『がん光免疫療法について』
オピニオングループ編集委員
永山 悦子
ところがNIHの小林久隆先生の開発された光免疫療法は、オバマ前大統領が、2012年の一般教書演説で誇らしげに紹介し、 本年3月25日(日)のNHKスペシアル「シリーズ人体」の中で京都大学の山中伸弥教授が紹介されたように、非常に有力ながん治療法といえよう。
当会でも以前からこの治療法には注目していたが、 何しろ小林先生がNIHにおられることもありなかなか情報が得られなかったが、2007年からこの治療の取材を行っておられ、 最近、「がん光免疫療法の登場 手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療」を上梓された毎日新聞の永山 悦子オピニオングループ編集委員にご寄稿いただいた。
2018年3月、日本国内のがん患者待望の治療法の国内での治験が始まった。 その治療法は「がん光免疫療法(Photo ImmunoTherapy)」と呼ばれ、がん細胞をピンポイントで確実に攻撃する仕組みだ。 従来のがん治療法と大きく異なるコンセプトを持ち、これまで知られている免疫療法とも異なる。 私は2007年にがん光免疫療法につながる研究の取材を始めた。 その10年あまりの取材を基に、光を使った新たながん治療法のメカニズムを紹介したい。
がん光免疫療法を開発したのは、米国立衛生研究所(NIH)の小林久隆・主任研究員だ。 小林さんは京都大医学部を卒業後、放射線科医として臨床現場でがん患者と向き合ってきた。 そこで感じたことは「現在の『3大治療』と呼ばれる手術、放射線、抗がん剤は、いずれも『毒をもって毒を制す』治療。どうしても副作用は避けられない」。 手術でがんを切除すれば周囲の組織も傷つく。 全身に投与される抗がん剤はさまざまな副作用が起きる。 放射線も「ピンポイント」を狙うが、現在の技術では周囲への影響を皆無にすることはできていない。 放射線科治療後の副作用に悩む患者を見てきた小林さんは、できる限りがん細胞だけを攻撃する治療法の開発を目指したという。
がん光免疫療法の効果をマウスを使って確認したという論文は、2011年に米科学誌「ネイチャー・メディシン」に掲載された。 薬と光を使うことによって「物理化学的」にがん細胞の細胞膜に穴を開けて、細胞死へと導く。 これまでの薬剤によるがん治療では、細胞内の機能にダメージを与えるなど「生物学的」な仕組みを利用して殺していた。 しかし、薬が細胞に働きかけても細胞死が起きなかったり、細胞側が薬から逃れる術(耐性)を身につけたり、がん以外の正常細胞への影響が大きかったりして、すべてのがん細胞を殺すことは難しかった。 「物理化学的」な攻撃法は、従来のがん治療ではなかったコンセプトだ。
具体的な仕組みはこうだ。小林さんは、がん細胞表面に数万から数百万と大量に発現している特定の「抗原」と結びつく性質を持つ「抗体」を道具に選んだ。 「抗体ほどピンポイントでがん細胞へ届く物質はない」(小林さん)という。 がん光免疫療法では、抗体に「IR700」という小さな色素を取り付け、できあがったサファイヤブルー色の薬剤を患者に注射や点滴で投与する。 IR700付き抗体が、ターゲットのがん細胞表面の抗原と結びつく頃合い(約1日後)を見計らい、がんの部位に近赤外光を当てる。
IR700は特定の波長の近赤外光が当たると瞬時に水に溶けなくなって、抗体と抗原を巻き込んで丸まる。 この抗体などの急激な変形によってがん細胞の細胞膜に傷がつく。 大量の傷ができることで膜に穴が開き、外から水が流れ込んで、最後は焼き餅のように細胞が破裂して死ぬ。
近赤外光はテレビのリモコンなどにも使われているように、人体には無害な光だ。 IR700は、がんに結びつかなかったものは1~2週間で、がんにくっついたものも1日程度で体外へ排出される。 正常細胞にがんと同じ抗原が出ていても、▽近赤外光が当たらなければ細胞は傷つかない▽正常細胞にがん細胞ほど多くの抗原が出ていることはなく一定数以上の傷がつかなければ細胞膜に穴は開かない||ということから、正常細胞にはほぼ影響はないと考えられるという。
