市民のためのがん治療の会
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発達障害など子どもの脳発達の異常の増加と多様性

『原因としてのネオニコチノイドなどの農薬,環境化学物質(上)』


環境脳神経科学情報センター・代表
黒田 洋一郎
この論文は黒田先生のライフワークの総決算的な論文で、「科学」(岩波書店)2017年4月号に掲載されたものです。
長文で難解かもしれませんが、今後、増加している農薬の健康問題や小児の脳の発達障害を論ずる場合にはぜひ市民も読むべき論文です。 幸い岩波書店との間の調整も付いているとのことですので、全文を2回に分割して掲載することとしました。
(市民のためのがん治療の会顧問 西尾 正道)

1.日本での脳の発達障害/発達異常の近年の著しい増加

発達障害,知的障害などの日本全国の小中学校における増加の継続

近年日本では自閉症スペクトラム障害(以下自閉症),注意欠如多動性障害(ADHD), 学習障害など子どもの脳の発達障害など,脳の発達異常の増加とその発症原因に注目が集まっている。 文部科学省(文科省)の2016年の資料1によれば,全国の自閉症などの発達障害児は,特別支援(図1),通級(図2)を問わず統計をとって以来,増加を続けている。 実は自閉症の近年の増加は,程度の差はあるが日本,韓国,英国,米国など先進国共通で,国際的にも『Nature』誌をはじめ医学・科学雑誌で注目されている2。 後にも触れるが,国別に自閉症の有病率を比較する疫学論文が2012年に初めてでていて,それによると日本と韓国の自閉症の有病率は,なんと断トツに高い(図5 左参照)。

文科省の資料でも,自閉症も,ADHDも,学習障害も,診断された発達障害児は,診断名を問わず増加している。 診断名である発達障害より一般に重い,知的障害児も増えていることも注目され,脳の発達異常の多様性がうかがえる。

診断されない子,診断基準以下の子

しかし,専門医として全国の小中学校の通常クラス約2万人を調査した,神尾陽子(国立精神・神経センター,児童思春期精神部)が指摘する通り3, 通常のクラスに約2.4%もの自閉症と診断される子がいるのも問題だが,「発達障害などの可能性のある子ども」の数も非常に多いことである。 しかも彼らの多くは一般に,まだ特別支援教育の対象になっていない。 これを改善するためか,特別支援教育などを担当する教員の増加が予算要求され,2017年は全国の小中学校で約600人が増員されると言う。

最近の児童精神科医師らの「発達障害児とその支援システム」についてのいくつかの都市別調査4では, 地域差はあるようだが,学校側が発達障害ではないかと疑う子どもの数は,全体の児童数の10%を超えている。 アンケート調査なので,学校の判断,医師の診断,発達障害を医師に受診する子どもの割合などバラツキがあるらしく,たので, 神尾陽子らが試みた自閉症早期診断ツール:幼児用対人コミュニケーション行動評価尺度(BISCUIT)などを用い,統一した診断基準による全国的な疫学調査をするべきであろう。

脳の発達異常の増加の多様性と,原因となる環境要因

見逃せないのは子どもたちの脳の発達異常の多様性である。 各種の発達障害(特定のいくつかの機能神経回路が障害されているとみられる)が増えているばかりでなく, 発達障害よりも診断がより容易な知的障害(おそらく脳の機能神経回路の発達がより広範に障害されている)も毎年増えている。この増加の原因は何であろうか。


遺伝要因は遺伝子背景として「障害のなりやすさ」を規定しているだけで, 遺伝子の変化は,そもそも数年,数十年単位では,大きな集団には絶対に広がらないので,増加の原因には原理的になり得ない。 したがって,より強力な環境要因が加わったか,より多種の環境要因がより複合的に加わったか,より長期に蓄積した環境要因が加わったか, それらの複合ないしその全てである可能性はある。 環境要因のなかでも,神経毒性をもつ環境化学物質の多様性については後述する。 より強力な環境要因として,ネオニコチノイド農薬(ネオニコ農薬)がある。 子どもたちの脳の発達異常の増加にほぼ併行して,最近日本ばかりでなく世界で使用量が増えており, その発達神経毒性(発達障害をヒトで起こす毒性)が2016年にネズミ(マウス)ではっきりと証明されたからだ6

