市民のためのがん治療の会
市民のためのがん治療の会

『ベストセラーに殺されるな !』


市民のためのがん治療の会 顧問
北海道がんセンター 名誉院長  西尾 正道
NHKは2022年8月5日「フェイク・バスターズ“出版の自由”と医療情報」で、役に立つ本もあれば「ほとんどのがんは治療しなくても治る」 「抗がん剤はおかしい」など不確かな情報が書かれていて命が脅かされ兼ねない本もある、こうした本を信じることで適切な治療を放棄する患者も後を絶たないと報道しました。
ただ、出版の自由は憲法で保障されており、命に関わることでも誰でも自分の考えを本として自由に出版できるということで、私たちは「出版の自由と医療情報」という難しい問題に直面しています。
そこで番組ではメディアドクター研究会の協力を得て2022年、新型コロナに関するアマゾンのお薦め上位10冊について調査をおこないました。 その結果は十分な科学的根拠のあるものは4冊で6冊は科学的根拠が不十分でした。
出版の自由は保障されているからこそ、がん治療情報のように命に関わる情報は、重い責任も問われるといえましょう。
また、近藤先生は、健康増進法によって定められているがん検診についても、 「がん検診は百害あって一利なし」といわれておりますが、がん検診については追って編集子の最近の経験を踏まえてご報告したいと思っております。
さて、近藤先生は多くの著作やテレビ、雑誌、週刊誌などのメディアを通じて「がん放置療法」「がん検診は百害あって一利なし」との持論を展開されましたが、 公開の場で討論をしていただきたいと思い、当会でも何度もお願してみましたが、 「長年にわたる『市民のためのがん治療の会』のがん治療への貢献を高く評価する、ただ、多忙で講演会等には参加できない」とのことで、ついにこの企画は実現しないまま、先生が亡くなられてしまいました。
そこで、かつては同じ放射線治療医としてシムポジウムや雑誌などで対談され、 編集子が舌がんの治療について調べた際、近藤先生の著作で「僕がもし舌がんになったら小線源療法の名手の西尾先生に治療していただく」との記述を見て勇気づけられた当会顧問の西尾先生に、 近藤先生の足跡などについてまとめていただきました。
改めてご冥福をお祈り申し上げます。
(會田 昭一郎)

『患者よ、がんと闘かうな ! 』というタイトルの本を出版し、1980年代後半からがん医療に対する提言により、話題となった近藤誠医師が8月13日に出勤途中で急変し心筋梗塞と思われる病態で死亡した。 同じ放射線治療を通じてがん治療を行ってきた医者として、哀悼の意を表したいと思う。 そこで当会の會田昭一郎代表の依頼もあり、彼の功罪について私なりに整理し、公表することとした。 彼は『患者よ、がんと闘かうな ! 』がべストセラーとなったことから、 その後も『ぼくがすすめるがん治療』,『抗ガン剤は効かない !』、『治らないがんはどうしたらいいのか』、『がんと闘うな論争集』、『医者に殺されない47の心得』などの著書を出している。 それらの著書の主張の要点は「がんを見つけたら手術や抗がん剤治療をしないほうがいい」という指摘を通じて早期発見・早期治療というがん医療の原則を否定する放置療法の勧めである。 がんの9割は治療するほど命を縮める。放置がいちばん・・・。 そんな過激な主張を繰り返していた近藤医師は、学術的な論文などではなく、もっぱら一般向けの書籍や雑誌でしか主張を発表してこなかった。 こうした活動により、一般人を相手に、売れればよいだけの出版社と組んで市民向けの本を多発したが、1988年の学会を最後に関連した医学学会には全く顔を見せることはなくなり、医学論文もゼロである。 友人が近藤氏の本を読んで命を落とした小樽市のジャーナリストからインタビューを受け、記事となったものを以前に掲載させてもらった。そのURLは以下である。

No.396~.397 20190723 『「がんとの正しい闘い方」を西尾正道医師に訊く (前篇・後篇) 』
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20190723_nishio
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20190806_nishio

近藤氏の最後の学会活動は資料1に示す私との対談である。 1898年にキューリー夫人がラジウム-226を発見したが、それを記念して百年後の1998年10月に群馬大学放射線科 新部英雄教授が日本放射線腫瘍学会長として初めて市民公開講座を開催された時に企画された近藤誠氏との対談であった。

