第4の治療法の可能性は
『肺がんに対するペプチドワクチン療法の開発研究』
滋賀医科大学医学部腫瘍内科・腫瘍センター 教授・腫瘍センター長 醍醐 弥太郎
肺がんは、2005年の我が国のがん統計で約8万4千人が新たに診断され、男性で2番目,女性で4番目に多く、死亡数は2009年の統計で約6万8千人に達し、男性女性ともに死因の第1位であることが報告されています。一方、肺がんは、2008年のWHO世界統計においてがん死の第1位であり、全世界で毎年140万人が亡くなっています。肺がんは、組織の型により非小細胞肺がんと小細胞肺がんに大きく分けられ、そのうち非小細胞肺がんが約85%を占めます。非小細胞肺がんの治療方法は、一般的に臨床病期(病気の進行段階)が比較的早い段階のI~IIIAであれば、手術 (+術後放射線治療) を行い、切除不能のIIIB~IV期の場合、化学療法 (+放射線療法) が行われます。肺がん登録合同委員会の全国集計結果では、1999年肺がん外科切除例の術後の病期別の5年生存率は、IA期83.3%、IB期66.4%、IIA期60.1%、IIB期47.2%、IIIA期32.8%、IIIB期30.4%、IV期23.1%とされ、病期の進行とともに5年生存率は低下し、治癒するには早期で発見することが重要になります。近年、病期IB-IIIA期の完全腫瘍切除ができた患者さんに対して、術後化学療法により予後の改善が期待できると報告があり、進行がんに対しても新規の抗がん剤、EGFR (上皮成長因子受容体) チロシンキナーゼ阻害剤などの分子標的治療薬が使用されて生存期間の延長を認めていますが、今なお毎年肺がんによる死亡数は増加しており、既存の治療法のみでは十分とは言えないのが現状です。ゆえに新たな治療法を確立し、治療の選択肢を増やすことが必要となっています。
近年、免疫機構をつかさどるT細胞が抗原を認識するメカニズムが明らかになるとともに、腫瘍抗原(腫瘍で特異的に作られる抗原)の中に細胞傷害性T細胞 (cytotoxic T lymphocyte: CTL) に認識されるタンパク質が発見され、腫瘍抗原やその抗原遺伝子を利用した治療法が研究されています。悪性黒色腫において細胞傷害性T細胞が腫瘍細胞のいわゆる目印として認識する腫瘍抗原が同定されて以来、様々な種類のがんにおける腫瘍抗原が同定されています。これらのがん細胞の目印となるがんペプチド(ペプチドワクチン)を人工的に作り、薬としてがん患者さんに注射すると、細胞傷害性T細胞(がん細胞を攻撃する細胞)は体内で樹状細胞からがんペプチドの情報をもらい増殖します。その結果、がん細胞への攻撃力が強まり、がんの排除、または進行を抑える効果が期待されています。これまで各種のがんで、がんペプチドワクチン療法の臨床試験が実施されており、また、その変法としてインターロイキン-2や顆粒球単球コロニー刺激因子などの免疫活性化物質との併用、改変ペプチドの開発、ペプチドパルス樹状細胞療法の臨床試験なども行われています。現在の科学的根拠に基づくがん治療法(外科的切除術、化学療法、放射線療法)の改良・新規開発に加えて、生体への侵襲が少なく患者が本来有するがん特異的な免疫能を最大限に活用するがん免疫療法が第4の治療法として実用化されれば、既存の治療法の治療効果を補完し、早期がんの治癒や進行がん・治療抵抗性腫瘍の治療成績の向上に繋がると期待されます。しかしながら、がんワクチン療法における国内外の臨床試験は、これまで期待されたほどの抗腫瘍効果が得られておらず、がんワクチン療法の作用機序を理解した科学的検証が必要となっています。2009年9月にFDAが「がん治療用ワクチンのための臨床医学的考察」と題するドラフトガイダンスを公表しましたが、このガイダンスは、がん治療用ワクチンの臨床試験の実施申請を提出したい企業に対して、がん治療用ワクチンの開発試験に際しての臨床的見地からの望ましい試験計画の考え方を提供したものであり、第Ⅰ相および第Ⅱ相試験(早期臨床試験)、第Ⅲ相試験(後期臨床試験)に共通の考察すべき観点や生物製剤の臨床開発段階で特に注意すべき観点を議論しています。現在、欧米の製薬企業が進めているがん治療用ワクチン開発に向けた複数の後期臨床試験の結果次第では、今後のがん治療用ワクチン製剤の開発が急展開するものと予想されます。
