市民のためのがん治療の会
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『「原発汚染水はどこへ――海洋放出の危険性を問う」の紹介』


一橋大学名誉教授
岩佐 茂

本書は、中山一夫さん、西尾正道さんと私の3人による共著で、学習の友社から2022年9月(定価1320円)に出版したものです。 紹介する場をあたえていただき、感謝致します。

1. 本書出版の経緯

私は環境研究者として、3.11後、福島第一原発の過酷事故に関心をもち続け、高田純さん(札幌大学名誉教授)との共著『脱原発と工業文明の岐路』(大月書店、2015年)を出版したり、3.11にかかわる原稿を書いたりしてきました。 漫画『美味しんぼ』のファンであった私は、放射線被曝で鼻血が出る医学的根拠を示された西尾正道さんの国会での会見(2014年5月23日)の資料に依拠して、 「『美味しんぼ』騒動から見えてくるもの」(『季論21』第25号)を書いたこともありました。

原発汚染水についても、関心をもって動向を見守ってきました。 政府は早い段階から海洋放出を考えていたようですが、漁業従事者を中心に反対が強く、なかなか言い出せなかったわけです。 昨年4月に、菅義偉元首相がALPS処理水の海洋放出を決めて、事態は急に動き出しました。 3.11の反省によって新たに設置された原子力規制委員会までも、東電に早く海洋放出をするように促すありさまです。

原発汚染水の海洋放出は、将来に禍根を残しかねない愚策です。 それに反対するためには、海洋放出のリスクを訴えるとともに、海洋放出にかわる代替案を提示する必要があります。 前者にかんしては、3.11後、いち早く『放射線健康障害の真実』(旬報社、2012年)を、 最近では内部被曝とトリチウムのリスクに焦点をあてて『被曝インフォデミック』(寿郎社、2021年)を書かれた西尾さんにご相談しました。 内部被曝にかんしては、医学的見地から考察することが大切だと思ったからです。 後者にかんしては、中山一夫さんにご相談しました。 中山さんは、元石油資源開発(株)専務取締役で、3.11が起き、ALPSで処理できないトリチウム汚染水をどうするのかということが問題になっていたときから、 講演などで石油掘削技術を応用した大深度地中貯留がベターと訴えているからです。 3人で協力して、まとめたのが本書になります。



〈もくじ〉
まえがき
Ⅰ. 最初から結論ありきではなかったのか
―汚染水をめぐる議論の経緯から見えてきたもの
岩佐 茂
Ⅱ. 原発処理汚染水の危険性
西尾正道
Ⅲ. 汚染水の海洋放出にたいする代替案
―大深度地中貯留・保管を中心に
中山一夫
Ⅳ. ALPS処理汚染水を海に捨てるのだけはやめよう
岩佐 茂

2.原発汚染水の海洋放出のリスク

2021年4月に菅義偉元首相は、トリチウム汚染水の海洋放出を決めました。 多核種除去設備(ALPS)では処理できないトリチウム(三重水素)は、水とほとんど変わらず、安全であるというのが政府の言い分です。 しかも、さらに希釈して海洋放出するから問題がないと言います。 問題があるとすれば風評被害なので、海洋放出にかんする風評被害にたいしてしっかり対策をとれば良い、と宣伝しています。

しかし、政府のALPS小委員会の報告書では、トリチウムは、「他の放射性物質と比較して健康への影響は低い放射性物質」ですが、 「影響が出る被ばく形態は内部被ばく」であることを認めています。 この指摘は重要です。 わずかであっても、内部被曝は生物に蓄積され、食物連鎖のなかで濃縮されていくからです。

東電も、海洋放出は、外部被曝や内部被曝による「人、環境への影響は極めて軽微であることを確認した」と語っていますが、「極めて軽微」であっても、その影響を認めています。 そのため、汚染水の水槽で魚を泳がせてその影響を調べていると言いますが、それでは内部被曝が食物連鎖のなかで濃縮されていくリスクをとらえることはできないでしょう。

ALPS小委員会や東電は、内部被曝の科学的知見をまったく無視することはしていませんが、 海洋放出を着実に実行するためにつくられた関係閣僚等会議では、トリチウムは安全だということが強調され、リスクの問題は一考だにされていません。 トリチウムは内部被曝をとおして人体に影響をあたえます。 トリチウムのリスクは、本書の第2章で、内部被曝を無視する(外部被曝に内部被曝を加味した実効線量という概念を使い始めていますが)国際放射線防護委員会(ICRP)の基準ではなく、 人間の健康を守る医学的見地から、西尾さんが詳しく論じています。