資料1

がんの放置療法を問題視した新部教授は、『人寄せパンダに近藤先生を呼んだから、対談してくれ』と言って私に大役を与えた(資料1)。 この対談の内容記事は翌年の医療業界の月刊誌である「新医療」4月号に掲載されている(添付資料1)。 また1996年には「新医療」1996年11月号に『「がんと闘うべきか否か」について』と題して私見を掲載している(添付資料2)。 なおこの論文は当会ホームページ上の「がん医療の今」で2013年7月に3回に分割して掲載している。

No.156+No.157+No.158 20130703 『「がんと闘うべきか否か」について 患者よ、がんと賢く闘え』
http://www.com-info.org/medical.php?20130703_nishio
http://www.com-info.org/medical.php?20130719_nishio
http://www.com-info.org/medical.php?20130731_nishio

さらに、1997年7月にMedical Tribuneの新聞から近藤氏との対談を依頼されたが、近藤氏からは2人だけの対談は嫌だと拒否されたため、 国立ガンセンター東病院外来部長で放射線治療を行っていた池田恢医師を加えて対談を行った。 その対談記事は(添付資料3)をダウンロードして読んで頂ければと思う。

こうした近藤氏との親交過程で、感じたことを幾つか書き留めたいと思う。 まず、近藤氏も機能と形態を温存する放射線治療が、日本では有効に利用されていないことを感じいらだっていた。 しかし、彼は感覚的に手術は恐ろしく感性的に手術は受け入れがたい人であったようだ。 また当時は抗癌剤は限界も多く、奏効率が20%あれば認可される薬剤であるという抗癌剤の正しい知識も無かったようで、抗がん剤治療も否定的であった。 抗癌剤とはどんなものかについては、(添付資料4)を読んで頂きたい。

また、彼は米国留学時に乳房温存手術が盛んに行われていたのを見聞して、帰国後に乳癌に対する全摘手術を否定し、乳房温存治療のパイオニアのように祭り上げられたようだ。 しかし、実際は当時の国際学会で、日本の乳腺外科医師達が全摘しなくても乳房温存手術+術後照射でも治療成績は同等なのになぜ全摘術をするのか?と指摘され、癌研病院の乳腺外科医などが中心となり、日本にも温存手術が広がったのである。 決して近藤氏がぶち上げたからではないのである。

こうした経過で、近藤氏は友人医師が乳癌病巣を摘出後に顕微鏡的なレベルでがん細胞が残った可能性のある残存乳房に対して術後照射する患者さんで慶応大学病院での週一回の外来日は乳癌患者さんだけとなったので、 他の疾患の癌治療とは無縁となり、肉眼的に見える腫瘍を治療する機会も無くなったようだ。 このためホルモン環境により左右される乳がんは全てのがん種の中で、極めて緩慢な経過を辿る疾患であるため、癌に対する正しい認識が持てなくなったのである。 (資料2)に5年前の国立がんセンターのがん種別の10年生存率の報告を示す。 乳癌は甲状腺癌や前立腺癌などとともに緩慢な経過の疾患なのである。

資料2

乳がんと診断されても5年以上生きている患者さんは沢山いるよ”と近藤氏は豪語するが、乳癌というがんの増殖スピードに関する知識を考えれば、疾患によっては当たり前である。 最もゆっくりした甲状腺乳頭癌は福島原発事故後に行っている検査で多発していると反原発の人達は大騒ぎし、訴訟まで起こしているが、正しい知識とは言えないのである。 11年経過しても幸い、誰も甲状腺癌で死んではいないのはゆっくり癌だからである。 20~30年後に中年となり、症状を呈して病院を受診して甲状腺癌と診断される人を、無症状でも検査することにより発見するスクリーニング効果なのである。 がんもピンキリなのである。なお甲状腺癌の問題はNo.452 20210914 『小児甲状腺癌の問題について』
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20210914_nishio を参考として頂きたい。