2011年の論文発表後、この治療法の実用化は米国のベンチャー「アスピリアン・セラピューティクス社」が担うことになった。 2015年に米国での治験がスタート。 他の治療法では治癒しなかった再発頭頸部がん患者を対象に実施し、「EGFR」と呼ばれる抗原に結びつく抗体にIR700を付けた薬剤を投与した。 これまでに公表された結果によると、1回だけ治療する治験では、8人のうち7人のがんが縮小し、そのうち3人はがんが消えた。 1人はがんが小さくならなかったものの悪化はしなかった。 がんの状況に応じて最大4回の治療を受けた7人は、全員のがんが縮小し、4人のがんが消えた。
つまり15人の患者のうち14人のがんが縮小し、そのうち7人のがんが消えたことになる。 この15人全員について、薬剤による副作用はないことが確認されたという。 米国では第2相までの治験が既に終わっている。
治験を担当した米ラッシュ大(シカゴ)の医師は「この治療法はとてもユニークで選択的。 そしてあっという間にがん細胞を殺す力がある。まるで『誘導ミサイル』のようだ」と表現した。 たとえば、のどの奥にがんが広がっていた患者の場合、最初は真っ赤だった患部が、光を当てた直後に真っ白に変わり、次の日には表面がボロボロとかさぶたが落ちるようにはがれ始めた。 1週間後には患部が縮まって潰瘍のようになり、1カ月後にはがんがほとんど見えなくなり、新しい粘膜に覆われていたという。 つまり、がん細胞だけが破壊され、周囲の細胞は正常なまま残るため、治療後速やかに新しい粘膜が広がったとみられる。
この治療法は、近赤外光を患部に当てることが治療実施に欠かせないが、細い光ファイバーを患部に刺すなどの方法で、深い部分に光を「届ける」ことは可能だ。 また、小林さんによると今後、抗体の種類を増やしていけば、最終的に8~9割のがんを対象に治療できる可能性が出てくるという。 従来のがん治療は、がんができた臓器やステージが治療法の選択や予後を左右していたが、がん光免疫療法の効果は▽細胞表面に発現する抗原の種類や量▽抗原に結びつく抗体の有無▽がんの深さ(光の当てやすさ)によることになる。
日本での治験は、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で始まった。 対象は、米国と同じように他の治療では治らなかった再発頭頸部がん患者だ。 2018年になり、国内初のがん光免疫療法の治験が東病院で実施されるという情報が明らかになると、全国から東病院に問い合わせが殺到した。 だが、今回の治験は、米国で確認された安全性について人種による差がないかを確認するため、条件にあったごく少数の患者が対象だ。 頭頸部がんであっても、他の全ての治療法が効果がなく、EGFRが表面に出ているタイプのがんに限定される。 このため、東病院の土井俊彦副院長は「多くの患者の皆さんから期待を寄せられているが、まず現在の標準治療に取り組んでほしい」と話す。 今後は、EGFRががん細胞表面にある消化器系のがんなど、内視鏡で光を当てられるがんでの治験も検討することになるという。
治験は日米両国を中心に進められ、米国では承認に向けた第3相が始まる。 小林さんが所属するNIHでも、口の中にできるがん手前の病変「白板症」への治験、ナノサイズの抗がん剤と組み合わせた治験、制御性T細胞を攻撃する治験などを計画している。
「抗体を使うがん治療」というと、従来の分子標的薬を思い出す人も多いだろう。 分子標的薬にも、抗体をがん細胞表面の抗原に結びつけることによって治療するタイプのものがある。 しかし、抗原の働きを完全に抑えなければがんを弱らせることができないため、大量の薬を長期にわたって投与する必要がある。 抗原の形が変わるなど「耐性」が生まれることも多い。 一方、がん光免疫療法は、がん細胞の細胞膜に約1万個の傷がつけば膜に穴が開くことが分かっている。 結びつく抗体が大幅に少なくても効果を見込める。 がん細胞が破壊されれば治療は終わるため、投与回数も少なくなると期待される。 傷の数が少なければ穴が開かないから、正常細胞に影響が出にくいというメリットもある。
