『頭頸部のがんの治療』
早渕 尚文
頭頸部のがんの治療について書きます。まず、頭頸部というのはどこを指すのでしょう?舌をはじめとする口腔内、鼻や耳、のど(実は専門的には上咽頭、中咽頭、下咽頭と分れます)、さらには声を出すのになくてはならない喉頭などさまざまな領域を含みます。皆さんが耳鼻科のお医者さんや歯医者さんに診てもらっている事が多い場所です。
さて、この頭頸部のがんはこれまで多くの場合、大学や大病院の耳鼻咽喉科や歯科の専門の先生方によって手術をされてきました。しかし、多少でも大きくなると単にがんを切りとるだけでは不十分で、まわりの正常部分、場合によってはあごの骨や眼球までとるような大きな手術が必要になります。さらに、首のリンパ節を根こそぎとる(これを郭清といいます)必要もあります。従って、頭頸部領域のがんの手術をうけると、大なり小なり機能が犠牲になります。例えば喉頭がんの手術では喉頭を取りますので、声をだすことができなくなります。中咽頭や舌のがんでは大きさ次第ですが、食物を呑みこむことが難しくなる場合があります。それだけではありません。見た目が大きく変わります。孫に「お化けだ」と言われて、ショックをうけて自殺を考えた、というようなことが実際に起こるのです。
それでは放射線治療で治すことはできないのでしょうか?放射線治療なら、機能が犠牲にならなくてすみます。また骨や眼球をとるわけでもないので、見た目も変わりません。しかしながら、これまでは手術と比べると治るかどうか確実性が低かったのです。「いのち」と引き換えに見た目や機能を犠牲にして手術が行われてきました。ところが、最近放射線治療が画期的に進歩しました。これまで放射線治療では治せるという確実性の低かった進行したがんでも「治せます」と、はっきり言えるようになってきたのです。これは放射線治療のやり方が進歩した結果ですが、同時に有効な抗がん剤をうまく使いこなせるようになってきた結果でもあるのです。
写真1Aは口腔底(舌の隣)にできたがんです。あるがん拠点病院で手術する以外には治せないと言われた方です。「手術で治すには舌を大きく切りとります。隣接した下あごの骨もとらなければなりません。従って手術後はうまくしゃべることができなくなります。さらに、見た目も大きく変わるので覚悟してください」と、その病院の耳鼻咽喉科の担当医から言われたそうです。患者さんは40歳代で、ホテルにお勤めでした。そのような手術をうけると、ホテル勤務ができなくなるということで、自宅からは遠く離れていましたが、当院で放射線治療をうけられることになりました。しかし、放射線治療だけでは治癒は難しい進行したがんでしたので、当院ではそれに抗がん剤(がんを押さえる薬)を一緒に使うことにしました。といっても、通常のやり方である静脈から抗がん剤を点滴で入れる方法では効果が低いと考えられます。そこで、放射線科が得意とする血管造影の技術を使って、がんを栄養する動脈を探して、そこから超選択的に急速に抗がん剤を入れる方法を用いました。この方法を用いれば、がんに入る抗がん剤の濃度は静脈から抗がん剤を点滴で入れる方法に比べ、百倍以上になりますので、それだけ効果が高くなるのです。さらに、がんを栄養する動脈からいっきに抗がん剤をいれますので、同時に静脈からは抗がん剤を中和する薬を入れることができます。従って、抗がん剤による副作用をきわめて低く抑えることができるのです。写真1Bはこの方の治療後です。支障なく会話が可能で、また見た目も変わらず、きれいになおりましたので無事にホテル勤務に戻られました。ただ、この方法には大きな欠点があります。それは血管造影の技術を使って、がんを栄養する動脈を探して、そこから超選択的に抗がん剤を入れる方法ですので、放射線科医にしかできません。さらに放射線科医の中でも、このような方法ができるのはごく一部の医師に限られますので、どこの病院でもできるということではないのです。
でも、写真2を見てください。この方は喉頭の声門部という声を出すところにがんができました。たばこに深い関係があると言われています。この方もある都市のがん拠点病院の耳鼻咽喉科の専門医から喉頭をとるしか治す方法はないと言われたそうですが、声が出せなくなると仕事ができなくなると当院を受診されました。診察の結果、ごく一部の病院でしかできない前述の方法ではなく、放射線治療と静脈から抗がん剤を少量一緒に使用する方法で治癒が可能と判断しました。全身に抗がん剤がまわりますが、ごく少量ですので、副作用はほとんどなく、予定通りに放射線治療を終えました。この方も完治しました。放射線治療と同時に、静脈から少量の抗がん剤を入れる方法は特別な手技が必要なく、放射線治療装置があれば、どこの病院でも治療可能なのですが、ただ放射線治療を担当する医師(放射線腫瘍医と言います)の中でも、特に頭頸部のがんの治療の経験が豊富な医師が必要です。それは手術室さえあれば手術は誰が行っても同じ、という訳にはいかないのと同じです。
