市民のためのがん治療の会
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患者の利益はいつも蚊帳の外

『放射性医薬品Sr-89の販売中止について』


(独)国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長
「市民のためのがん治療の会」顧問 西尾 正道
放射性医薬品Sr-89(商品名「メタストロン注」)の製造が中止され、多くのがん患者さんが苦しむという骨転移による疼痛に極めて有効と言われる治療を失うこととなった。 結局、経済原則が優先され、採算性の低い薬はどんなに患者にとって役に立つものであっても、製造中止となるという図式だ。
そこでメタストロンの臨床研究等にも主導的な役割を果たしたメタストロン注についての第一人者である当会顧問の西尾正道先生に、この問題についてご寄稿いただいた。
メタストロンの有効性については以下の西尾先生のご寄稿に譲るが、疼痛に悩む患者にとっては大変ありがたいもののようである。 ところが日本ではNDB(レセプト情報・特定健診等情報データベース、National Database)による推計では昨年度のメタストロン使用件数は80件程度という調査結果もあり、これではいくらなんでも採算に合わないだろう。 だが、世界のがん患者は2012年ベースで1400万人と言われ、その1割が骨転移による疼痛に悩むとすれば140万人が治療対象となり、十分商売としても成り立つのではないかと思うが、 こんなに有効な薬が製造中止となる理由は理解できない。 また、製造元の英国GEの経営上の問題であるなら、新規参入があるのが経済原則ではなかろうか。
更には、これだけ原発に拘泥する日本政府は、正に原子力の平和利用の象徴であるSr-89の独自製造に努力したらどうかと思うが、これもないという理由も理解できない。
いつも患者=消費者の利益は蔑ろにされ、患者=消費者は適正な治療を受ける権利を失っている。
(會田 昭一郎)

はじめに

骨転移によるがん性疼痛に対して転移病巣の病態に応じて色々な治療が行われている。 その一つに放射性医薬品であるSr-89(商品名 :メタストロン注)の静脈内投与がある。 しかし2018年12月に薬品の製造元である英国のGE Healthcare Ltd.による製造が終了することが通知された。 この薬品の供給は米ゼネラル・エレクトリック(GE)傘下の企業であり、経営上収益を上げる薬品ではなかったことが供給停止に繋がったものと推測される。

GEは、電気を発明したトーマス・エジソンが1878年に会社を設立したことから出発し、多くの業種・業務を扱う世界屈指の多国籍コングロマリット企業であり、 航空機エンジン、医療機器、鉄道機器、発電および送電機器(火力発電用ガスタービン、モーター、原子炉)など幅広い分野でビジネスを行っているが、最近は経営再建中であることが報じられていた。 この経営上の問題も関係していると思われるが、Sr-89を使用する適応のある患者さんにとっては大変残念なことである。 本稿では私個人の感想も含め、Sr-89の問題について報告する。

ストロンチウム(Sr-89)とは

最近はがん治療成績だけではなく、再発や転移を生じ根治できなかった症例でも、延命期間が延長している。 そしてこれらの担癌症例の多くに高頻度に骨転移が生じ、QOLを損なう最大の要因となっている。 また乳癌、前立腺癌、肺癌と言った骨に転移しやすいがん腫の患者数が増加しており、骨転移の治療はより重要なものとなっている。

塩化ストロンチウム(Sr-89)は、有痛性の骨転移における疼痛の緩和治療に使用される放射性医薬品である。 本剤は2007年7月に本邦でも認可され、約11年間使用されてきた。 私はこの薬剤の使用認可を得るための多施設共同オープン試験に参加し、その結果を報告1)した。 Sr-89の物理学的半減期は50.5日で、β線の最大エネルギーは1.49MeVの純β線放出核種であり、β線の組織中の飛程は平均2.4mm(最大8mm)である。 Sr-89はCaの同族体であり骨転移部位での造骨活性によるコラーゲンの合成とミネラル化に依存して集積するため、骨転移部位に選択的に集積する。 正常骨髄での吸収線量は骨転移部位の約1/10とされ、また投与後は速やかに尿中(90%以上)から排泄され、投与8時間後の血中残存放射能は投与量の約5%であり、骨以外の組織への集積は1%以下とされる。

ストロンチウム(Sr-89)の臨床

疼痛緩和機序に関しては、Sr-89からのβ線の腫瘍細胞及び骨細胞の活性に対する直接的な放射毒性効果、ならびにprostaglandin E2、interleukin-6産生などの間接的な効果によると考えられている。

表1に骨転移に対する種々の治療法とその特徴を示すが、実臨床では患者さんの癌腫の違いや予測される予後や病態に応じて治療が行われている。

骨転移の除痛治療では鎮痛剤の投与や、外部照射が標準的に行われているが、特に病的骨折のリスクが高い場合や、骨転移により神経症状を伴う場合は、外部照射が第一選択とされている。 外部照射の骨転移に対する疼痛緩和効果は約80~90%であり、副作用も少ない。 しかし骨転移が多発性である場合には全ての骨転移部位への照射は容易ではなく、医師にも患者にも負担の多い治療となる。 このため広範囲の有痛性骨転移を有する患者に対しては、Sr-89などの骨集積性の放射性医薬品による治療が適している。




