市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会
個々の患者の体験談を患者や市民に生かす

『患者さんたちが語る「余命」告知 ~「生きる」ことを支える医療を(2)』


認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパン
事務局長 佐藤(佐久間) りか
十年以上に亘る「市民のためのがん治療の会」の活動でも明らかになってきたことの一つに、患者や家族は、 同じような病状を経験した患者の体験を知りたいという思いが強いということである。 当会の「がんは放射線でここまで治る」の第一集、第二集で企画した、患者と主治医が一つのユニットを形成して、 患者は病状やそれに伴う体験談を示し、主治医が医学的に治療経過を示すという方式も、 このような流れ一つと言えるかもしれない。
ディペックス・ジャパンは、このような活動をさらに深化させ、個々の患者の体験をデータベース化し、患者や家族、 一般市民はもとより、医療系学生の教育や、患者主体の医療の実現に資するような研究に 活用していく活動をしておられる。
今回はその活動について、ディペックス・ジャパン佐藤(佐久間)りか事務局長にご寄稿いただいた。
先週に続いての連載2回目です。
(會田 昭一郎)
(以下に紹介されている語りは、すべて「健康と病いの語りデータベース」というウェブサイト http://www.dipex-j.orgで、動画で見ることができます。)

一方的な生命予後告知の問題点
私たちのインタビューでは、自分から生命予後について医師に尋ね、「5年生存率は10%以下」と言われても、 「その10%に入ればいい」と思った人がいた一方、検診でがんが見つかり、自分から聞いたわけでもないのに、 一方的に生命予後を告知されたことに強い不快感を覚えた人もいました。

「大学病院の先生が、余命ということをね、告知するときにですね、余命という言葉を言いましてですね、 じゃ、このままでいったら、あなたは、まあ5年後に生きてる確率は、多分70パーセントぐらいの話をしていましたが、 (そう)いうふうなことを言われましたけども、何であなたにそんなこと言われなきゃなんないのかというのは思いましたですね。 別にそれは決まったものでもないし、しかも70パーセント生きているとか…」69歳・前立腺がん)。

先の男性に比べると生命予後は悪くないのですが、それでも5年生存率70%ということは5年間に30%が亡くなる、 ということです。特に自覚症状もなく過ごしている人は、5年以内に自分が死ぬなどということは普通考えていませんから、 生存率が70%と言われてもありがたい情報ではありません。一方的な告知を不愉快に思った男性はこの病院で 治療を受けるのをやめたそうです。「必要のない余命告知」は「医者のリスクヘッジ」に過ぎない、 つまり医師が後から責任を問われることがないように言っているだけだと感じたからだと言います。

一方、「病状をはっきり知りたいですか?」と聞かれ、「はい、知りたいです」と答えて、「もう数ヶ月の命です」 と告げられた人もいました。この男性はもともと腰痛が原因で入院していたので、よもや自分ががんだとは思わずに 答えたのですが、いきなりそのようなことを言われ、「え、何ですか?って言ったら、もう、前立腺がんのがん細胞が、 全身に転移していますんでっていう理由で言われましたけども。そのときはね、とにかく、えー? と思いましたね。 ショックが大きかったですね。本当に、ええ」71歳・前立腺がん)。

このように本人が望んでいない(あるいはがんであることを知らない)のに、 極めて具体的な数字で生命予後の情報が提供された場合、それを聞いた患者さんは大きな衝撃を受けます。 それは単に心の準備ができていないから、というだけでなく、そうした情報がその人がこれから生きていく上で 役に立つ情報にならないからではないかと思います。

意味や目的が共有されないデータは死んだ情報
「情報とは、データに意味と目的を加えたものである」という経済学者ピーター・ドラッカーの言葉がありますが、 5年生存率も生存期間中央値もあくまで統計データに過ぎないわけで、そこに意味や目的がなければ生きた情報とは 言えないのかもしれません。私たちのインタビューでも、生命予後を知りたいといった人たちは、「身辺整理をするため」 「自分が生きてきた時間を振り返るため」といった理由を挙げ、中には実際に業務用シュレッダーを借りて残して おきたくない書類を処分したという人や、子供たちのためにエンディングノートを書き残すことにした人もいました。