今日、ゲノム研究の進展により,がん細胞の中の遺伝子やタンパク質の量や質の変化に基づき、がんが発生するメカニズムの全体像をより網羅的に把握することが可能となっています。ゆえにがんの発生原因の分子レベルの解明から、新しい予防、診断、治療法の開発を迅速に進めていく研究開発の推進がこれまで以上に求められています。我々は、がんの新しい診断法と治療薬の開発に貢献することを目的に、ゲノム解析技術を用いた1000症例以上の肺がん試料(がん組織・細胞、血液)の網羅的遺伝子・タンパク質の発現解析を行ってきました。これまでに、約30種類のがん特異的タンパク質(腫瘍抗原)を同定し、その情報をもとに細胞障害性T細胞を誘導する能力の非常に高いがんペプチドワクチンのスクリーニングを行い、複数のペプチド抗原を同定しています。これらのペプチドワクチンを利用し、肺がんに対する抗腫瘍効果の統計学的・免疫学的に詳細な評価を行うために、滋賀医科大学付属病院において臨床試験を開始して、安全性、免疫学的反応、そして臨床的有効性を科学的に検証しています。現在、標準的な抗がん剤治療がすべて終了し無効になった複数の肺がん患者さんに3種類のペプチドを投与する臨床試験を実施していますが、細胞障害性T細胞がペプチド投与後に誘導された患者さんのグループでは、そうでない患者さんのグループに比べて、有意に生存期間が延長することが示唆され、また、一部の患者さんでは、ワクチン単独治療例における腫瘍縮小症例も認められており、薬事承認(医薬品としての国の認可)に向けたさらなる検証が必要となっています。今後は、これまでの試験での知見を踏まえた、標準療法不応の非小細胞肺がんを対象にICH-GCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準のガイドライン)に準拠した試験体制で医師主導型多施設共同臨床試験を実施予定です。今日、海外における様々ながん治療薬の開発や新たな臨床試験のエビデンスの集積は急速に進んでおり、新薬開発の内外格差がさらに拡大することが懸念されています。がん患者さんの延命とQOL改善効果のある日本発の各種のがん治療薬の開発研究や臨床試験を推進して新薬を創出することは、がん医療水準の地域格差の是正や現在30兆円に上る国民医療費の抑制と適正化、がんにかかっても生きる希望を持って安心して暮らせる健康寿命の延長による我が国の社会活力の向上に貢献すると期待されます。
近年、免疫機構をつかさどるT細胞が抗原を認識するメカニズムが明らかになるとともに、腫瘍抗原(腫瘍で特異的に作られる抗原)の中に細胞傷害性T細胞 (cytotoxic T lymphocyte: CTL) に認識されるタンパク質が発見され、腫瘍抗原やその抗原遺伝子を利用した治療法が研究されています。悪性黒色腫において細胞傷害性T細胞が腫瘍細胞のいわゆる目印として認識する腫瘍抗原が同定されて以来、様々な種類のがんにおける腫瘍抗原が同定されています。これらのがん細胞の目印となるがんペプチド(ペプチドワクチン)を人工的に作り、薬としてがん患者さんに注射すると、細胞傷害性T細胞(がん細胞を攻撃する細胞)は体内で樹状細胞からがんペプチドの情報をもらい増殖します。その結果、がん細胞への攻撃力が強まり、がんの排除、または進行を抑える効果が期待されています。これまで各種のがんで、がんペプチドワクチン療法の臨床試験が実施されており、また、その変法としてインターロイキン-2や顆粒球単球コロニー刺激因子などの免疫活性化物質との併用、改変ペプチドの開発、ペプチドパルス樹状細胞療法の臨床試験なども行われています。現在の科学的根拠に基づくがん治療法(外科的切除術、化学療法、放射線療法)の改良・新規開発に加えて、生体への侵襲が少なく患者が本来有するがん特異的な免疫能を最大限に活用するがん免疫療法が第4の治療法として実用化されれば、既存の治療法の治療効果を補完し、早期がんの治癒や進行がん・治療抵抗性腫瘍の治療成績の向上に繋がると期待されます。しかしながら、がんワクチン療法における国内外の臨床試験は、これまで期待されたほどの抗腫瘍効果が得られておらず、がんワクチン療法の作用機序を理解した科学的検証が必要となっています。2009年9月にFDAが「がん治療用ワクチンのための臨床医学的考察」と題するドラフトガイダンスを公表しましたが、このガイダンスは、がん治療用ワクチンの臨床試験の実施申請を提出したい企業に対して、がん治療用ワクチンの開発試験に際しての臨床的見地からの望ましい試験計画の考え方を提供したものであり、第Ⅰ相および第Ⅱ相試験(早期臨床試験)、第Ⅲ相試験(後期臨床試験)に共通の考察すべき観点や生物製剤の臨床開発段階で特に注意すべき観点を議論しています。現在、欧米の製薬企業が進めているがん治療用ワクチン開発に向けた複数の後期臨床試験の結果次第では、今後のがん治療用ワクチン製剤の開発が急展開するものと予想されます。