後で述べるが,発達神経毒性が同じくマウスやサルで証明されている環境化学物質に,ダイオキシン類7,およびダイオキシン様毒性のあるPCB類14などもある。 しかしその摂取量は,日本では2001年以降徐々に減っており,最近はあるレベルで止まって増加はしていない8。 PCB,ダイオキシン類などの発達神経毒性をもつ,多様な環境化学物質も発達障害を起こしている可能性は高いが, それらが現在の日本での脳の発達異常の増加の主な原因とは,今の所のデータでは疫学的に言いにくい。 使用量が減少し摂取量に変化のないものに比べれば,ネオニコ農薬の方が使用量が併行して増加しており,怪しいのである。

2 脳発達の異常を起こす,発症メカニズム ―― 遺伝と環境の相互作用

自閉症をはじめとする発達障害の医学/生物学的研究は, M. ラター(モーズレイ病院/ロンドン大学精神医学研究所)が「自閉症は先天性(遺伝のみでなく胎児期の環境も影響)の脳の異常, すなわち脳の器質的障害である」と述べたあたりから盛んになってきた。

米国で世界初の脳研究を統合した「神経科学会」(最初なので国名はなく,The Society for euroscience:今では日本からばかりでなく世界中の脳研究者が米国に集まる。 日本では10年ほど遅れて日本神経科学学会が発足)ができた頃で, 「心」の問題を「脳」で解く,分子(化学物質)細胞レベルに及ぶヒト脳の構造と,ヒト脳の高次機能(記憶や学習,言語など)の実態への,人々の関心の高まりと呼応している。

なお,ヒト脳の構造と機能,発達障害の多様な症状,それに対応する脳の微細な異常(シナプスなど),環境要因(特に農薬など環境化学物質)の多様性,発症メカニズムなどは, それぞれ大変複雑で短くまとめるのは無理があり,詳しい内容や引用文献を知りたい方は,黒田洋一郎,木村―黒田純子:『発達障害の原因と発症メカニズム』5を参照されたい。

ヒト脳の発達と遺伝子発現(遺伝子の働き)の調節の重要さ

ヒト脳(特に高次機能)が発達するには,個人,個人で少しずつ違う数千の,DNA上の遺伝子が全て順序よく働き, 定型/正常な遺伝子発現(mRNAへの転写,タンパク合成)による脳細胞の分裂/分化が必須である。 特に重要なのは,約1000億もの神経細胞が他の神経細胞とシナプスの機能結合によってつながり,脳のそれぞれの機能を担うそれぞれの神経回路ができる過程で, これにも膨大な数の遺伝子を1つ1つ次々に発現するための複雑な調節が関わってくる。 脳の発達のための,この多様な遺伝子の働きの調節(広義のエピジェネティックな過程)は多様な環境要因(生育環境や農薬などの化学物質環境)によっても変化を受けるため, 異常な発達はもちろん,定型的(正常な)な発達においてさえ1人1人一部異なった神経回路群が形成され,異なった脳(人格)が形成されると考えられる。 つまり脳の発達,ことに高次機能では,遺伝子の個人的違いだけでなく,環境による遺伝子発現すなわち遺伝子の働きの調節の違いが重要で, 脳内の化学物質環境はもちろん,親との触れ合いなども関わる。そのため有害な環境化学物質の曝露や虐待などの極端なストレスが脳の発達を障害することがあるのだ(図3)5

発達障害児の行動/症状の異常,脳の異常の多様性と重なり

発達障害の症状は多様で,重いものや軽いものがあり2つ以上の症状を重ねてもつことも多い。

どうしてこのような症状の違いや重なりが起きるのであろうか。 それは特定の行動(発達障害では脳の高次機能が多い)に対応する特定の神経回路が,脳内で正常に発達できなかったからで, 異常の起こった神経回路(シナプス)形成の種類と数によって,自発達障害など子どもの脳発達の異常の増加と多様性科学0391閉症,ADHDなど症状が違ったり,重なったりすると考えられる。 しかし異常のあった行動/神経回路以外の,行動/神経回路は全て正常なので,発達障害児は定型発達した普通の子と,一見では見分けにくい場合も多く,誤解を招きやすい。 自閉症やADHDには男子がなりやすく,性差がある。また高機能自閉症児の一部(以前アスペルガー症候群と呼ばれていた)などでは, 知的能力,芸術的能力などが天才と言われるほど高い子もおり,脳の異常といっても,様々である。

