市民のためのがん治療の会
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『Quality of Livesを問う二編』


堂園メディカルハウス院長
堂園晴彦
1.絶望の先に光を灯せるか
 11歳の子供を持つ母親が入院して来た。
 一見して、死期が迫っていると感じた。
 数日前に入院の相談に来られた。その時、
「死にたくない。娘のためにあと1年は生きたい」
と、語った。
 がんがわかったのはわずか数か月前で、その時すでに全身の骨に転移をしていた。必死で高額の放射線治療を受け続けた。
 入院時の血液検査では、骨の転移と放射線治療の影響で骨髄機能が急速に悪化し、血小板が正常値下限の約20分の1の8000になっていた。いつ体のあちこちで出血が起こってもおかしくなく、何もしなければ一両日かもしれない値である。
 向原医師が夫と娘さんに現状を説明した。夫は愕然とし、娘さんは小さな体を震わせ、何時間も泣きじゃくった。
 その話を聞き、これからのあまりにも残酷な経過を考えると絶望的になり、胸が詰まった。 
 一体今までの医者は何を考えて治療をしていたのだろうか。
 病気ばかりを診て、人間を全く診ていない。
 今回だけでなく、今回に似たような患者さんをよく診る。現在の日本のがん医療に絶望感すら抱いてしまう。今後も今回のような患者さんを診る機会が続くと、ホスピス医を続ける情熱がなえてしまいそうだ。
 向原ドクターが子供のために血小板輸血等積極的な延命治療を提案した。スタッフも望んだ。私は基本的には延命治療は通常はしない方針だが、娘さんにとっては、一秒が一分、一分が一時間、一時間が一日、一日が一か月の価値があると判断し、向原ドクターの提案を受け入れた。
 翌日は奇跡的に意識も回復し、介護入浴もでき、娘さんの介助で食事も少しだが摂れた。私の胸のつかえもいく分か取れた。
 これまでの経験から、肯定的な別れをした子供は、その後の人生を肯定的に生きられるようだ。
 患者さんは遺書を書くからと、夫に厚いノートを注文した。
スタッフ全員で肯定的な別れができるように努めている。
 それが11歳の娘さんにとって光となるに違いない。

 患者さんが木曜日に亡くなれた。
 10日間も頑張った。
 子供さんの誕生日が土曜日だった。
 私は父親に、 「誕生日をしてからお葬式をしましょう」
と、提案した。
 父親は、
「お葬式が誕生日ではかわいそうだし、お葬式の後に誕生日もやるせない」 と話され、私の提案を了承し、土曜日までメディカルハウスの霊安室に安置し、お誕生日会を催した。
 お友達も数人来てくれた。一人は、祖父を最近、堂園メディカルハウスで看取っていた。
 ケーキを差し入れし、入院してから母親と一緒に撮った写真を写真立てに入れプレゼントした。
 母親にもケーキをあげていた。
 見送りの時、父親が、
「妻が、娘の誕生日までは頑張って、誕生日のお祝いをしたいと言っていましたが、その通りのことができました」
と、言われた。死後も生きていたのだろう。
 肯定的な別れをした子はその後の人生を肯定的に生きられる、私の経験である。
 以前quality of lifeではなくてquality of livesという概念が必要であると、論文に書いた。
 人は一人で生きているのではなくて多くのlifeと共に生きていることを患者さんも家族も、そして、医者も忘れないで欲しい。


2.目の前の生まれてくる子供と、我が子を育てられない母を支えて
 昨年のクリスマスに七五三のきれいな着物を着た女の子の写ったカードが届いた。特別養子縁組となったお子さんが一緒に写っている家族の写真だった。幸福そうな両親と愛くるしい子供の表情に目頭が熱くなった。年末忙しくて疲れていた私は勇気をもらった。

 1993年の夏、15歳の女の子が中絶を希望して来院した。相手は14歳だった。母親も一緒だった。お腹は大きくふくらみ、もう臨月であるのが一目で分かった。
 中絶はできない旨を伝えながら、尊敬するマザー・テレサの言葉を思い出した。
『子供は両親に育てられるのが一番いい』


 生まれてくる子供を両親が育ててくれる方法がないか調べていくうちに、特別養子縁組という制度があることを知った。
 この制度は養親が生まれてすぐの子供を育てられ、名前を付けることも可能である。6か月以上の保護観察期間を経た後、家庭裁判所の審判がおりると、実子として入籍できるものである。岡山県の産婦人科医が取り組んでいることを知り早速連絡をとり、その時から岡山県ベビー救済協会との交流がはじまった。

 切羽詰まった状況で来院する少女、女性たちの気持ちをソーシャルワーカーが深く聞いていく中でみえてきたものがある。
 マスコミやコミック誌、さらに、ネットの情報の中で育った少年少女たちは、今の大人の想像を超えた「プチ家出、一宿一飯の恩は体で」のような価値観を持っている。   

