市民のためのがん治療の会
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『地球を脅かす化学物質―発達障害やアレルギー急増の原因』


環境脳神経科学情報センター副代表
木村-黒田 純子

近年、これまでに見られなかったような子どもの健康問題が危惧されています。 アレルギー、喘息など免疫疾患、肥満、糖尿病など代謝・内分泌系の異常、脳の発達に何等かの障害のある子どもが急増していることは、環境省の調査で確認されています。 不妊、不育症も増加して、今後の次世代を担う人口低下は深刻な社会問題です。 一方で、日本の平均寿命は延びていますが、アルツハイマー病、パーキンソン病などの精神・神経疾患やがん疾患が増え、高齢者の健康障害も大きな問題です。

この半世紀で日本の“経済”は急成長し、“食生活”も一見豊かになり、“衛生”状態も向上しているのに、なぜ健康障害が起きているのでしょうか。 この半世紀で私たちを取り巻く環境は大きく変化し、食生活の変化、衛生状態、プラスチック製品など合成化学物質製品の急増、家庭や学校教育、インターネット、携帯電話の普及など環境が大きく変わりました。 これらの環境の変化は人間の健康にそれぞれ関わっていると考えられますが、なかでも1950年頃から急増した膨大な種類の有害な環境化学物質の曝露は負の要因として疑われています。

現在、私たちの身の回りには、膨大な合成化学物質が溢れています。 これらの人工化学物質の合成が始まったのは1950年頃で、それから約半世紀の間に約10万種、総生産量は数億トンに至ると言われています。 人工合成化学物質の開発で、私たちの生活は便利になった一方で、多用された後から毒性が明らかとなり、生態系や人間の健康に重大な障害を起こすことが明らかとなった物質が多々あります。

有機塩素系農薬DDTやPCBなど残留性有機汚染物質は、多量に使用された後、難分解性・高毒性から1970年代にはほぼ生産禁止となりました。 しかし、残留性有機汚染物質は地球全体に汚染が広がってしまい、現在でも低濃度ながら私たち日本人全員に人体汚染が継続しています。 日本では空騒ぎとされてしまった環境ホルモンは、成長期の子どもや生殖器官への悪影響が科学的に立証され、欧米では厳しい規制が実施されているのに、日本では野放しの状態です。 重篤な細菌感染の治療で著しい効果を上げてきた抗生剤、抗菌剤も、むやみに乱用されたため、健康に重要な腸内細菌叢に異常を起こし、薬剤耐性菌が世界中で生まれ問題になっています。

多様な有害化学物質のなかでも、農薬は特に問題です。 農薬は、本来何らかの生き物を殺す殺生剤なので、生態系や人間の健康に影響を及ぼす可能性が高いのです。 ことに脆弱な発達期の子どもへの影響が懸念されています。 DDTなど有機塩素系農薬の代替として多用されてきた有機リン系農薬は、遅発神経毒性や子どもの脳発達に悪影響を及ぼすことが科学的に明らかとなり、欧米ではほぼ使われなくなってきました。 2012年、米国小児科学会は、公式に声明を発表し、“農薬曝露は、子どもの小児がんを増やし、脳発達に悪影響を及ぼすなど健康障害を起こす”と社会に警告を出しました。 一方日本では、有機リン系農薬は殺虫剤のなかで最も多く使われ続けています。

有機リン系農薬の代替として近年使用が急増している浸透性農薬ネオニコチノイドも多量に使用されてから、ハチなど昆虫や生態系への悪影響が確認され、EUでは今年4月に3種のネオニコチノイドが原則使用禁止となりました。 ところが日本では、世界の動向に逆行し、ネオニコチノイドが多量に使用され続けています。 このネオニコチノイドは、子どもの脳発達や免疫系、生殖系にも悪影響を及ぼすことが、動物実験などで確認されてきており、日本での多量使用が懸念されています。 浸透性農薬は、水溶性で根、茎、葉、果実全てに浸透し、残留すると洗っても落ちないので消費者にとっては厄介な性質を持っています。