発症の引き金をひくと思われる環境要因も化学物質環境,養育環境など多様で, いずれも神経回路(シナプス)形成に関わる遺伝子発現を変化させるが,神経回路(シナプス)の種類や形成時期によって個々の子どもの症状が異なり,症状や発症時期に多様性が生じると考えられる。 そのため筆者は,発達障害に似ていて,原因が同じく出生前に溯ることが想定される,思春期以降に発症しやすい統合失調症や双極性障害(躁うつ病), 学童期以降のうつ病,うつ状態などを含む,精神疾患の共通な発症メカニズムを意識して,「シナプス症」という共通名の仮説を提唱している5


“なりやすさ”を決める「遺伝子背景」と引き金をひく「環境因子」

自閉症は当初遺伝要因が大きいと考えられたため,原因遺伝子探索の研究が数多くされたが,原因遺伝子は見つからず,代わりに500以上もの自閉症関連遺伝子が見つかった5,9。 この自閉症関連遺伝子群が大なり小なり,自閉症の“なりやすさ”を決める遺伝子背景となり,これに多様な環境因子が関わり,自閉症などの発達障害を起こすと考えられる。 中でも発達期の脳に侵入する有害な環境化学物質曝露が大きく関わっていることは,ヒトの疫学や動物実験など多数の研究報告からますます確実となってきている5

1950年代頃から近代化学工業の進展は著しく,多種多様の合成化学物質をその毒性には考慮せず使ってきてしまい,水俣病など様々な人的被害をもたらした。 環境省の最近の調査10でも,日本では一般成人でも多数の環境化学物質に常時曝露している。 全員からかなりの量が検出されるものだけでも,DDTなど有機塩素系農薬,有機リン系農薬,ダイオキシン,PCB,フッ素化合物,フタル酸エステル,水銀,カドミウムなどがあり,日本人の胎児, ことにその脳にも,当然これら環境化学物質の曝露,複合汚染が起こっている11

神経毒性をもつ環境化学物質の多様性と発達神経毒性

神経毒性をもつ環境化学物質には,有機リン系,ネオニコ系,ピレスロイド系などの農薬類;水銀,鉛,アルミなどの金属類;ダイオキシン,PCB,難燃材など塩素,フッ素有機化合物などがあり著しく多様である。 既に日本人では全員に普通に起こっている複合汚染を考えると,多様さはさらに複雑になる。 その上に遺伝子と環境との相互作用がある。2016年に出た詳しい総説12によれば,自閉症の発症に特に関わると思われる遺伝子(Autismsusceptibility genes)は206あり, これらと反応しうる化学物質との組み合わせは約100万に及ぶと想定されている。 しかし,自閉症と環境化学物質との相関を見た疫学調査の最近の総説では,自閉症と強い相関が見られるのは農薬と大気汚染で,他の重金属などは相関があまり強くないとされている13

PCBの曝露による次世代の高次行動の変化は,ヒトの自閉症など発達障害を意識したため, 当初マウス・ラットでは検出できにくいと考え,黒田らのCREST研究では,吉川泰弘(東京大学農学部・獣医畜産学,当時)グループは,高価だがサルを実験動物として使った。 小山高正,川崎勝義,根岸隆之,中神明子らは,実験用カニクイザルを用い,母ザルは既にPCBで汚染していたので,母ザルの血中PCB濃度と生まれた仔ザルの母子行動の変化を観察し, 特に高濃度PCB被曝群では,母ザルを注視しない,近寄らないなど自閉症幼児と似た行動を示した14。 またビスフェノールAを与えた母ザルから生まれた仔ザルは,なんとオスのみに探索行動,性繁殖行動の低下が見られた15