タンクに保管されているトリチウム水は、原発汚染水の3分の1弱で、他の放射性物質を含んだ汚染水が3分の2強、ストロンチウムがタンク27基分あります。 共同通信が2018年にスクープしたことによって、東電もトリチウム以外の放射性物質を含んだ原発汚染水がタンクに貯蔵されていることを認めざるをえなくなり、「処理途上水」と命名しています。 本書では、ALPS処理水と合わせて、原発汚染水と呼ぶことにしています。

トリチウム水については、さらに浄化して海に放出すると言います。 「処理途上水」については、ALPSでトリチウム水にまで浄化したうえで、さらに希釈して海に放出しようというのが、政府の考えでしょう。 何十年もかかります。 さらに現在でも、原発汚染水は毎年5万トンほど増え続けています。 廃炉が完了するまで増え続けることになります。 政府は廃炉完了にまで半世紀ほどかかるというロードマップを作成していますが、遅れており、未だ燃料デプリの取り出しにも着手できていません。 その間、原発汚染水は増え続け、ALPSで処理したうえでさらに希釈して海に放出し続けることになります。

政府は、トリチウムの海洋放出は安全であり、問題は風評被害だけであると声高に語っていますが、2つの大きな問題をあいまいにし、ごまかしています。 一つは、すでに指摘しましたが、たとえわずかであっても、トリチウムが海藻に付着し、魚介類に摂取されれば、体内に蓄積され、何十年もの長期にわたって食物連鎖のなかで濃縮されていくということです。 もう一つは、「海洋放出」は聞こえが良いのですが、放射性物質の海への廃棄、海洋投棄にほかならないということです。

3.海洋放出は、ロンドン条約違反ではないか

東電は、海底に陸から1㎞のトンネンルを掘って、海底から海洋に放出することを考え、その工事に着手しました。 日本では、通常、原発の放水口から温排水を海に放水していますが、トンネルからの放出もそれと同じだと見せかけようとしています。

2020年4月に、ALPS処理汚染水の海洋放出について、国連人権理事会特別報告者は、ALPS処理汚染水の海洋放出について日本政府に「申し入れ」をおこないましたが、 そのなかで、1996年議定書の「遵守義務に従いながら、どのように放射性廃棄物の海洋放出を提案しているのか」という質問をしています。 「政府回答」は、「ロンドン議定書は、陸上で発生した廃棄物等の船舶等からの海洋投棄を原則禁止しているものであり、陸上施設からの廃棄物等の海洋への放出は同議定書の対象とはならない」というものでした。

ロンドン条約は、低レベルであっても放射性廃棄物を、船舶や「人工海洋構築物」から海洋に投棄することを禁止しています。 政府の言い分は、1㎞先のトンネルの放出口からの原発汚染水の放出は、「陸上施設からの廃棄物等の海洋の放出」であるというものです。 しかし、海底に1㎞ものトンネルを掘って、「陸上で発生した」放射性廃棄物を、トンネルの放出口という「人工海洋構築物」から海洋放出することは、議定書で禁止している海洋投棄ではないのか。 放出口をもつ1㎞のトンネルを「人工海洋構築物」とみなさないで、原子力発電所の放水口と同じようにみなすのは常識的に考えても無理で、こじつけの論理にすぎません。

ロンドン条約は、高レベルの放射性廃棄物の海洋投棄を禁止していました。 1993年10月にロシアが日本海で放射性廃棄物の海洋投棄をおこなった(それ以前も海洋投棄をおこなってきましたが)とき、 日本は、それを批判するとともに、11月2日に原子力委員会は、高レベル放射性廃棄物の海洋投棄を禁止したロンドン条約の締約国として、 「低レベル放射性廃棄物の海洋投棄の実施は、政治的、社会的見地から今や極めて困難と言わざるを得ない」という認識を示すとともに、 「今後、低レベル放射性廃棄物の処分の方針として、海洋投棄は選択肢としてとらない」ことを「決定」しました。

その直後におこなわれたロンドン条約第16回締約国会議で、低レベルの放射性廃棄物や放射性物質を含むすべての放射性廃棄物の「海洋投入処分の禁止」が決められ、 1996年議定書にも踏襲されて、「わずかであっても」船舶や人工海洋構築物などからの海洋投棄が禁止されましたが、 1996年時点では、通常おこなわれている原発放水口からの温排水の排出については意見がまとまらなかったようで、附属書で、1994年から25年後ごとの「再検討」を決めています。

ロンドン条約締約国会議に、NGOとして参加しているグリーンピースの報告では、 ここ数年日本は、トリチウム汚染水の海洋放出については、締約国会議ではなく、国際原子力機関(IAEA)で議論すべきことを主張し、アメリカ、イギリス、フランスが同調しているようです。 ロンドン条約の改正は締約国全体の一致が必要ですが、ロンドン条約が高レベル放射性物質の海洋投棄の禁止から低レベル放射性廃棄物の禁止へと、 さらに原発からの温排水の排出をどうするかが議論されている流れのなかで、今後何十年にもわたって原発汚染水の海洋投棄を国際社会が認め続けることになるとはとうてい思われません。

