市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会

『地域における小中学校のがん教育への乳腺専門医としての関わり』


佐野厚生総合病院乳腺外科
和田真弘

わが国においては,生涯で2人に1人ががんに罹患し,3人に1人ががんで死んでいく時代になった. がんは決してまれな病気ではなく,とても身近な病気であるといえる[1, 2].


しかしながら,がんのイメージは,国民にとってあまりいいものではない. 内閣府の2014年度の世論調査によれば,74.4%の方が「こわいと思う」というマイナスのイメージをもたれていた[3]. がんがこわいと思う理由について尋ねたところ,「がんで死に至る場合があるから」と回答した方が72.9%と最も高かった. 納得のいく数字である. なぜなら,だれしも死については,少なからぬ恐怖心を抱くことは当然のことであるからだ.


その恐怖心を増幅させる一つの要因がある. それは,現代日本の社会生活における生と死との距離感だ. その距離感は近年大きくなっている.

日本は国民皆保険制度が確立しているために,諸外国と比較して,病気になったときの病院へのアクセスが容易である. その結果として,国民皆保険制度が確立された1961年以降,最期を病院で迎える患者数が年を追う毎に増加してきた. 2008年には約80%の人が病院・診療所で死亡している[4].

一方で,戦後の高度経済成長期から現代にかけて,ますます核家族化が進んできた. それ以前は,在宅で老衰の年長者をお看取りすることが当然であった. つまり,家族がその家族の一員の死を目の前で見届けてきたのである. 死は,生活と決して切り離すことができないものであった. その当時を生きてきた人の多くは,その場面場面で,幼少期から家族の死を身近なものとして接し,そこから数多くのことを感じとり,学びながら成長してきたのである. しかしながら,核家族化のために,そのような場面に接する機会はとても少なくなってしまった.


また,がんが国民にとって身近でありふれた「国民病」になっているのにも関わらず,それに対する正しい知識の不足や間違ったイメージの定着が問題となっている. 例えば,がんに対する恐怖心を持っているにもかかわらず,喫煙率が下げ止まりのままであったり,がん検診の受診率が上がらない状況が続いたりしている. また,がん患者さんが治療中や治療後に,思うような就労活動や職場復帰ができずに,辞職や解雇されるという大きな社会問題も生じてきている. いずれも,がんに対する正確な知識不足から生じた問題だ.


つまり,現在の日本は,がんの罹患数と死亡者数が増えていく一方で,国民のがんに対する正しいイメージや正確な知識などが追随できていないアンバランスな状態に陥っていると考えられる.


そこで必要になってきたのが,がん教育だ.

まさに「教育」であるため,これは国家事業である.その歴史的経緯を把握することは重要だ. 最初に政策として「がん教育」が正式に取り上げられたのが,第2期がん対策推進基本計画(2012年6月閣議決定)である[5]. 分野別施策およびその成果や達成度を計るための個別目標として,新規に「がん教育・普及啓発」が掲げられた.

これを受けて,文部科学省は2013年に「がんの教育に関する検討委員会」を設置して,さまざまな視点からがん教育について検討がなされた.

2014年からは文部科学省による「がんの教育総合支援事業」が始まり,そこで「『がん教育』の在り方に関する検討会」が設置され,最終的に「学校におけるがん教育の在り方について(報告)」(2015年)がまとめられた[6].

「1.学校におけるがん教育を取り巻く状況」として,がんは重要な課題であり,健康に関する国民の基礎的教養として身につけておくべきものとしている. 「2.学校におけるがん教育の基本的な考えた」では,がん教育の定義が明記された. 「健康教育の一環として,がんについての正しい理解と,がんと向き合う人々に対する共感的な理解を深めることを通して,自他の健康と命の大切さについて学び,ともに生きる社会作りに寄与する資質と能力の育成を図ることである」である. この定義をいま読み直してみても,非常に秀逸な定義であると感じる. そこに盛り込まれている「共感的な理解」や「ともに生きる社会」など,日々乳がん診療をしている私が痛切にいまの社会に必要なものと感じるからである. 「3.今後の検討課題」で(2)外部講師の確保がある. これがまさにいまの私の立ち位置である. これについては,この文章の主題であるため,次章で詳述する.

2015年12月に「がん対策加速化プラン」ができたが,その実施すべき具体策の一つとして,「予防」の項目に④学校におけるがん教育が取り上げられた[7].

2016年「がん対策基本法の一部を改正する法律」(改正がん対策基本法)が公布された. そこの「基本的施策の拡充」に(10)がんに関する教育の推進(第23条)が明記された[8].