その一方で、「余命告知=死」ととらえて人生の清算をするのではなく、逆に「残りの人生をしっかり生きるために」 生命予後を知りたいと思った人もいます。

再発と転移のときに関しては、「もう治ることは難しいです」っていうこともはっきり言われて、 「これから、あなたがどう生きたいか教えてください。その生きたいように生きられるように、私たちもお手伝いをします」 っていうふうに先生に言われました。……そのときに参考余命というのも聞いて、 「私みたいな人の場合はどのぐらい生きられるんですか? 私は抗がん剤をやりたくないんです」って、 その時には言ったんですよね。「3 年」って言われました。で、まあもう3年、今、過ぎてますけれども、でも、 それはもちろんそれ以上生きる人もいるし、そこまで生きられない人もいるっていう全部を含めた上でのあくまでも 平均的な数値ということで伺ったんですけれども。で、まあ母は泣いてたんですけど、私は淡々と先生と話をしていました。 …私自身の気持ちとしては、まあはっきり聞きたかったっていうのが一番だと思います。で、それによって、 これから先の自分の人生を考えようっていうふうに思いましたし、そこで、イコール死っていうことは全く考えなかったので、 まあ今現在もそうですけど、動けて、しゃべれて、食べられて、何不自由なく暮らせていることに変わりはないので、ただ、 この現状を維持するために何が必要かっていうことを知りたかったので、はっきりとそこでは聞きました。乳がん・30 代)

「生きてきた時間を振り返るため」でも「これからの人生を考えるため」でも、はっきりした目的を持っている人にとっては、 生命予後に関する統計データは、意味のある生きた情報となります。例えば2つの治療法のいずれかを選択するということ であれば、それぞれの治療法の5年生存率を知ることは、患者がこれからも生きていく上で有益な情報だと言えるでしょう。 しかし、同じ情報でも、そもそもそのようなことを知りたいと思っていない人に、 一方的に単に統計的事実として伝えられるとき、それは「情報」ではなく「宣告」になってしまうのです。

シェアードデシジョンメイキング(情報を共有し、一緒に悩んで決める医療)
医療者が患者に生命予後の情報を伝えるときには、何のためにそれを伝えるのか、ということを両者の間で 共有されていなければなりません。医師は「残された時間が少ないなら身辺整理も必要だろう」 と考えているのかもしれませんが、本当にその患者さんが身辺整理をしたいと考えているかどうかを確認したうえで 話しているでしょうか。逆に、患者の側としては、求めてもいない情報を与えられることに不信感を募らせることにもなります。 先に余命告知は「医者のリスクヘッジ」という言葉を紹介しましたが、同様の発言は複数の人たちから聞かれました。

医療者はね、やっぱりね、…安全性のために、あれ、言うんでしょうね。例えば自分でね、余命が例えば 1 年ぐらい思ってでも、「3 ヶ月ですよ」とか「6 ヶ月ですよ」って言うわけですわ。それで1 年生きたら、 「よかったね」 と言えるでしょう? それをね、「3 ヶ月ですよ」「6 ヶ月ですよ」 って言うてしまうと、気の弱い人は、 それで3 ヶ月後(のち) に死ぬんですよ。言われたから。医者が言うことは正しいなと思って。ですからね、 かえっていかんと思いますね。66歳・前立腺がん)

生命予後情報の提供がかえって医師と患者の間に不信感の壁を作ってしまうような状況は望ましいことではありません。 医療者には生命予後について伝えることが、その人が残りの人生を生きたいように生きることにつながって行くかどうか、 ということを考えてほしいと思います。患者のエンパワーメントにつながるような情報提供には、「目的の共有」が前提です。 インフォームドコンセントからインフォームドチョイスへ、そして今、シェアードデシジョンメイキング (情報を共有し、一緒に悩んで決める医療)へと、医療における意思決定のプロセスが変わりつつある中で、 生命予後情報の提供のあり方にも、変革が求められています。(完)

略歴
佐藤(佐久間) りか

1982年東京大学文学部心理学科卒業後、パルコ「月刊アクロス」編集部勤務。
1991年ニューヨーク大学大学院アメリカ文化科修士号取得後、2002年東京学芸大学非常勤講師(講座「性と人権」)、 2008年プリンストン大学大学院社会学科修士号取得。
2004年お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員を経て、2007年ディペックス・ジャパン事務局長、現職。
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