市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
緩和ケア普及推進のために

『がん患者として、緩和ケア医として~故岡田圭司先生に教えて頂いた言葉~
「道具」と「大切にしているもの」』


関西福祉科学大学臨床心理学科 教授
大阪府がん対策推進委員会・緩和ケア推進部会・部会長
(前・大阪府立成人病センター心療緩和科 主任部長)
柏木雄次郎
大阪府では緩和ケア普及推進のために、多くの緩和ケア関係者が密に連携協働し合って研修啓発活動を行っております。これらの皆さんが、休日返上で研修会の運営実施に熱心に力を合わせてくれています。その中で、ひときわ印象深く、心の奥底まで沁み入る大事な言葉を私にお教え下さった方が居ます。
その方は、大阪の高槻赤十字病院の緩和ケア科部長をされておられた岡田圭司先生です。御自身もがん患者として種々の思いを抱えながら、献身的にがん患者さんや御家族のケアを行っておられました。最後まで患者さんとその御家族、また御自身の御家族、友人、知人への優しい思いを大切にして、これらの人々に献身し尽くして、2010年6月25日に永眠されました。
岡田先生には沢山のことを教えて頂きました。その中で、2つの言葉が象徴的に私の心に残っています。それが表題にあげました「道具」と「大切にしているもの」です。岡田先生を追悼する遺稿集を作成した際に、私がこの2つの言葉について書いた文章があります。岡田先生の言葉や思いをより多くの方々にお伝えできればと願って書きました。「市民のためのがん治療の会」の皆様にもお読み頂ければと存じますので、一部改編してお伝え致します。拙い文章ですが、岡田先生の思いが少しでもお伝えすることができればと思います。
先ず「道具」についてですが、「緩和ケア研修会(PEACE研修会)」で岡田先生と御一緒に仕事をさせて頂く中で、教えて頂いた言葉です。
このPEACE研修会というのは、「がんに携わる総ての医師(全国で約10万人、大阪府で約1万人)を対象として、緩和ケアを普及啓発する研修会」です。内容は参加者が黙って講師の話を聴くというものではなく、参加者(医師・看護師・薬剤師・臨床心理士・理学療法士・ケースワーカー・栄養士など)が小グループで討議をしたり、ロール・プレイとして参加者が患者役・医師役などを演じて体験したりといった実践的で活動的な研修会です。参加者だけでなく、講師(ファシリテーター)も会期中の2日間(土・日)は朝から夜まで、講義をしたり、討議やロール・プレイを観察指導したりと大変な負担となります。非常に大切な仕事ではありますが、平日は病院で多忙に働いて、本来は休むべき週末の土・日に研修会で仕事をして、翌日の月曜日からまた病院業務に戻るとなると、全く休む暇がなくなってしまいます。
PEACE研修会の講師はこのように余りに負担が大きくなりますので、一人の講師が担当するのは1年間に平均4回程度(大阪府内:2010年度)でした。その中で、岡田先生はただでさえ御自身のがん闘病でお疲れのはずなのに、自ら進んで1年間に13回も担当されました。つまり、1年間に52週ある土・日のうち13週を休まずにPEACE研修会のために働かれたという事になります。これでは、余りに不公平になりますので、翌年度からは事前に講師調整を徹底して平均3-4回程度として、前年のように特定の先生に過剰な負担が掛からないように致しました。
この調整に対して、岡田先生から「もっと沢山の研修会を担当させて下さい。できるだけ沢山担当してお役に立ちたい。もし、体調が悪くなって研修会の会場で倒れるような迷惑をお掛けすることがあっても、前のめりになって生きてゆきたい。」と珍しく強く懇願されました。しかしながら、岡田先生の体調も心配でしたが、講師資格のある先生方には公平に分担してい頂きたいという思いもありましたので、その旨を御説明して平均より少し多い程度で我慢して頂きました。その遣り取りの中で、「道具として使って下さい。」という言葉を教えて頂きました。
この「道具」という言葉は、カトリック信者である岡田先生の洗礼名にもなっているアッシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」に出てくる言葉だそうです。それをお教え頂いた際の岡田先生からのメールを一部引用して、岡田先生が大切にしておられた「平和の祈り」を御紹介したいと思います。