国内の農産物は安全だと思っている方が多いようですが、日本の農地単位面積当たりの農薬使用量は、OECD加盟国中で一位、二位を占める農薬使用大国です。 2012年に発表された、各国の自閉症の有病率を調べた学術論文のデータを、国別にグラフにしたところ、2008年OECDの農地単位面積当たりの農薬使用量の上位4ヵ国と一致し、韓国、日本、イギリス、米国と続きました(図参照)。 この一致は因果関係を示すものでは決してありませんが、上述した米国小児科学会の勧告もあり、無視できないと考えます。


図. OECD加盟主要国の農地単位面積当たりの農薬使用の実態と自閉症スペクトラム障害の有病率(最近診断名が変わり、自閉症と広汎性発達障害をあわせて自閉症スペクトラム障害と呼ぶようになった。)

農薬の毒性試験には急性毒性、慢性毒性など多種類の試験がありますが、発達神経毒性、環境ホルモン作用、複合影響などは含まれていないので、脆弱な子どもへの影響が確認されていないまま、使用され続けているのです。

ことに近年、日本では自閉症や注意欠如多動性障害(ADHD)など発達障害が急増しており、平成28年の文科省の資料でも明らかです。 発達障害の発症には遺伝要因と環境要因が関わっていますが、近年これほど急増するのは遺伝要因とは考えられず、環境要因が疑われ、なかでも有害な化学物質曝露が懸念されています。 この発達障害の急増と並行して使用量が増えたのは、ネオニコチノイド系農薬です。 煙草の有毒成分ニコチンは、早産や低体重出生、ADHD発症リスクを上げるなど子どもの発達に種々の悪影響を及ぼすことが明らかとなっており、ニコチン類似構造のネオニコチノイドでも同様の影響が懸念されています。 2016年、国立環境研の研究チームは、低用量のネオニコチノイドを母マウス経由で胎児期、授乳期に曝露し、生まれた雄仔マウスに行動異常が認められることを発表しました。 マウスの結果をそのまま人間に外挿することはできませんが、ネオニコチノイド曝露が発達障害急増の一因となっている可能性が考えられます。

実際、日本の3歳児の子どもの尿中からは、有機リン系、ネオニコチノイド系などの農薬が低濃度ではありますが、高率に検出されていることが2016年に発表されており、農薬など有害な化学物質の複合曝露が懸念されます。

さらに日本では、福島原発事故による放射性物質汚染の問題もあります。 低線量の放射線と低用量の発がん物質に同時に曝露すると、一方だけでは発がんしないのに、発がん性が数倍上がるという動物実験もあり、放射線と有害化学物質の複合影響が懸念されます。 また子どもの放射線影響では、チェルノブイリ原発事故後に、発がん以外に免疫疾患、心臓疾患、脳の発達障害などの健康障害が確認されており、多様な健康影響が懸念されます。

では、私たちはこれからどうしたらいいのでしょうか? 歴史は逆戻りはできず、私たちは、感染症に苦しみ、食べ物にも事欠く古代の暮らしには戻れません。 科学技術を妄信せず、人工化学物質の使用については予防原則に立ち、統合された法規制を基本にして使用し、循環型、持続性のある産業を模索していかなければならないのではないでしょうか。 現実的でないと思われる方がいるかもしれませんが、世界を見渡すとEUでは既に予防原則に基づいた化学物質の法規制を進めており、環境ホルモン作用のある物質や農薬など危険性のあるものについては、規制を開始しています。 国連でも2020年を目途に有害な化学物質を規制する目標を掲げているので、日本も早急な対策を迫られているのです。

本書では、人間の健康問題だけでなく、地球生態系の環境問題についても触れました。 人間の健康問題は、地球生態系の環境と深く関わっています。 私たち人間は、地球生態系のなかで、頂点に立って君臨しているのではなく、細菌をはじめとして全ての生き物と共生しながら生きているのです。

私たちは、自分たち自身は元より将来を担う次世代のため、大事な地球環境を守るため、経済優先、利便性優先の生活スタイルを変え、別の道に進む岐路に立っていると思います。 皆さんとご一緒に持続可能な別の道を模索したいと願い、本書を書きました。

なお、本書ではなるべく正確な科学的データを紹介しながら、化学物質が人間にどう関わっているのかをできるだけ分かりやすくを心がけて書きました。 多くの皆様に読んで頂けたら嬉しいです。ご感想、ご批判など歓迎致します。



海鳴社 2018年7月発刊、定価:1500円 (税込み1620円)

