪大学医学部講師、大阪府立成人病センター部長を経て平成 2年大阪大学大学院教授。平成15年大阪大学名誉教授、蘇生会総合病院名誉院長、NPO法人大阪粒子線癌治療研究会理事長を経て平成19年都島放射線科クリニック院長、現職。この間国際放射線腫瘍学会理事、日本放射線腫瘍学会会長などを歴任。日本放射線腫瘍学会認定医、日本がん治療暫定教育医。医学博士。
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