同じ悪性腫瘍でもスピードがんから緩慢な経過を辿る悪性度の低い<がんもどき>のようながんもあるのである。

資料3に示す症例は乳がんと診断されたが近藤信者となり、5年間放置し、皮膚に浸潤して血も滴るようになり、私の外来に来た症例であるが、この症例は最終的に多臓器に転移し他界した。

資料3

かつて読んだ吉本隆明の著書に『経験だけが思想となる』という忘れがたい言葉があったが、乳癌だけを診ていれば、放置療法がよいと間違った思考となるのである。 ちなみに私が医師となり、最初に担当した患者さんは乳癌の手術後に20年経ってから骨転移の痛みで来院した60代の女性であったが、こんなに長くがんが潜伏しているものなのだと驚いた記憶が残っている。

50年前は北海道内には7台の放射線治療器しかなく、通院治療できる人でも全道から来院し、入院治療が必要だったため、放射線科は51床の病床を保有し常に満床であったし、 ホスピス施設も無かったため、年間50~70人の死亡診断書を書く生活であった。 再発・転移例は最後まで面倒を見ない大学病院勤務の講師であった近藤氏は、こんな進行癌の悲惨な患者さんと接することもなかったと思われる。 私は、資料4に示すような多くの症例の治療経験から、がん治療の場で放射線治療を有効に使用するように、 医学部教育が不十分なので、市民が知識を持ってもらいたいと願って『市民のためのがん治療の会』の活動を開始した。 外科医は数回の手術後に再発して手術不能となったり、内科医は抗癌剤に固執して治療しても効果がなくなれば、give-upして、放射線治療科に紹介してくる。

資料4

こうした現状を改善するために当会の活動が開始されたのである。 放射線を使用するとしても、放射線診断学と放射線治療学は全く異なった分野であるが、50年前は80の医学部の中で、診断学と治療学の講座が独立して分かれていたのは8校(1割)であった。 そして放射線医学講座の教授は多くは診断学の専門であったため、放射線治療医は充分に育成されることなく、放射線治療医数は米国の1/10の人数であった。 なお、現在でも医師を排出している全国の医学部81校で、放射線治療学講座が独立してあるのは27校であり、医学部全体の1/3なのである。 放射線治療に関して医療機器は世界一保有していても、現在も放射線治療医の人材は不足しており、放射線治療後進国なのである。

がん治療の原則として『早期発見・早期治療』が叫ばれて久しいが、本当は『早期発見・適切治療』なのである。 50年前の全てのがん患者さんの5年生存率は約40%であったが、現在は65%以上となっているが、これは治療法の進歩だけではなく、早期発見例が増加したためである。 近藤氏の主張のような「がん検診の否定」や「がん放置療法」は論外といえよう。しかし、医師任せだった患者に「医師を疑う」視点を喚起させたことは意味があったと私は評価している。 科学的根拠を重視する医学界からは相手にされなかったため、市民向けの本を書くことが仕事となったようだ。 『治療するほど命を縮める。放置が一番』そんな過激な主張を繰り返していた近藤医師は、学術的な論文などはなく、一般向けの書籍や雑誌でしか主張を発表してこなかった。

『医者に殺されない47の心得』(2012年刊)もベストセラーとなったようだが、近藤信者となり命を落とす結果となった多くの患者さんを私は経験している。 まさにベストセラーに殺されたのである。医者に殺されない47の心得の本の最後に48番目の心得として、近藤誠を信じるなと追記してほしかった。 また彼には心筋梗塞ではなく、がんとなって放置療法後にどうなるかを経験してから死んでほしかったと思っている。 乳房温存療法後の治って当たり前の患者さんとしか接してこなかった近藤氏は資料5に示すような、胸膜にまで浸潤した術後再発進行癌の治療はしたことがないから間違った認識となるのである。 この症例は小線源の組織内照射だけが根治できる治療なのである。 今考えれば、私は「被曝して儲からない馬鹿かお人好し」しかしない治療をライフワークとしていたのである。

資料5

安倍元首相が旧統一教会絡みで命を落としたが、自分の頭で冷静に科学的・医学的に正しい知識で判断してほしいものである。 資本論で有名なカール・マルクスの言葉に『宗教はアヘンである』という言葉があるし、ナチ党政権下で国民啓蒙・宣伝大臣を務めたゲッペルスは『嘘も百回言えば真実となる』と言っている。 間違った結論で書かれたベストセラーを読んで命を落とした人は気の毒としか言いようがない。