頭頸部のがんはこれまで手術が中心でしたので、例え手術がうまくいって、がんは治っても見た目や機能に大きな問題が残りました。また、超高齢化社会を迎え、お年寄りでは切りたくても切れない、という方も増えています。しかし、これからは放射線治療を有効に使う事で見た目や機能を犠牲にすることなく、またお年寄りでも治療できるようになってきました。切る治療から切らない治療へと進みつつあると言い替えることもできます。一方で、放射線腫瘍医、その中でも頭頸部がん専門の人材の確保が求められます。頭頸部領域のがんの放射線治療はとりわけ高い技術が求められるからです。どれだけスタッフが充実しているか、どれだけリスク管理ができているかが今後、ますます大切になってくると思います。皆さんも、このあたりをインタ-ネットなどで十分情報を集めることが重要ではないでしょうか。
その通りと思います。最近、乳癌ではできるだけ乳房の形を損なわないような手術が行われるようになっていますね。でもよく考えたら、乳房は普段服で隠しているところですよね。ところが、頭頸部のがんの場合に手術を受けたら服で隠せない場所です。より深刻な場所ではないのでしょうか。
これもおっしゃる通りだと思います。これまでは「命が大事でしょう」という医者の殺し文句に患者さんは泣く泣く従ってきたと思います。でも、「命は大事。でも見た目も機能も大事」ということを患者さん自身が担当医にはっきり申し出る時代ではないでしょうか。
がんの治療成績が向上すると、治療を担当する医師も実は単に生きておられるからいいとは思っていません。「がん」と言われて気持ちが動転されるのはよくわかりますが、皆さんも担当する医師に率直に治療後のQOLがどの程度まで維持できるか、確認されることが大事だと思います。そしてそれに満足できなければセカンドオピニオンも聞いてみられるとよいと思います。
お年寄りと違って、若い方のがんの治療の難しさがそこにあります。がんの治療をうけた後、元の仕事に復帰できるかどうか、これも率直に担当医師と相談されることをお奨めします。
残念ながら、きちんとした情報が管理されている訳ではありません。私が所属する日本放射線腫瘍学会の今後の課題だと思っています。でも、日本放射線腫瘍学会の認定施設(きちんとした放射線腫瘍医と放射線治療施設が揃っていると認めた施設)に行かれれば、自分のところでどこまでできるのか、またできないならどこの病院だったらできるのかは把握していると思います。
確かに日本ではまだ治療法についてのインフォームドコンセントは不十分だと思います。これも今後の課題です。しかし、患者さんから言われなければ他の方法は言わないという医師でも、他に方法はないか、と聞かれれば放射線治療などについて十分説明しなければならないという時代にはなってきました。今のところは、患者さん自身が賢くなってください、というしかありません。
前立腺癌は今後ますます増えるがんの一つです。前立腺癌が見つかった時に手術だけでなく、放射線治療のことも患者さん自身が思ってもらえるよう、私達放射線腫瘍医も学会などを通じて伝えていく努力が必要と考えています。
ここ10年来放射線治療の技術は急速に進歩しています。その魅力で放射線治療をやってみたいという若い医師は随分と増えてきました。ただ、残念ながら全国どこでも、というわけでなく、放射線治療の魅力を伝えることができているところに限られていることです。どこの大学でも学生や若い医師に放射線治療の魅力が伝えられるようにする努力を今後も行っていきたいと思っています。
ご助言ありがとうございます。学会や病院のホ-ムページなどで皆さんに知ってもらえるよう努力していきます。
略歴
昭和47年九州大学医学部卒業後、九州大学医学部放射線科入局
九州大学医学部講師、佐賀医科大学放射線科助教授を経て平成 3年久留米大学医学部放射線科教授、現職。
この間昭和57年から昭和58までロンドンのRoyal Marsden病院へ留学
日本放射線腫瘍学会理事、日本医学放射線学会理事、日本医学物理連絡協議会議長、放射線治療品質管理機構理事長、など公職多数