Sr-89は外来で一回の静脈内投与で治療でき、また副作用も軽微であるため、私は多用してきた。 何よりも外来での単回投与で多発性骨転移による疼痛緩和効果が70~80%の症例に得られ、効果は3~6ヶ月間持続し、反復投与も可能であることは魅力のある薬剤であった。

実際の臨床の場では、表2に示すような治療に制限のある症例にも使用できる薬剤であった。




私が現役で勤務していた10年前の集計であるが、2009年1月~2010年12月までの2年間に骨転移に対する照射実患者数は455人であり、照射部位数は736部位であった。

これはこの2年間に放射線治療を行った照射実患者数の約23%であり、照射部位数の約24%であった。 骨転移の治療方針は放射線治療医が主体となって決めることができた職場環境にあったためであり、日本一骨転移の放射線治療を行っていたと言っても過言ではない。

このためSr-89を使用できるようになり、仕事量も減らすことができた。 図1に骨転移治療例のがん腫別内訳と照射した転移部位の詳細を示す。 肺癌、前立腺癌、乳癌、腎臓癌など骨に転移しやすい原疾患の症例が多く、また照射部としては約半数が脊柱骨(頸椎・胸椎・腰椎)であり、1/4弱が骨盤骨であった。

ちなみに日本放射線腫瘍学会(JASTRO)では全国の放射線治療施設の調査を行っているが、 その2007年の報告では、放射線治療を行っている765施設のうち回答のあった721施設(回答率:94.2%)で、年間新患患者数は約181,000人であり、総患者数(新患+再患)は約218,000人であったが、 このうち骨転移に対する治療症例は27,970人(12.8%)であった。




図2に2015年9月15日現在のSr-89の使用件数と原疾患を示すが、発売して約8年弱で約1万人しか使用されておらず、 おそらく骨転移症例の2~3%前後の症例にしかSr-89は使用されていなかったと推測される。 実際に使用件数の多い原疾患は、前立腺癌:34%、乳癌:24.6%、肺癌:16.3%など、骨転移頻度の多い疾患が中心であった。




本剤が認可されてから、他の診療科の医師もSr-89に関してはさほど熟知している医師がおらず、日本全体で有効に使用されてこなかったことも製造中止に繋がっている。

またSr-89を使用する場合は、施設要件があり、診療用放射線同位元素の取り扱いができる設備を整備していることや、 日本アイソトープ協会が主催する安全取り扱いに関する講習会を受講した施設であることが必要であったため、施設要件を完備していたのは2015年当時で500施設以下である。 全国に「がん診療連携拠点病院」が400カ所以上あっても放射線診療の内実が伴っていない実態が読み取れる。

さらに前立腺癌の骨転移に対して、2016年6月に国内初のα線を放出するラジウムの放射性同位体(Ra-223)(商品名:ゾーフィゴ)が使用できるようになり、 前立腺癌の骨転移にはゾーフィゴが使用されるようになり、Sr-89の使用件数が減少したことも関係している。

私が勤務していた放射線科は47床の病室を保有しており、多くの緩和治療例を扱っていたが、前述したように骨転移治療例も多かったため、Sr-89が使用できることは大変喜ばしいことであった。 そして当院での骨転移症例の治療には放射線治療医の意見が強く反映できたことから、図2に示すように、全国一の使用件数であった。

Sr-89を使用することにより、患者側の負担と医師側の業務量の軽減ができた。 臨床の場では表2に示すような症例の疼痛緩和治療として使用できたSr-89が使用できなくなることは極めて残念なことである。 医療も金儲けが最優先される世界であることを実感するものである。

おわりに。

がん対策の重要課題の一つとして緩和医療の充実が叫ばれているが、本治療法はまだ十分に普及しないまま、世界で40カ国以上で使用されてきたが、 今回のSr-89製剤の製造中止により骨転移の疼痛緩和治療の一つがなくなることとなり、極めて残念なことである。 なお、医療関係者で医学雑誌の情報が得られる方は、興味があれば参考文献として読んで頂ければと思います。

参考文献

  • 1) 西尾 正道, 他: 疼痛を伴う骨転移癌患者の疼痛緩和に対する塩化ストロンチーム (Sr-89) (SMS. 2P)の有効性及び安全性を評価する多施設共同オープン試験. 日本医学放射線学会誌 65: 399-410, 2005.
  • 2) 西尾正道,他:Sr-89による多発性骨転移の疼痛緩和治療. RADIOISOTOPE, 56:261-270, 2007.
  • 3) 西尾正道,他:ストロンチウム(Sr-89)による多発性骨転移の疼痛緩和治療. 臨床放射線, 52:873-882, 2007.
  • 4) 西尾正道 : ストロンチウム-89による多発性骨転移の治療―新しくはじめる施設へ. 医学のあゆみ 227(9): 841-846, 2008.
  • 5) 西尾正道 : 有痛性骨転移に対するSr-89治療の現状と課題. Drug Delivery System. 25(2):120-125, 2010.
  • 6) 西尾正道,他:骨転移の放射線治療. 臨床放射線, 56:963-974, 2011.

西尾 正道(にしお まさみち)

独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 (放射線治療科)、 「市民のためのがん治療の会」顧問、認定NPO法人いわき放射能市民測定室「たらちね」顧問。 「関東子ども健康調査支援基金」顧問
1947年函館市生まれ。1974年札幌医科大学卒業。 国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科に勤務し39年間、がんの放射線治療に従事。 がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進。
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