最後に、知って頂きたい医療費の問題について書いて稿を終わることとする。 癌は1期で見つかれば、外科的切除や放射線治療などの局所治療法で95%前後は治癒し、数十万円の医療費で終わる。 抗がん剤治療も不必要である。 しかし症状を呈して病院を受診し3期で見つかれば、治癒率は約半分となり、半数は命取りとなる。 また3期の治療では抗癌剤治療も行われることも多いので、数百万から数千万円の医療費が必要となる。 がん医療費の8割は抗癌剤に使われているのである。 がん検診も否定する近藤氏の間違った主張も信じるべきではない。 癌も含め、多くの病気は生活環境が関係している。 放射線、農薬を中心とした化学物質、遺伝子組み換え食品などが絡んで、相乗的に発がんすることも動物実験では証明されている。 そのため日本は人口比で世界一がん発生率が高い国となっていることから、検診も保険診療とする姿勢で今後の日本のがん医療を考えるべきだと私は考えている。 最後に2016年に取材を受けた宝島の記事を添付する。ご参考まで。(添付資料5)

近藤氏は慶応大学を退職後、ビル開業して30分32,000円の相談料で相談外来を開設したが、受診した患者さんから話を聞けば、放置療法を勧められたという。呆れた話である。

私は院長になった2008年から『がん何でも相談外来』を開設し、相談時間に関係なく5,500円(5,000円+消費税)で相談外来を行っている。 この外来は紹介状も資料も必要なく、話だけ聞いて対応するというものである(資料6)。 この相談外来では、東京在住の母ががんとなり、札幌在住の娘さんが相談に来院することもできる。 全ての臓器の約3万人のがん患者さんに接してきた経験からできる特殊な外来である。 この外来を通じて感じることは、まだまだ放射線治療が上手に使われていないと感じている。

資料6

また、北海道新聞社の月刊雑誌「道新Today」に市民向けにがん医療の問題を論じた原稿を1997年から5年間連載した。 そこでは近藤誠氏の問題よりも、日本の不備で不完全ながん対策や医療政策の問題を色々な臓器のがん患者さんのエピソードを交えて市民向けに解り易く書いたものである。 それほど当時のがん医療は問題を抱えていたのであるが、こうした時代背景があったため、近藤信者も生まれる背景があったのであろう。 苦しい治療をしないほうが良いと言われれば、そちらになびく患者さんも生じるが、安易な対応をして命を落とすこととなれば、後悔しても命は救えない。 今回、これを機会に当ホームページ上に掲載したので、ダウンロードして読んで頂ければ幸である。 この本は2002年にNHK出版から『放射線治療医の本音』(非常識を退けて、がんと賢く闘え)と題して出版したものを当会から自費出版したものである。

“医者選びも寿命のうち、患者よがんと賢く闘え!” である。

合掌

患者さんのエピソードを交えて読み切りの形で執筆した『治療医の本音』増訂版はこちらからダウンロードしていただけます。


西尾 正道(にしお まさみち)

1947年函館市出身。札幌医科大学卒業。 74年国立札幌病院・北海道地方がんセンター(現北海道がんセンター)放射線科勤務。 2008年4月同センター院長、13年4月から名誉院長。 「市民のためのがん治療の会」顧問。 小線源治療をライフワークとし、40年にわたり3万人以上の患者の治療に当たってきた。 著書に『がん医療と放射線治療』(エムイー振興協会)、 『がんの放射線治療』 (日本評論社)、 『放射線治療医の本音-がん患者-2万人と向き合ってー』 ( NHK出版)、 『今、本当に受けたいがん治療』(エムイー振興協会)、 『放射線健康障害の真実』(旬報社)、 『正直ながんの話』(旬報社)、 『被ばく列島』(小出裕章共著・角川学芸出版)、 『患者よ、がんと賢く闘え!放射線の光と闇』(旬報社)、 『被曝インフォデミック』(寿郎社)、 『原発汚染水はどこへ』(岩佐茂共著、学習の友社) など。 その他、専門学術書、論文多数。
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