〔岡田先生から頂いたメール〕
 私が最近になってやっと心にひっかかることなく唱えられるようになった私の洗礼名のアッシジの聖フランチェスコの平和の祈りです。有名な祈りなのでご存知かもしれませんが(ダイアナ妃のお葬式のときに、カトリックの祈りであるのにもかかわらず唱えられました)、お礼に送ります。



「平和の祈り」

神よ、私をあなたの平和の道具として下さい
憎しみのあるところに愛を
争いのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑いのあるところに信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のあるところに希望を
悲しみのあるところに喜びを
闇に光を
もたらすものとして下さい

慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを
求めるものとして下さい

なぜなら
与えるから受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて 死ぬことによってのみ
永遠の命をいただくのですから

高槻赤十字病院 岡田圭司

このメールを頂いて、岡田先生が御自身のすべてを神の道具として捧げようとしておられたことを改めて知りました。自分自身よりも他者のために一つの「道具」として生きて、他者の幸福や平和を願う強い意志を感じました。まさに御自身のがん闘病中に「前のめりになって」自己犠牲を体現されている最中に頂いた言葉ですので、これ以後、「道具」というありふれた言葉が、私にとっては大きな意味を持つ重い言葉になりました。最初に、この大切な言葉を与えて頂いた時に、岡田先生が「モジモジ・キョロキョロ」されていたのを思い出します。少しうつむいてモジモジして、あの大きな眼をキョロキョロさせながら、訥々と話し始められました。大切な言葉だからこそ丁寧に謙虚に伝えたいという思いがよくわかりました。これ以後、岡田先生が「モジモジ・キョロキョロ」されている時は、何か大切なことを言いたい時だなと思うようになりました。

岡田先生に教えて頂いたもう一つの言葉「大切にしているもの」についてですが、これは岡田先生が緩和ケア医としてよりも、一人のがん患者として伝えたかった言葉であったと思います。
「患者さんが苦しい時や辛い時に本当に救いになるのは、患者自身のことや患者が大切にしているものを、目の前にいる人(医療者など)が尊重(respect)してくれていると感じられることです。」と言われました。そのようなお話の時に、また「モジモジ・キョロキョロ」されたので、何か仰いたいのかなと考えて「(岡田)先生が一番大切にされているのは何ですか?」とお尋ねしましたところ、照れながらすごく嬉しそうに「娘ですよ。」とお答えになりました。それ以後も、お嬢さんのことを話題にすると、多少しんどい時でも、生き生きとした表情でお話をされていました。
このようなお話から「大切にしているもの」つまり「生き甲斐といえるもの」を患者の目線で尊重してこそ、患者さんに前向きな力が湧いてきて、医療者の持っている緩和ケアの知識や技術が活きてくるということを教えて頂きました。

岡田先生は熱心なカトリック信者でしたが、お付き合いする中で決して宗教的なお話はされず、信仰を押し付けるようなことはされませんでした。ただ、患者さんや御家族に謙虚に優しく寄り添い仕えるという方でした。岡田先生にお教え頂いた「道具」と「大切にしているもの」という2つの言葉は、「緩和ケア」ばかりではなく医療一般においても、最も基本になる言葉ではないかと思います。岡田先生の思いが、この2つの言葉を通じて、少しでも多くの方々に伝わり、患者さんや御家族が安心して納得できる医療を受けることができるようになることを心から願っております。



略歴
柏木雄次郎(かしわぎ ゆうじろう)

昭和60年佐賀医科大学医学部(現・佐賀大学医学部)医学科 卒業後、大阪大学医学部附属病院第三内科(研修医)、大阪第二警察病院第二内科、同精神科、大阪府立中宮病院、大阪大学医学部附属病院神経科精神科を経て平成12年関西労災病院神経精神科(現・心療内科精神科)管理部長。平成18年大阪府立成人病センター脳神経科(現・心療緩和科)部長、兼 緩和ケア室長を経て平成24年関西福祉科学大学社会福祉学部臨床心理学科教授、現職。
所属学会:日本緩和医療学会(理事・代議員、暫定指導医)、日本サイコオンコロジー学会(理事・代議員)、日本職業・災害医学会(評議員)、日本精神神経学会(指導医・専門医)、日本心身医学会(代議員)など
公的活動:大阪府がん診療連携協議会・緩和ケア部会・部会長(~平成24年5月)、大阪府緩和ケア推進委員会・委員長(~平成23年8月)、大阪府がん対策推進委員会・緩和ケア推進部会・部会長(~現在)


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