『原発からは今日も放射能風が出ていた・・・』
7マイクロシーベルト/hを超える
1月4日、福島第一原発を訪れました。前双葉町長・井戸川克隆さんの案内で、正月休みで工事車両も通っていない、 帰宅困難区域となっている双葉町内をゆっくりと視察。高台から原発を望むと、木立の間から汚染水を貯めたタンクが見えました。
常磐道富岡インターを下りて、防護服着替え所で白いタイベックを着用。 国道6号線を双葉町の帰宅困難区域に向かうと、ピーピーと線量計が鳴り始め、0.2マイクロシーベルト/h前後を表示。依然として放射線の高いことがわかります。
車内での数値
小高い丘に登ると大熊町の方向に原発が見え、線量計は4マイクロシーベルト/h前後で、時折、瞬間的に7マイクロシーベルト/hを超えます。 これは原発方向から吹いてくる風に乗って放射能が飛んできている証拠です。 4マイクロシーベルト/hを年間に換算すると35ミリシーベルトになるので、現行の20ミリシーベルト/年で帰還という条件でも、居住は困難です。
双葉町内には、廃棄物が入ったフレコンバックの山が、数多くの中間貯蔵施設に置かれています。中間貯蔵施設は、30年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるという条件で設置されたのですが、小高い丘で観測された数値を考えると、永久貯蔵施設になるとしか考えられません。
双葉町の中間貯蔵施設に積み上げられたフレコンバック
プラスチックの袋の異様な山を見て、「この袋の耐用年数はどのくらいなのか」とジャーナリストから質問が出ました。
フレコンバックの耐用年数は5年。袋が破れて廃棄物が野ざらしになっているとの報告も相次いでいます。車の中から通りすがりに見るだけでも、フレコンバックの山から水が流れ出ている箇所がありました。
廃炉作業に伴い、放射性廃棄物は途切れることなく発生するので、このプラスチックの袋はどんどん積み上がる一方で、冒頭の写真にあるように中間貯蔵施設の建設は着々と進んでいます。
埼玉への避難は事前の計画
車内でウクライナジャーナリストに答える井戸川さん
避難指示区域視察後、車内でジャーナリストから、福島原発の現状と当事者の対応状況などについてインタビューが行われました。
井戸川さんの言葉からは、自身の体験を踏まえて、日本政府や県などの対応のずさんさに対する憤りが伝わってきます。
また、当時なぜ県外である埼玉県に住民を避難させたのかという疑問に対しては、「事前に決めた避難計画に従っただけであり、非難されるいわれはない」と答えました。
県だけでなく、町村レベルでも県内や県外への避難計画が決められており、それに従えば被曝をもっと減らせたはずと言います。当事者の不作為が住民の被曝量を増やしたことは間違いありません。
被曝支援法の有無が日本との違い
福島原発を見たウクライナのジャーナリストに、福島原発事故とチェルノブイリ原発事故の違いを尋ねると、 「容易に比較することはできませんが、最も大きな違いは被災者を支援する法律があるかないかだ」と答えました。
ウクライナでは、1986年のチェルノブイリ原発事故から5年後には、「チェルノブイリ大惨事の被災市民の地位および社会的保護に関する法律」(1991年2月28日)が制定され、 曲がりなりにも被災者に対する国家レベルでの救済策が始まったのです。
市民との交流会
市民と意見交換するウクライナジャーナリスト
夜は郡山市内で、第3回ウクライナツアーに参加した黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)の仲間、「原発いらない金曜日in郡山」の方々、第4回ツアーに参加された五十嵐さん夫妻との交流会をもちました。
「日本では原発の危険を話すと心配しすぎ症と言われる」という声に、「ウクライナでも同様」と答え、「お互いにこれから頑張ろう」とエールを交換し、諦めずに声を上げ続けることが大切であることを確認しました。
『食品と暮らしの安全』(2019.2 No358)より転載
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セルギィ・トミレンコ氏:全ウクライナ・ジャーナリスト同盟会長
セルギィ・シェフチェンコ氏:同書記局長
リュドミラ・ミャフ氏:ジャーナリスト・イニシアチブ基金会長
オレグ氏:「アルタ」テレビ・ラジオ会社ディレクター
全ウクライナ・ジャーナリスト同盟:ジャーナリストの問題を解決する組織。個人加盟で、会費によって賄われている。ウクライナに10万人ほどのジャーナリストがいて、そのうち2万人が加盟。
フレキシブルコンテナバッグ(Flexible Containers)は、粉末や粒状物の荷物を保管・運搬するための袋状の包材のことである。