 相手の男性に妊娠をしたと告げるとメルアドが変更になってしまい、全く連絡がつかなくなったと話す女性に会った。同じようなケースが数件あった。メルアドしか知らないので、相手がどこに住んでいるのかわからないとのことである。また、彼女たちの成育歴を聴くと、無条件に誰からか受け入れてもらった経験がなかった。体だけでも必要とされることに喜びを感じる彼女たちを、一方的に責められない。ドメステックバイオレンスの負の連鎖に巻き込まれた女性もいる。

 「生まれてくる子に暴力を振るってしまいそうだ」と、ポツンと言った女性もいた。このような女性たちが新たな人生を歩み始める一つのきっかけとなるように願わずにはいられない。
 しかしながら実際に避妊の知識があるといくかというとそうでもない。中高生でも正しい知識は持っていないし、避妊まで教える学校は少ないようだ。性教育は中学生では遅い、これが現実である。
 養親につていては不妊治療の限界を感じて養子を望むケースが多い。ある方は二人目の特別養子縁組を希望された時に、多分二分脊椎の疑いがあったが、「自分で生んでもそういう可能性もあるので」と、躊躇なく養育された。神を見た気がした。
 養親は県内外、日本人、外国人と地域、国籍も色々である。それぞれの地域の家庭裁判所から調査員が鹿児島に来て,養親や生みの母への詳細な面接調査が行われる。
 熊本の「赤ちゃんポスト」も重要な任務を担っている。改善すべき点は、生んだ母親が特定できないため戸籍は熊本県となり、「棄児(きじ)」と登録される。つまり、一生捨て子という戸籍がついてまわる。また、3歳までは乳児院で育てられてから養子縁組となる。
 アフガニスタンで用水路を作っている中村 哲医師は「現場を知っている人は、どんな立場の人でも実際的である」と書いているが、法律が実際的になって欲しい。


 今、鹿児島県内で育てられない妊娠があると、殆ど連絡がくるようになった。乳児院や児童相談所から当院を紹介される場合もある。ソーシャルワーカーは産みの親に、「自分が子を捨てたと思うのではなく、本当は養親の子供になるはずだった子を産んだと思ってほしいです。」と、よく説明をしている。クリスマスに送られてきた家族写真を見ると、案外そうかもしれないと、思ってしまう。
 サポートしているうちに、自分で育てる決意をした20歳の子もいた。子供を両親の籍に入れ、母親本人は努力し大学に入った子もいた。赤ちゃんが 成人になった時のために貯金をしている子もいる。
 この20年近く孤軍奮闘してきた。全くのボランティアである。特別養子縁組を、日本産婦人科医会や助産婦協会が支えて欲しいと切に思う。

 父は、「おぎゃー献金」の設立に力を注いだ。「おぎゃー献金や」子供手当の一部を特別養子縁組をサポートするために使って欲しいと思う。
最高の少子化対策ではないだろうか。

特別養子縁組で育ての親になった方からの手紙である。


『神様からの贈り物』

わが家に、神様からの贈り物がとどきました。
神様ってほんとうにいるんです。
おめめもおてても足も、とってもちいさいちいさい天使でした。
おしっこもします。
ウンチもします。
おふろ大好き。
ミルクをゴクゴクのみます。
大声で涙と鼻水を出し泣きます。
天使の笑顔は、神様の顔に見えました。

ほんとうに、神様いいですか。
こんな私でいいですか。
私もいつの日か神様へプレゼントのおかえしをします。
いまはステキなプレゼントを大切に大切にして、過ごしていきます。

あっ!天使が目をさましました。
いままで目をそむけてきたもの。
ほにゅうびん、ミルク、オムツ、ベビー服、乳母車.....。
いまは、どれをとってもかけがえのないもの。
とってもいとおしいもの。
あんなにちいさかった手や足が、今はぐんぐんのび、
ずいぶんおおきくなり、
指をさし「アッアッ」 
おててをふって「バイバイ」
なんでもわかるようになりました。
この大切な日々を神様に感謝し、
1人でも多くの人に感じとってほしい。

PS. 毎夜、隣に子供が寝ているということがうそのようです。
そっと手を伸ばすと、そこにかわいいちっちゃい手があります。
涙がスーっと流れるほど、うれしさでいっぱいです。』

子供と若者は、この国の未来である。


略歴
堂園 晴彦(どうぞの はるひこ)

慈恵医大卒業後、国立がんセンター、慈恵医大講師・鹿児島大学産婦人科講師を経て1991年堂園産婦人科で在宅ホスピスを開始。1996年有床診療所堂園メディカルハウス開院。通院・入院・在宅をコンビネーションしたホスピスケアを開始。
現在、堂園メディカルハウス理事長・院長、NPO法人風に立つライオン理事
著書:絵本「水平線の向こうから」(絵 葉祥明)と「サンピラー お母さんとの約束」(絵本田 哲也、北海道在住)、エッセー「それぞれの風景 人は生きたように死んでいく」 医学博士
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