最近ではより安価な実験用マーモセットが使えるであろう。 その後,ダイオキシン(TCDD)の発達神経毒性は遠山千春(東京大学医学系大学院・健康環境医工学,当時)のグループによりマウスで証明されている7, 16。 さらに最近,木村栄輝らは,ダイオキシン曝露した母マウスから生まれた,行動異常が起こった仔マウスの扁桃体の神経細胞にある樹上突起の異常を観察した17。 扁桃体は成人の自閉症で変異のある脳の部位の一つとされていたが,さらに小学校入学前の自閉症児の脳をfMRIで観察すると,やはり扁桃体の神経活動に異常があったという18

環境ホルモンを含む環境化学物質による,遺伝子発現の「シグナル毒性」

これら日本人ヒト脳内の環境化学物質は,各々“ただちに”急性毒性を示す濃度ではない。 しかし,脳の発達には常時膨大な遺伝子発現が起こっている。その複雑精緻な調節を担う多くの生理的化学物質(ホルモンや神経伝達物質など)の情報(シグナル)がある。 そのため,それら生理的な化学物質に構造/作用の似た,ネオニコ農薬や環境ホルモンのような人工化学物質は,低濃度でも遺伝子発現を攪乱しやすいと考えられる(図4)。 脳の発達に及ぼす農薬,ダイオキシン,PCBなどの,ことに低濃度だけで見られる影響は,いままであまり調べられていなかったが,最近続々と発達神経毒性が証明され始めた6, 7, 14, 15

また日本では,いわゆる環境ホルモン問題は,「化学工業界の利権を損ねてしまう」“空騒ぎだった”という,国際科学情報に疎い国民への宣伝が,まかり通ってしまっている。 実際は「環境ホルモンが極めて低用量(低濃度)で遺伝子の働き(遺伝子発現:転写など)の調節を攪乱する毒性をもつ」ことは世界的にもますます確かになっている。 「原義によるエピジェネティックな」遺伝子調節のシグナルを,攪乱する毒性の全体の呼称として,新しく「シグナル毒性」という概念が日本から提唱されている。 国際的な環境ホルモン規制(農薬の多くも入る)や,人工化学物質規制の動きも強くなり,多くの論文で科学的にヒトの健康や生態系の問題となっている。

「シグナル毒性」については,わかりやすい図4 と提唱者の菅野純(労働者健康安全機構・バイオアッセイ研究センター所長,国際毒性学連盟会長)の総説19を参照されたい。 最近はWHO20や国際産婦人科連合(FIGO)までも21,「少子化や子どもの健康被害に環境化学物質が及ぼす影響が大きい」と公的に警告発達障害など子どもの脳発達の異常の増加と多様性科学0393しているのに, 情報鎖国化した日本ではあまり考慮されていない。


新しく起こる突然変異(de novo mutation)の増加によるなりやすさの変化

高齢化した父親の精子や母親の卵子のレベルでは,元となる母細胞に新規の突然変異(de novo mutation)が年とともに蓄積し, 生まれた子どもに自閉症や統合失調症などが発症しやすくなる(図3)22

さらに受精卵から分裂したあとの発達段階の体細胞レベルでも,新規の突然変異は意外に多い。 それらの中には自閉症などにかかりやすくなるDNAの変異もあり,自閉症などが発症しやすくなることも疑われている。 両親からの元々の遺伝子からの遺伝ではないが発症し(遺伝要因ではない),子どもにはその遺伝子が伝わる(遺伝要因となる)可能性のあるケースが増えることも考えられる。

その原因も,各種の放射線の外部被曝,内部被曝や,突然変異原性をもつ多様な人工化学物質の体内取り込みや曝露などの環境要因であろう。 このDNAの突然変異は,ヒトの一生を通じ,各種がんの引き金ともなる。 なお脳の神経細胞のうち,特に各種機能に関与して働いているものは一生生き続けるものも多く, 成人のヒト脳は一人の脳でも,厳密には異なったDNA(遺伝子背景)をもつ神経細胞がランダムに存在する,細胞レベルではモザイク状をなしていると考えられ始められた23