今日、ゲノム研究の進展により,がん細胞の中の遺伝子やタンパク質の量や質の変化に基づき、がんが発生するメカニズムの全体像をより網羅的に把握することが可能となっています。ゆえにがんの発生原因の分子レベルの解明から、新しい予防、診断、治療法の開発を迅速に進めていく研究開発の推進がこれまで以上に求められています。我々は、がんの新しい診断法と治療薬の開発に貢献することを目的に、ゲノム解析技術を用いた1000症例以上の肺がん試料(がん組織・細胞、血液)の網羅的遺伝子・タンパク質の発現解析を行ってきました。これまでに、約30種類のがん特異的タンパク質(腫瘍抗原)を同定し、その情報をもとに細胞障害性T細胞を誘導する能力の非常に高いがんペプチドワクチンのスクリーニングを行い、複数のペプチド抗原を同定しています。これらのペプチドワクチンを利用し、肺がんに対する抗腫瘍効果の統計学的・免疫学的に詳細な評価を行うために、滋賀医科大学付属病院において臨床試験を開始して、安全性、免疫学的反応、そして臨床的有効性を科学的に検証しています。現在、標準的な抗がん剤治療がすべて終了し無効になった複数の肺がん患者さんに3種類のペプチドを投与する臨床試験を実施していますが、細胞障害性T細胞がペプチド投与後に誘導された患者さんのグループでは、そうでない患者さんのグループに比べて、有意に生存期間が延長することが示唆され、また、一部の患者さんでは、ワクチン単独治療例における腫瘍縮小症例も認められており、薬事承認(医薬品としての国の認可)に向けたさらなる検証が必要となっています。今後は、これまでの試験での知見を踏まえた、標準療法不応の非小細胞肺がんを対象にICH-GCP(医薬品の臨床試験の実施に関する基準のガイドライン)に準拠した試験体制で医師主導型多施設共同臨床試験を実施予定です。今日、海外における様々ながん治療薬の開発や新たな臨床試験のエビデンスの集積は急速に進んでおり、新薬開発の内外格差がさらに拡大することが懸念されています。がん患者さんの延命とQOL改善効果のある日本発の各種のがん治療薬の開発研究や臨床試験を推進して新薬を創出することは、がん医療水準の地域格差の是正や現在30兆円に上る国民医療費の抑制と適正化、がんにかかっても生きる希望を持って安心して暮らせる健康寿命の延長による我が国の社会活力の向上に貢献すると期待されます。
略歴
醍醐 弥太郎(だいご やたろう)
平成10年山梨医科大学大学院医学研究科博士課程修了後、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター、英国ケンブリッジ大学腫瘍学部研究員、英国ケンブリッジ大学アデンブルックス病院臨床腫瘍内科医員、英国ケンブリッジ大学ウルフソンカレッジシニア学術員、東京大学医科学研究所助手、東京大学医科学研究所准教授などを経て平成21年より滋賀医科大学医学部腫瘍内科教授に着任し、現在に至る。 専門分野:臨床腫瘍学、分子腫瘍学
学会活動:日本癌学会評議員、日本臨床腫瘍学会評議員、日本人類遺伝学会評議員
米国癌学会(AACR)正会員、米国臨床腫瘍学会(ASCO)正会員
平成10年山梨医科大学大学院医学研究科博士課程修了後、東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター、英国ケンブリッジ大学腫瘍学部研究員、英国ケンブリッジ大学アデンブルックス病院臨床腫瘍内科医員、英国ケンブリッジ大学ウルフソンカレッジシニア学術員、東京大学医科学研究所助手、東京大学医科学研究所准教授などを経て平成21年より滋賀医科大学医学部腫瘍内科教授に着任し、現在に至る。 専門分野:臨床腫瘍学、分子腫瘍学
学会活動:日本癌学会評議員、日本臨床腫瘍学会評議員、日本人類遺伝学会評議員
米国癌学会(AACR)正会員、米国臨床腫瘍学会(ASCO)正会員