目次
はじめに 美しい自然と子どもたちの未来
コラム1:化学物質とは何か
1章 合成化学物質と原子力発電の光と影
1.有害な化学物質にさらされている日本人
2.ホルモンと脳を攪乱する環境化学物質
コラム2:問題のある化学物質の法規制
3.農薬や環境化学物質による自然破壊
4.プラスチックによる人体汚染と環境汚染
5.福島原発事故の負の遺産
コラム3:避難解除の放射線の線量限度は高すぎる
2章 人工化学物質の氾濫―環境汚染を教えてくれた三つの教訓
1.『沈黙の春』の重大な警告
2.『奪われし未来』環境ホルモンは事実だった
3.『ハチはなぜ大量死したのか』と浸透性農薬
3章 環境ホルモンにさらされる人間
1.体のなかのホルモン
2.環境ホルモンによる内分泌攪乱作用
3.オキシトシンは愛のホルモン
4章 脳の発達と環境化学物質
1.脳の構造と働き
2.脳は複雑精緻な化学情報機械
3.脳の発達には環境が大切
コラム4:発達障害の原因は遺伝要因よりも環境要因が大きい
4.脳の発達を阻害する環境化学物質
コラム5:シグナル毒性:新たな毒性メカニズム
5章 胎児期の環境が将来を決める
1.エピジェネティクスとは
2.DNAを合理的に使うシステム
3.受精後に起こる劇的な変化
4.エピジェネティクスを阻害する環境化学物質
コラム6:胎児期の環境が将来の健康や病気を決める
6章 地球生命の歴史38億年
1.単細胞から人間まで共通する生理化学物質
2.物質の輪廻転生-循環する化学物質
3.自然界の循環を攪乱する人口化学物質
7章 人間と細菌たちとの共生関係
1.マイクロバイオーム
2.分かってきた腸内細菌
3.注目の腸管免疫
4.子どもの発達に重要な腸内細菌
5.脳腸相関と腸内細菌
6.腸内細菌を脅かす環境化学物質
コラム7:腸内細菌が人間の神経伝達物質を産生する
8章 化学物質が人体に入る三つの通り道
1.口から入る化学物質
2.呼吸から入る化学物質
3.皮膚から入る化学物質
9章 農薬が生命を脅かす
1.農薬の歴史と種類
2.脳神経を標的とした殺虫剤
3.アセチルコリン系を脅かす殺虫剤
4.脳の発達異常と殺虫剤
5.浸透性農薬が生態系を破壊する
コラム8:斑点米を知っていますか
6.除草剤と遺伝子組換え作物
7.環境ホルモン作用をもつ殺菌剤
コラム9:松枯れ対策の危険な殺虫剤散布
10章 原子力発電が地球の未来を脅かす
1.低線量長期被曝の影響
2.内部被曝の危険性
3.子どもの甲状腺がんと出生異常
4.福島原発事故による自然生態系への影響
コラム10:携帯の電磁波に気を付けよう
11章 危機的状況からの脱出
1.日本の化学物質の法規制―世界との比較
2.環境化学物質の問題は科学技術の進歩では解決できない
3.子どもの健康を守る―予防原則が大切
4.個人でできること
5.オリンピックを契機に「有機・無農薬農業」へ舵取りを
コラム11:生き物と共生する有機・無農薬農業
終わりに 「べつの道」へ

木村-黒田 純子(きむら-くろだ じゅんこ)

東京都生まれ。1975年お茶の水女子大学理学部生物学科卒業、1977年同大学院修士課程を修了後、東京都神経科学総合研究所、微生物学研究室・研究職員、同研究所脳構造研究部門・主任を経て、発生形態研究部門・主任。
1984年、東京大学にて医学博士号取得。

2011年同研究所の統合に伴い公益財団法人・東京都医学総合研究所、 脳発達・神経再生研究分野、神経再生研究室、研究員、2013年~2017年、 同研究所、こどもの脳プロジェクト、研究員。現在、環境脳神経科学情報センター副代表
研究テーマ:環境化学物質による人体影響(とくに脳発達への影響)、生態影響
著書:『発達障害の原因と発症メカニズム 脳神経科学からみた予防、治療・ 療育の可能性』河出書房新社、2014年、黒田洋一郎と共著
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