これらの歴史的変遷を踏まえて,2017年3月に学校教育の基本となる学習指導要領の改定された[9]. 2017年度の1年間を周知・徹底期間とし,小学校では2020年度より全面実施,中学校では2021年度より全面実施が決定した. まさに教育現場は待ったなしのタイミングである.


このような社会情勢の中で,私は2018年より地域での小中学校でのがん教育について,外部講師として参加させてもらう機会を与えてもらっている. ここで,これまでの外部講師として得た貴重な経験を振り返ることにより,医師としてのがん教育の関わり方や社会づくりについての私見を述べたいと思う.

まずは簡単に自己紹介をさせていただきたい. 私は乳がんを専門とする乳腺専門医である.栃木県佐野市にある総合病院で,日々乳腺外科医として診療をしている. 佐野市は栃木県南部にある人口12万人ほどの普通の地方都市であり,かつ,私の生まれた故郷でもある.今から12年前(2008年)に地元に戻ってきた.

そこで,私はたくさんのことを乳がん患者さんから学ばせていただいた. いわば,私の先生の一人は患者さんである. その患者さんの中で,30歳代という若さで,乳がんによりお亡くなりになった方が数名おられた.診療での会話の中で,その患者さん全員が口をそろえて,次のようにおっしゃっていたことを鮮明に覚えている.

「先生,もう少し早く受診すれば良かったのよね. でもさ,子育ての方が最優先になってしまって,自分のことは二の次になってしまったの. まさか自分が乳がんにかかるなんて思ってもいなかった」と.

その当時,私も患者さんのお子さまと同じくらいの子供をもつ同世代の似た境遇であったため,医師として今までに経験したことのない胸が締め付けられるような辛い気持ちになった. それが,私ががん教育に携わろうと思った原体験(きっかけ)となっている. 私はこの経験を通して,「地元佐野市から乳がん遺児をなくしたい」という思いが強くなってきた.


それをきっかけにして,私は地元の乳腺専門医として2つのfuture visionを掲げた. 2018年のことである. 一つは,「佐野市の女性が,乳がんについて心配せずに,安心して暮らせるような社会を作っていきたい」である. もう一つは「乳がん患者さんの悩みや不安を,そのコミュニティが柔軟に受け容れ,患者さんが『自信』をもって生きていけるような社会を作っていきたい」である. 大事なことは,「社会」のありようを少しでも変えていきたいというところだ.

このfuture visionを実現化するためには,まずは教育からではないかと考えた. その対象は,児童生徒だけでは,成人も含めてである. つまり,佐野市民全員である. とにかく,がんについて正しい知識を普及啓発することが最優先事項であると考えた. それをしなければ,佐野市の社会は変えられないと考えたのである.

まるで,ソーシャルベンチャー企業が起業する際に掲げる壮大な理念のようなものだ. 今さらながらではあるが,一医師である自分が掲げるものとしては,あまりにも過分すぎて,本当にお恥ずかしい限りである. でも,何かアクションを起こすときは,それくらいの熱量は必要なのかもしれない.


しかし,future visionは掲げたものの,その当時,佐野市ではがん教育の外部講師などという明確なポジションもなく,いきなりどうしてよいのか路頭に迷ってしまった. そこで,まずは校医をされている地元の開業医の先生に相談してみようと思い,佐野市医師会会長に手紙を書いた. 内容は,前述の原体験から自分がfuture visionを掲げたので,それを実現するために協力して欲しいというものである. なんとも唐突で無謀ともいえる若造の上申書を,なんと医師会長は快諾してくれたのである. 本当に心の広い先生と巡り会えたと思っている.

そこから,話は一気に進んだ. 医師会長が,医師会内の校医理事を私に紹介して下さった. さらに,校医理事が,佐野市健康医療部健康増進課の担当者と私をつないで下さった. さらに,健康医療部健康増進課の担当者が,佐野市教育委員会の校長会で,がん教育の外部講師として私が参加してくれることを紹介して下さった. そこで,手上げしてくださった1人の校長先生(中学校)のところで,第1回のがん教育の授業(講演)を行うことができた. 医師会会長にお手紙を出してから,約半年である. このように順調にことが進んだことは,むしろまれなケースであろう.