名前に「免疫」という言葉が入った理由は、細胞膜が破れるというがん細胞の死に方が、患者の体内の免疫の働きを活発にし、がんへの攻撃を高めるためだ。 細胞が破裂して死ぬと、細胞内の物質が周囲へまき散らされる。 がん細胞近くにいる元気な樹状細胞が細胞からまき散らされた物質を認識して目覚め、そのシグナルをもとに樹状細胞から教育を受けたT細胞が増殖し、がんへの攻撃を開始すると考えられる。
小林さんによると、マウスに移植したがんの大きさに比べて少ない量の光しか当てなくても、がん全体が消えたケースがあったという。 がん光免疫療法による直接的な攻撃以上の効果がマウスの体内で起きたことになる。 そこで、「免疫」という言葉を治療法の名前に加えることになった。
さらに、2016年に米科学誌「サイエンス・トランスレーショナルメディシン」に発表された論文は驚くべき内容だった。 がんが体内で増殖する仕組みに関わる免疫細胞に「制御性T細胞」がある。 制御性T細胞は、がんの周りに集まって「門番」として免疫細胞からのがんへの攻撃を抑えている。
小林さんは、がん光免疫療法でこの制御性T細胞を攻撃するマウス実験をした。 制御性T細胞の表面にある抗原「CD25」とくっつく性質の抗体とIR700を結びつけ、がんを発症させたマウスに投与し、がんのある場所に近赤外光を当てた。 すると約1日でがんが消えた。がんの抗原と直接結びつく抗体ではなかったにもかかわらず、がんが消えた仕組みを調べると、近赤外線を当てて制御性T細胞が壊れると、制御性T細胞が押さえていたT細胞やNK細胞が目覚め、がん細胞への攻撃を始めていた。 がんの「守り」が手薄になり、免疫のがんに対する攻撃力が回復していたのだ。
続いて1匹のマウスに同じ種類のがんを4カ所に発症させ、CD25抗原とくっつく抗体をIR700と結びつけて投与した後、1カ所のがんだけに近赤外光を当てた。 すると全身のがんが消えた。 光を当てた場所で目覚めた攻撃力のあるT細胞が血液に乗って全身を巡り、他の場所のがんまで壊したと考えられる。 異なる種類のがんを同じマウスに移植して同様の治療をしたところ、光を当てたのと同じ種類のがんしか消えなかった。 目覚めたT細胞が攻撃するのは光を当てたがんのみに限られ、正常細胞に影響を及ぼすことはないとみられる。 転移がんの治療に使える可能性を示す成果だ。
最近の新たながん治療は、治療費の高騰が問題になっている。 免疫チェックポイント阻害剤やCAR-T療法は、その代表といえるだろう。 一方、がん光免疫療法は▽投与する抗体量が分子標的薬より少なくても効果が見込める▽投与回数が数回程度で済むと考えられる▽近赤外光を当てるレーザー装置は放射線治療装置などと比べて大幅に安い||などから、それほど高額にならないと期待される。 また、細胞膜を傷つけて破壊する治療法では細胞がそのまま死んでしまうため、新たな攻撃に対応してがん細胞が変異する「耐性」もほぼ生まれないと考えられる。
小林さんのもとには世界中から1000通を超える問い合わせが届いている。 そのうち7割は日本からだ。 がん患者、家族たちの必死な思いが伝わる。 平日の夜や休日を返事を書く時間に当てるというが、返事できていない問い合わせは増え続けている。 「1日も早く実用化したいという気持ちが研究の原動力」と小林さんは話す。
私が最初に小林さんを取材したのは、狙ったがん細胞を光らせる研究だった。 狙ったがん細胞にピンポイントで変化を起こさせるという研究が、がん光免疫療法の開発につながった。 基礎的な動物実験の論文発表(2011年)からわずか4年で治験が始まり、早ければ10年かからず実用化されるというスピード開発の裏には、インターネットショッピングで知られる楽天の三木谷浩史会長の支援があった。 それらの経緯については、拙著「がん光免疫療法の登場 手術や抗がん剤、放射線ではない画期的治療」(青灯社)をご覧いただければと思う。
東京都出身。1991年毎日新聞社入社。 和歌山支局、前橋支局など経て、2002~16年東京本社科学環境部。 環境、宇宙開発、科学技術政策、ライフサイエンスなどを担当。 小惑星探査機はやぶさの地球帰還を現地で取材。 16年4月から医療福祉部副部長。オピニオングループ編集委員