そしてこの脳の変異細胞のモザイクはがん,てんかん,知能低下の原因となるばかりでなく,自閉症など発達障害の引き起こすリスクも増えると考えられる。

3 発達障害児から「大人の発達障害」へ

発達障害児の脳も発達し,年齢を重ねるに従い,良くも悪くもなる

「発達障害児の脳も発達する」が,療育など育児環境や農薬などの化学物質環境によって年齢を重ねるに従い,症状は良くなったり悪くなったりする。 自閉症は良い療育を受けたなど幸運な場合,全体の3~25%がある程度治ったという,米国での希望的報告もある。 ADHDでは思春期ごろに“自然に”治るケースも多いらしい。悪い方では,発達障害が一因となる二次障害/三次障害からくる状態がある。 もちろん,これらの状態には複雑な他の原因も関係し,親も絡む幼児期からの育児放棄,虐待24,いじめ;学童期になると同級生などからのいじめ,不登校,引きこもり; 学校をなんとか無事卒業しても,就職できない,就職しない,引きこもり;就職しても,職場の無理解によるトラブル,うつ状態; 大人になっても,引きこもり,親に養ってもらうニート化などがある。このように「大人の発達障害者」の増加も懸念される。

自閉症遺伝原因説の誤りと流布による家族の苦しみ

「不都合な真実」を隠すと,本質的な解決は遅れてしまう。 筆者は昔,アルツハイマー病/脳の老化研究班にも加わっていたので知ったのだが25,40年前頃の日本の社会では,アルツハイマー病の患者は,ことに地方で,家庭内に隠されがちだった。 「アルツハイマー病は遺伝する」という根拠のない“噂”がもともと広まっており,あの当時,患者の家族たちは様々な対応に困った。

今の日本の発達障害ではもっと大変で,欧米の当時の知識の受け売りしかできない無神経な“専門家”が,一般書にまで「自閉症は(92%),遺伝が原因であるといわれている」と書いてしまい, 「母親の育て方が悪い」説の否定にはなったものの,父母はもちろん血縁のある親族すらも,いらぬことを心配するハメになった。 92%の遺伝率と計算されたM. ラターの原論文26は,今は存在しないことが確定した“自閉症の原因遺伝子”探しの研究費申請に都合がよかったので引用され,一般に広まってしまっただけであった。 ラター自身は,原理的にも疑問のある手法で21例しかない昔の不十分な自分の原論文を今は無視し,自らの本にも引用すらしていない。

自閉症は他のあらゆる病気,障害と同じように,“かかりやすさ”を決める遺伝子背景はあるが寄与率は小さく, 特に発達障害では過大な数字になる遺伝率9ですら38%27で,しかもヒトの遺伝要因は一般的に変えることはできない。 一方,発病/発症の“引き金をひく”環境化学物質など環境要因の方は,寄与率は少なくとも62%より大きく,しかも環境要因を変えることによって予防も可能になる。 「自閉症の予防には環境が大切だ」という見解は,日本ではまだ稀で,ごく最近指摘されるようになったものである5

少子化の医学的側面としての環境化学物質

社会問題化している「少子化」も,医学的には30-40年前からの環境化学物質(環境ホルモンなど)による遺伝子発現の変化が引き金をひく,不妊の増加28精子減少などが原因の一つとみられる。 発達障害と同じ,農薬など環境化学物質による遺伝子発現の変化(エピジェネティックなメカニズム)による不妊(胎芽の状態で死亡したことによる,気がつかれない多数の流産も含む)や 精子減少の起こる可能性をしめす医学/生物学論文は最近著しく増えた。国際産婦人科連合(FIGO)も農薬など環境化学物質の出産/胎児への悪影響を警告している21

4.発達障害と農薬の相関関係,因果関係

日本は韓国と並び自閉症の有病率も農薬の使用量も世界1位2位を争う

2012年になって,自閉症スペクトラム障害(この当時は,自閉症と広汎性発達障害に分けられていた)の有病率を国際比較した疫学論文が初めて発表され,なんと日本と韓国の有病率が際立って高かった。 筆者らは動物実験などで因果関係が証明されつつある農薬に着目して,OECD発表の加盟国の農薬使用量と比較してみたところ, 農地単位面積当たりの農薬使用量が世界2位と1位である日本と韓国が,自閉症児の有病率でも共に世界2位と1位で一致し,両方とも3位英国,4位米国で,使用量と有病率の順位が一致した(図5)。