私は常々自分の考えやアクションについて,自己満足で終わらせないために,社会へ発信していくように心掛けている. 今回も第27回日本乳癌学会学術総会(2019年,東京)において,地方の一乳腺専門医が,その街でがん教育の外部講師として授業を行うまでのプロセスの1例として,上記の内容を含めて発表した[10]. このプロセスを学会員と共有することにより,今後外部講師をやってみたいと思っている全国の先生のきっかけ作りになるのではないかと考えたからである.

その発表の場では,日本各地の先生からたくさんの貴重なアドバイスをいただいた. 特に,沖縄県からいらした先生からは「外部講師側の医師は,やる気があるのだけれども,行政側の市職員が本気になってくれない. どうしたらよろしいでしょうか?」という質問を受けた. 私もその場で適切な回答をすることができなくてたいへん申し訳なかったと反省する一方で,あらためて私のおかれていた環境は本当に恵まれていたのだと感謝の気持ちでいっぱいになった.


その後,現在に至るまで,市内の2つの中学校と1つの小学校でがん教育の外部講師として授業をさせていただいた.

今年度は新型コロナ問題で,なかなか開催が難しい状況が続いている. 私はこの期間を利用して,外部講師としてのトレーニングを受けることにした. 一般社団法人全国がん患者団体連合会が主催している「がん教育外部講師」のeラーニングだ[11].是非とも医師の方に受講していただくことをお勧めしたい. 外部講師が注意すべき点について,ほぼ網羅されているからだ. 特に重要なポイントは,現場の教職員の先生とのしっかりとした連携である.

例えば,外部講師の授業に出席する児童生徒の中に,家族をがんで亡くした児童生徒がいるかなどを事前に把握しておくことは,基本中の基本である. ついつい医師側としては,自分がもっているがんの知識を惜しみなく提供してあげたいという善意が前面に出すぎて,児童生徒への配慮が不足がちになりかねない. こういう場面こそ,その児童生徒の担任の先生との連携が大事になってくる.

この点については,私の場合,授業の1週間前くらいにその学校を訪問して,担当の先生と事前ミーティングを行うことにしている. まずはお互いに自己紹介をする. 職種間の壁を壊すことが目的だ. そのためには,医師側の方が現場の教職員の方へ歩み寄ることが大事だ. なぜなら,現在のがん教育の現場では,外部講師を確保することに非常に難渋している背景があるからだ. なんとか確保した外部講師が,しかも医師となると,自ずと現場の先生の方が恐縮しがちになってしまうからだ. それでは,有効なコミュニケーションはとれない. だからこそ,心の中の壁を打ち砕き,フラットな関係性を構築するために,この事前ミーティングはとても重要であると考えている.


また,外部講師も学校教育の一員として参加するわけで,学校側としては事前に外部講師が話す内容について把握しておきたいと思っている. 私は授業で使うプレゼンテーション用のスライドを事前に学校側に提出し,チェックを受けてもらうようにしている.

いずれも外部講師として学校教育に参加させてもらう立場としては,必要不可欠なことだ.


がん教育の外部講師として教育現場へ参加することにより,私自身がたくさんのことを学ばせていただいた. その中で一番大事なことは,相手側の現場の先生,授業を聴いていただく児童生徒さんに対して,心からのリスペクトをもった態度・言動で接することである. 教育はコミュニケーションそのものだ.そのコミュニケーションを大切にすることは,至極当然のことである. その当然のことを基本にして,地道に,さらに草の根的に各地域で,このがん教育を継続することができるのであれば,国民全体としてがんという病気に対する正しい理解が進み,自己のがん予防への啓発が促されるはずだ. 結果として,がん患者さんが「自信」をもって生きていくことができる社会を形成していく一助になるのではないかと考えている. 私は,今後もこの活動を地道に継続していきたい.


【引用文献】

【問い合わせ先】
〒327-8511 栃木県佐野市堀米町1728
佐野厚生総合病院乳腺外科
和田 真弘(わだ まさひろ)
E-Mail:rope@helen.ocn.ne.jp


和田 真弘(わだ まさひろ)

1999年3月 新潟大学医学部医学科卒業を卒業. 卒業後は,慶應義塾大学医学部一般・消化器外科に入局. 慶應義塾大学病院ならびに関連病院で研鑽を積む. 専門は乳癌. 各種専門医・指導医は,日本外科学会専門医・指導医,日本乳癌学会乳腺専門医・指導医など. 現在は,故郷の栃木県佐野市にある佐野厚生総合病院乳腺外科に勤務している. 地元の乳がん患者さんの診療のみならず,佐野市民への乳がん検診への啓蒙活動,市内小中学校でのがん教育などの多方面にわたる活動を行っている.
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