市民のためのがん治療の会
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『高騰する薬価と乳がん治療現場での苦闘』


ときわ会常磐病院
乳腺外科医 尾崎 章彦
このご寄稿は初出は「医療タイムス」に投稿されたものです。 ご許可をいただき「がん医療の今」に転載させていただきました。ご厚意に感謝いたします。
(會田 昭一郎)

■大きな問題となる薬価の高騰

現在の医療現場において、薬価の高騰は大きな問題です。 最近では、脊髄性筋萎縮症の治療薬ゾルゲンスマ(2020年5月に保険収載)の薬価が1億6000万円に設定されたことも大きな話題となりました。

がん領域においても分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤など広く高額な薬剤が販売されています。 それは、筆者が専門とする乳がん領域も例外ではありません。

特に、最近乳がん領域で存在感を増しつつあるのが、CDK4/6阻害剤と呼ばれる内服分子標的剤です。 具体的には、日本イーライリリーが販売するアベマシクリブ(商品名ベージニオ)、ファイザーが販売するパルボシクリブ(商品名イブランス)が例として挙げられます。

ホルモン受容性陽性で転移や再発を伴う乳がん患者が対象となり、既存のホルモン療法と組み合わせることで、無増悪生存期間のみならず生存期間を延長しうること、 また、その副作用が比較的軽度であることが示されています。 実際、筆者もこれらの薬剤を複数のがん患者に投与していますが、一年以上にわたり、腫瘍の縮小効果を維持できている方もおり、その効果を実感しています。

全国的にも使用量は増加しており、例えば、アベマシクリブは、2018年の販売開始後、2019年には104億円、2020年には195億円まで売り上げが上昇しています。 また、ファイザーが販売するイブランスは、2019年には世界で最も売れた医薬品のベスト20にランクインしました(55.35億ドル)。

さらに、アベマシクリブについては、2020年に発表された臨床試験において、ホルモン受容体陽性の早期乳がんにおいて、 既存のホルモン療法に併用することで再発が減少することが示されており、今後ますます使用量が増加すると推測されています。

一方で、問題となるのは、その高額な薬価です。 アベマシクリブ、パルボシクリブを標準的な用量で用いると、1カ月の薬価はいずれも約48万円になります。 70歳未満の患者さんであれば、その3割に当たる14万4千円が自己負担額になります。

併用するホルモン剤の費用や検査費用なども合わせると、実際の自己負担額はさらに高くなります。 転移や再発を伴う乳がん患者にこれらの薬剤を使用する場合、効果が続く限り、治療を継続します。 そのため、長期にわたって家計の負担が増加することになるのです。

もちろん、このような患者さんに対しては、ソーシャルワーカーも交えて、高額療養費制度への申請も促します。 しかし、体調が万全でないことも多い薬物療法中の乳がん患者さんにとって、毎月限度額あるいはそれに近い金額を払い続けるのは簡単ではありません。 実際、「費用が高すぎる」として、使用を控える患者さんもいらっしゃいます。

以下で紹介する乳がん患者さんもそのような方の1人でした。 患者さんは1年前からの乳房腫瘤を主訴に当院乳腺外科を受診、骨転移を伴うステージⅣホルモン受容体陽性乳がんの診断となりました。

このようなケースにおいては、まず薬物療法を実施するのが一般的ですが、病変部の痛みがあったこと、 また、患者の手術希望があったことから、局所コントロールのために、乳房切除、腋窩郭清術を実施しました。

術後、CDK4/6阻害剤とホルモン剤の併用も検討しましたが、 骨転移が一つだけであったこと、治療費をできるだけ安価に抑えることを患者さんが希望したため、 アロターゼ阻害剤と呼ばれる標準的なホルモン剤とデノスマブと呼ばれる骨転移治療に標準的に使われる注射薬で治療を開始しました。

しかし、治療開始7ヶ月後に、左鎖骨上リンパ節に腫大が見られ、細胞診を実施したところ、新規の乳がん病変が明らかになりました。 そこで、患者さんと相談し、アロマターゼ阻害剤をフェソロデックスと呼ばれる注射のホルモン剤に切り替えるとともに、アベマシクリブを開始しました。 治療費が高額になることが予想されたため、高額療養費制度に申請を行い、認定された状態で治療を開始しました。

■高額療養費制度の落とし穴とは

薬剤変更後も患者さんは大きな副作用なく、順調に経過されました。 しかし、この患者さんの治療中に、高額療養費制度の思わぬ「落とし穴」に気づくことになりました。 きっかけは、治療開始から1カ月経過した時に「ベージニオ(アベマシクリブ)を院内で処方してほしい」に言われたことです。

■院内、院外で支払う高額療養費

患者さんに詳しく話を伺うと、患者さんは、当院において高額療養費制度の限度額に当たる5万円強を支払い、 さらに、アベマシクリブを処方されている院外薬局においても、同じ金額を支払っているということでした。 つまり限度額の2倍の金額を毎月支払っていることになります。 どういうことでしょう。

後から分かったことですが、高額療養費制度に認定された状態であっても、一時的に、医療機関毎、薬局毎に高額療養費制度の限度額をお支払いする必要があるのです。 そして、重複して支払った医療費は、申請することで、数ヶ月後にはじめて精算されます。

「一時的でも、毎月2倍の医療費を払い続けるのは大変」とのことで、先にご紹介した発言につながったのでした。 なるほど、院内でアベマシクリブを処方すれば、毎月支払う医療費は現在の半分になります。 しかし、ことは簡単に運びません。

なぜならば、当院においてはアベマシクリブの採用がなかったからです。 私立の病院は、高額な薬剤の在庫を抱えることを嫌います。 当院も例外ではなく、アベマシクリブはこれまで院内で採用されていませんでした。 そして、筆者もそのことを問題視していませんでした。 そこで、至急薬剤部に掛け合い、速やかにアベマシクリブを院内で採用していただきました。 患者さんが安心して治療を受けられる体制の構築に無自覚であったことを、とても恥ずかしく思う出来事でした。

乳がん診療に関わらず、薬剤費の高騰が問題になる昨今、患者さんの治療に医療者が自覚的であることが極めて重要になっています。 その解決のために、医療機関も、できる限りのサポートを積極的に実施していく必要があると考えます。

企業においても、この様な患者さんを支える動きが見られています。 例えば、株式会社のMICINは、2021年8月より、乳がん再発保障保険を開始しました。 ステージⅡまでの患者を対象に、手術から6ヶ月が経過していれば加入することができ、再発時や新たながんの罹患に対して、がん診断給付金80万円を受け取ることができます。 今回紹介した症例は元々ステージⅣだったことからこの保険は対象とはなりませんが、上で紹介した様に、再発時や新たながん診断時は、どうしても医療費がかさみがちです。 この様な保険の存在は患者さんにとってプラスになる可能性があるため、当院においても患者さんの状態に合わせて提案しています。


尾崎 章彦(おざき あきひこ)

外科医、 平成22(2010)年3月 東京大学医学部卒 平成22年4月 国保旭中央病院 初期研修医 平成24年4月 一般財団法人竹田健康財団 竹田綜合財団 外科研修医 平成26年10月 南相馬市立総合病院 外科 平成29年1月 大町病院 平成29年7月 常磐病院 外科研修医時代に経験した東日本大震災に大きな影響を受ける。 平成24年4月からは福島県に移住し、一般外科診療の傍,震災に関連した健康問題に取り組んでいる。 専門は乳癌。 2017年には乳癌の臨床試験CREATE-X試験における利益相反問題、公的保険の不正請求疑惑について追及した。
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