この発達障害と農薬の関係については,既に英国由来の予防医学の伝統のある,米国小児科学会に社会的行動をとらせていた。 2010年から「有機リン系農薬に曝露した子どもにADHDのリスクが高まる」などの多くの疫学論文が相次いで米国で発表された。 因果関係を示す,有機リン系農薬がほ乳類の脳発達に対し行動異常を起こすinvivo, in vitroの動物実験の結果は,それ以前から蓄積されていた。 2012年,米国小児科学会は公的声明をオバマ大統領に送り,マスコミなどにも発表し,「農薬曝露は子どもに発達障害,脳腫瘍などの健康被害を起こす」と米国社会や世界に警告した29

この警告もあり,農薬使用量と発達障害児の増加の因果関係は無視できないと考える。 農薬については,OECDや米国では発達神経毒性試験が一応規定されているが,日本では規定すら曖昧で,しかも農薬会社から報告されたという実験データのほとんどが非公開というのが現状である30。 そのため有機リン系農薬に替わって,この20年間,生産/販売/使用が増加しているネオニコ農薬は, なんと肝心の発達神経毒性試験がきちんと行われないまま,低濃度での安全性が公的には全く確かめられていないまま,全国で今も大量に使用されている。 しかも欧州では,ヒトへの毒性から使用禁止になっているものも多い有機リン系農薬が,日本ではまだ使用され続けている。 ネオニコ農薬を含め,発達神経毒性を含めた農薬全体の安全性からいえば,欧米と比べても日本は異常ともいえる現状である。


ヒト脳の高次機能の発達は,特に農薬など環境化学物質に脆弱

ヒト脳は“超”複雑な構造と機能をもち,多様な化学物質群からなる。 その上,神経伝達物質やホルモンなどの多種の情報化学物質(シグナル化学物質)によって,核などにあるDNAを構成する莫大な遺伝子の発現が調節され, 神経回路/シナプス群などが複雑精緻に作られ機能する「化学情報機械」といえる5。 一般に,複雑精緻な機械ほど壊れやすく,特に多くの化学物質による情報(シグナル,前述)で際どく調節されている微小なシナプス群が,脳に入った類似人工化学物質(シグナル毒性物質)に脆弱で危ない。

ことに現生人類,ヒトになって発達した言語や対人関係をはじめとする脳の高次機能を担う神経回路(シナプス)の形成・維持のシステムは,まだ進化的に完成度が低い可能性がある。 そのため,従来なかった農薬のような外来の人工化学物質(ヒト脳から見れば,予想できず準備もされていない)の侵入などによる,脳の発達過程の遺伝子発現の攪乱に対して脆弱であり,異常が起こりやすいと考えられる。

実際,自閉症で障害の起こるのは,高次機能のうちでも,サルではなくヒトで高度化した機能,すなわちヒトで極く最近進化した,集団のなかでの他人との付き合い方など, 社会的な機能が大部分である.少しぐらいの「攪乱」「ゆらぎ」は自動的に修復できる通常の記憶システムなどは,ほ乳類脳の誕生以来既に頑健に進化しており,ヒト独特の機能に比べ異常が起こりにくい。 発達神経毒性をもつ化学物質の脳内侵入など,悪い環境要因がより多く,より強くなると,これらのシステムも障害されるようになる。 より広範な脳の神経回路/シナプス機能に異常を起こし,知的障害など重い症状を合併するのだ。

脳神経科学の現在の知識からいうと,異常が一番起こりやすいのは,「農薬など外来の化学物質への脆弱性が高いシナプスで, ことに長い神経軸索の先端にある高次機能に関係するシナプス群ではないか」と推測される5

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  • M. Hoogman et al.: Lancet Psychiatry, pii: S2215-0366(17)30049-4(2017)

黒田洋一郎(くろだ よういちろう)

環境脳神経科学情報センター・代表,首都大学東京大学院・客員教授,元・東京都神経科学総合研究所・参事研究員, 科学技術振興機構:戦略的創造研究推進事業(CREST)「内分泌かく乱物質の脳の発達への影響と毒性メカニズム」・研究代表者(1999-2005)。 専門:分子細胞神経科学,中枢神経毒性学
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