市民のためのがん治療の会
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『放射線治療の弱点を改善する『スペーサー』とは』


兵庫県立粒子線医療センター
院長 沖本智昭

スペーサーとは、間隔をあけて2部品を結合するときに、間にはさむ小片または薄片とデジタル大辞泉に記載されています。 何故放射線治療の弱点をスペーサーで改善できるのかを説明する前に放射線治療の弱点について説明します。

放射線治療は、体の外から放射線(X線や粒子線)を悪性腫瘍に照射して治療する事はご存じだと思います。 そこで問題となるのは、悪性腫瘍と接する又は近接する正常組織や臓器にも強い放射線が照射される事です。 正常組織や臓器は悪性腫瘍より放射線に弱いため、もし強い放射線が照射されれば重い副作用が起こります。 特に胃や腸は放射線に弱く、放射線による強い副作用が起これば最悪の場合、患者さんは死亡する事になります。 放射線治療の進化とは、悪性腫瘍に強い放射線を照射しながら正常組織や臓器には安全な量の放射線しか照射されないための工夫と言って良いと思います。 『スペーサー』はその工夫の一つです。

最近開発された2種類の『スペーサー』について説明します。

第一は、スペースOARハイドロゲルと呼ばれるものです。 これはオーグメニック株式会社が開発したもので、前立腺癌に対する放射線治療を行う際に利用します。 前立腺癌に対する放射線治療は、前立腺全体に強い放射線治療を照射する事で外科手術に匹敵する治療成績を得る事ができる素晴らしい治療法ですが、大きな問題点があります。 それは前立腺のすぐ背中側に直腸が存在するからです。 先に述べたように前立腺に強い放射線を照射した場合、直腸の一部にも強い放射線が照射される事で直腸出血という副作用を来す事があります。 出血を起こした場合、確実に止血できる方法がなく、長期間の出血で患者さんが苦しむ事になります。 そこで、前立腺と直腸との間に『スペーサー』を入れれば前立腺と直腸とは離れるので直腸に照射させる放射線は安全な量になるというわけです。 スペースOARハイドロゲルが開発される以前は、人工血管の素材であるゴアテックスなどをスペーサーとして使用してきましたが、 留置する際に外科手術が必要である事と人工物が体内に残存する事で臓器への圧迫や感染を起こすという問題点がありました。 スペースOARハイドロゲルの素晴らし点は、手術と比較にならないほど体に優しい簡単な方法で施行できる事と、半年もすれば寒天状の物質は分解され消失する事です。 スペースOARハイドロゲルは、二種類の液体が混ざると寒天のようになる物質です。 まず患者さんに腰椎や仙骨麻酔あるいは皮膚に局所麻酔を行った後、採血するような細い針を股の間の皮膚から、直腸に入れた超音波画像を見ながら前立腺と直腸との間に挿入し二種類の液体を注入します。 すると寒天状に固まり前立腺と直腸とが離れてくるというわけです。 スペースOARハイドロゲルを使用する事で前立腺癌に対する放射線治療の最大の弱点であった直腸出血をほぼ防ぐ事が可能になりました。 前立腺癌に対する治療法として、放射線治療はより安全で有効な方法となりました。 これから前立腺癌の治療法を選択される場合は、是非、スペースOARハイドロゲルを使用した放射線治療についても検討ください。 実際にスペースOARハイドロゲルを入れて陽子線治療を行った症例を以下に示します。 スペースOARハイドロゲルにより前立腺と直腸との距離は約1cm強広がっています。 陽子線治療終了直前でもスペースOARハイドロゲルに変化はありませんが、7ヶ月後のMRIでは完全に溶けて消失しているので、患者さんに対する悪影響は全く起こりません。




第二は、ネスキープと呼ばれるものです。 これはアルフレッサ ファーマ株式会社と神戸大学医学部との産学連携により開発され、私の勤務する兵庫県立粒子線医療センターでの臨床試験を経て承認されました。 先に述べたスペースOARハイドロゲルは素晴らしいスペーサーなのですが、前立腺と直腸との間に挿入する場合しか利用できません。 肝臓癌や膵臓癌などの悪性腫瘍の中には胃や腸と近接しているため安全で有効な放射線治療が行えない場合があり、その問題を解決するためにネスキープが開発されました。 ネスキープは吸収性縫合糸を編み込んでシート状にしたものです。 200ミリx100ミリで厚さは5,10,15ミリの三種類があります(図)。


吸収性縫合糸というのは体内で縫合する時使用される糸で、時間の経過とともに溶けるので抜糸の必要が無いという事は聞かれた事があると思います。 当然ネスキープも体内で吸収され消失するので、人体に対する悪影響は最小限で済みます。 ネスキープとスペースOARハイドロゲルとの大きな違いは挿入するのに外科手術が必要という事です。 外科手術で悪性腫瘍と胃や腸との間にネスキープを留置し、数週間後から放射線治療を開始するという事で体に対する負担や治療期間が長くなるという事は問題点ですが、 そもそも外科手術で取り除く事は不可能で、スペーサー無しでの放射線治療では完治は望めないという場合は、完治の可能性があるのはこの方法のみなのです。 具体的に当院でネスキープを留置して粒子線治療を行った肉腫症例の画像を提示します。

骨盤内の左側に巨大な肉腫があり、肉腫に近接して小腸が存在しているので、このままの状態では完治を目指す粒子線治療は不可能でした。


そこでネスキープを留置する事で肉腫と小腸とを十分離した後、完治を目指した粒子線治療を施行する事が出来ました。 現在、ネスキープは、陽子線治療や重粒子線治療を行う場合のみ認められており、X線治療を行う場合には利用できませんが、そのうちX線治療を行う場合にも利用できるようになると思われます。 是非、胃や腸が近いため完治目的の放射線治療が出来ないと説明させた場合は、粒子線治療施設に相談ください。


最近、認可された二種類のスペーサーについて簡単に述べました。悪性腫瘍の治療方法を選択される上で参考になれば幸いです。


沖本 智昭(おきもと ともあき)

平成2年 長崎大学医学部卒業後同放射線科入局、同放射線科医員、広島県立広島病院放射線科医長、山口大学医学部附属病院放射線科講師、 北海道がんセンター放射線診療部長を経て平成26年から兵庫県立粒子線医療センター副院長、平成27年から同院長となり現在に至る。 この間平成8年から2年間テキサス大学ヘルスサイエンスセンター・サンアントニオ研究員。
専門 放射線腫瘍学 粒子線医学 放射線病理学
資格 医学博士、放射線治療専門医 がん治療認定医、神戸大学連携大学院教授、大阪大学招へい教授
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