『乳がんの術後放射線治療で最先端の技術を推奨する理由(2)』
札幌高機能放射線治療センター センター長
岸 和史
今回は乳がん、特に左乳房のがんの場合の放射線照射と心臓との関係などを事例に、北海道大野記念病院 副院長で札幌高機能放射線治療センター センター長の岸 和史先生に解説していただいた。長文であるので先週に引き続き連載させていただきます。
サラ先生の論文
Sara C. Darby(サラ医師)は、2013年のNew England Journal of Medicineに載った論文の序文で次のように述べています。「多くの女性乳癌患者に対して、乳房温存手術(乳腺腫瘤摘出術)後に、癌再発のリスクを低減するための放射線治療が行われています。しかし正常組織に対する、特に心臓へのリスクはいままで具体的には明らかにされていなかった。」
彼女らはビッグデータを過去にさかのぼり1958-2001年の間に乳癌術後放射線治療を受けた2168人の女性のデータの調査・分析を行った。調査対象となったほとんどすべての患者さんは従来法での照射を受けています。調べてみると心臓発作、動脈閉塞疎通の手術または虚血性心疾患による死亡などの重大な冠動脈イベントの発生は、心臓への平均線量1Gyあたりで7.4%増加することがわかった(図3)。調査対象全女性2168人の平均の心線量は4.9Gyで、心障害のリスクが照射によって36%も上昇していた。従来法では、心臓障害リスクは1.36倍だった。
サラ先生の調べた患者さん達の中で最も多く被ばくしていた方の心臓の平均線量は15.8Gyで、心臓障害リスクは116%上昇していた(2.16倍に上昇)していたことが分かりました。
心臓は左側にあるので左側の照射は心臓リスクが高くなりやすく、照射の影響は数年以内に始まり20年以上の長年に亘(わた)ることも明らかになりました。肥満や高血圧といった心臓病のリスク因子があると、放射線治療後の心臓リスクはさらに高くなっていました。さらに、全体の死亡リスクにも放射線治療の時の心臓の線量が寄与していたことが分かった(図4)。
またBoero先生の2000-2009年に照射を受けた29,102人を調査した2016年の報告では右乳房に放射線治療を受けた人よりも左乳房に受けた人で虚血性心疾患イベントの発生頻度が1%高かったことが分かった(2)。
心臓障害リスク1.36倍という数字の大きさ 受動喫煙でのリスクと比較
このリスクの大きさは受動喫煙で心筋梗塞や狭心症で死亡するリスクと近い数字です。受動喫煙を受けるときはにおいや煙でわかります。禁煙区域に逃げることもできます。なんといってもほとんどの医療施設では喫煙は禁止されています。乳がんの放射線治療の際に患者さんがリスクを回避することができるようにするにはどうすればよいでしょうか。
サラの報告を直視する世界としない国
同様の報告が山のように発表されていますが、とりわけ、このサラの報告は世界で衝撃的でした。いかに心臓の線量を低くするか、世界中の患者も医師も腐心するようになりました。一方で日本は、国民性なのかこういうnegativeな情報に目を背け重要であってもあまり話題になっていないように感じます。そして結果として何の対策もしていないのかもしれません。リスクがイベントになるまで何もしないのは大変な誤りです。リスクが発生した時点でその”痛さ“を測るには期待損失という計算の方法がありますので見てみましょう。
心臓障害リスクの大きさと期待損失額は37万8000円
虚血性心疾患などの心臓障害を患うと生涯で医療費が平均で1500万程増加するといわれています。
従来の照射方法の選択によって増加する虚血性心疾患リスクの36%の増加、というのは境界型糖尿病の虚血性心疾患リスクの増加分37% に近い値です。日本ではおおむね0.7%近くの方が虚血性心疾患なので、0.7x(1/100)x0.36x 15000000=37万8千円分の平均期待損失額が従来法を選択した時点で確定したことになります。支払う医療費よりも本当の損失は厳しい生活制限や私たちの生命の喪失です(グラフ左の死亡リスクの増加を見てください)。生命保険よりも予防できるものなら予防を選択しましょう。海外では自分でお金を出してでもトモセラピーにとどまらず粒子線治療を選択する人が世界中で増加しています。
サラ報告は患者さんの選択を変え、医師の努力も考え方も変えた
世界では、受動喫煙と同じ程度の期待損失を患者さんにもたらしてしまう、ということは、十分な説明による選択の機会がなければ、患者さんを被害者にしてしまうことになります。世界中の医療機関は、肺や心臓を回避する能力の高い機器すなわち、小線源治療や、トモセラピーのような超高精度のX線外部照射の治療機器や、粒子線治療機器などを揃えるところが増加し、それに応じた研究会や学会が誕生し、世界中の医療機器開発メーカーは開発にしのぎを削っています。サラ報告は努力と進歩へのモチベーションを高めた。
私たちは最高の医療を提供する努力を続けようと思う
私たち、社会医療法人孝仁会北海道大野記念病院の 札幌高機能放射線治療センター Sapporo High Functioning Radiotherapy Center (SAFRA)も、トモセラピー、サイバーナイフ、Proteus Oneの陽子線治療システム(2018~)を擁してそれらの機能を最大限に活用するシステムを構築して、与えられたミッションにこたえていきたいと思います。
陽子線治療が乳がんの術後照射として普及しはじめている理由
粒子線治療が乳がんの術後照射で普及している理由は虚血性心疾患などの心臓障害を患うリスクを減らせると考えられているからです。もちろん減らせる障害リスクは心臓障害だけでなく肺障害リスクを減らすことができます。先ほども述べましたが欧米では日本よりも健康意識が高く乳癌術所照射に陽子線を使う施設が増加しています。図5は、フロリダ大学のサイトから引用した図で、一般的なIMRT(Tomotherapyではありません)と陽子線を乳房切除後の左胸壁の局所リンパ節を照射するときの線量分布で比較した図です。IMRT(左)では肺(Lung)へも、心臓(Heart)にも陽子線治療(右)に比べて多くの線量が入っていることがわかります。陽子線治療が乳がんの術後照射として普及しはじめている理由は、既存の照射方法に比べて心臓や肺に照射される量が少ないからです。こういった施設の中にはIMRTと陽子線を両方でベストプランを計画して、どちらを選ぶか患者さんに選択して頂いているところがあります。私たちも今後そのようにして、本当にメリットのはっきりした治療を患者さんに選んでいただけるようにしていく計画です。
https://www.floridaproton.org/cancers-treated/breast-cancer
References
- 2. Boero IJ, Paravati AJ, Triplett DP, Hwang L, Matsuno RK, Gillespie EF, et al. Modern Radiation Therapy and Cardiac Outcomes in Breast Cancer. Int J Radiat Oncol Biol Phys. 2016;94(4):700-8.
1983年和歌山県立医科大学医学部医学科卒業後、同大学助手(放射線医学講座)、講師、助教授、准教授を経て2013年医療法人北斗 北斗病院放射線治療科部長、2014年より副院長。2016年10月15日の開院日をもって現職。
この間1997年米国テキサス州立大学MDアンダーソン癌センター実験放射線腫瘍学教室にPostdoctoral Fellowとして留学
日本放射線腫瘍学会認定医、放射線治療専門医、医学博士