4.海洋放出にかわる代替案を

海洋放出は海洋投棄ということであって、廃棄したあとは、政府や東電は責任をもたないことになります。 こんな無責任なことはありません。 原発の放水口から排出される温排水と同じだと言いますが、廃棄される放射性物質は膨大な量にのぼります。 捨てるのではなく、原発汚染水に含まれている放射性物質が半減期を経て無害化するまで保管・管理するべきで、事故を起こしたものには、その責任があります。 ノルウェーのオンカロの核廃棄物の最終処分場は、最終処分といっても、10万年間保管・管理することになっています。

原発汚染水を保管・管理する現実的な方法としては、地上でおこなうか、大深度地中で貯留するか、二つの方法があるかと思います。 一つは、NGOの原子力市民委員会が提案している、地上の大型タンクで保管する方法です。 100年以上保管する必要があります。 もう一つは、大深度地中貯留による保管・管理です。 石油掘削技術で確立された、信頼できる技術だと思います。

後者の方法についてはまだ十分に広まっていませんので、第3章で、中山さんに丁寧に説明していただきました。 石油掘削は、地下に眠る原油を地上に汲み上げることになりますが、大深度地中貯留はその逆で、地上の汚染水を大深度地中の空間に注入することになります。 政府は、高レベルの放射性物質の処分場を探し回っていますが、これは、地震の影響の可能性もある、数百メートルの地下に保管することで、 中山さんが提案している、2∼3000メートルの大深度地中に原発汚染水を保管することとは根本的に違います。

大深度地中貯留は、CO2の回収・貯留(CCS)の方法として注目されています。 CCSは、気候危機に適応するために、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が、CO2削減の一つの解決策として提唱しました。 日本でも、苫小牧で実証実験がおこなわれています。 2030年頃には実用化できるといわれています。 しかし、自然エネルギーの単価は2030年には石炭による火力発電の単価と同じ水準になると見通されていますので、火力発電とCCSのセットでは、経済面で自然エネルギーに太刀打ちできないでしょう。 でも、燃焼によって大量にCO2を排出する鉄鋼やセメント産業では、CCSは有益な方法として活用されていくと思われます。 汚染水の大深度地中貯留は、CCS活用の一つということができるでしょう。

福島の原発の周辺には活断層もあり、大深度地中貯留する適地があるのかどうかという問題もあります。 中山さんは、現職のときに、福島で掘削可能かどうかのシミュレーションや調査をおこなったと語っています。 どのような工程で大深度地中貯留をおこなうのか、それにかかるコストはどの程度になるかについては、本書で具体的に言及されています。

大深度地中貯留は、石油掘削で確立された技術であるとはいえ、目にみえないところに貯留・保管するので、大丈夫かという不安感が伴いますが、 地上での長期のタンク保管も、腐食や汚染水の漏洩、大地震の被害などのリスクが伴います。 石油備蓄タンクの寿命も27∼8年といわれていますので、100年以上の保管には、タンクの交換が何回かおこなう必要がでてきます。 どちらも一長一短があるように思われるかもしれませんが、海に捨てる愚策よりもはるかにベターな方法です。 希釈したトリチウム水だけを大深度地中に貯留・保管し、他の放射性物質を含む原発汚染水は地上のタンクで保管するなどのハイブリッド型で保管することも検討されてよいでしょう。

原発汚染水は、今タンクに保管されている分だけではありません。 地下水が原発建屋に流れ込むなど、今のところ、毎日140トン、1年で5万トンほどの原発汚染水が生じています。 政府・東電は、2017年に凍土壁をつくりましたが、トラブル続きのうえ、耐用年数は7年ほどといわれています。 廃炉が完成するまでのあいだ、長期にわたって原発汚染水は発生し続けますが、それにたいする対策を東電は何も出していません。 地学団体研究会(地団連)は、原発建屋に地下水を近づけないために、コンクリートで「原子力建屋の周辺を広く囲む広域遮水壁」をつくることを提唱しています。 この課題に取り組まなければ、廃炉が終了するまで、原発汚染水を海に捨て続けることになります。

いずれにしても問われているのは、海に捨てて「責任」を果たしたという無責任な態度をとるのか、事故をおこしたものの責任として、 汚染水を浄化するまで保管・管理するという責任ある態度を貫くのかという選択です。


岩佐 茂(いわさ しげる)

1946年旭川市出身。 1973年3月北海道大学文学研究科博士課程中退、同年4月同文学部助手、 1977年10月北見工業大学講師・助教授、 1984年9月一橋大学社会学部助教授・教授。 1989年5月~1991年5月日本科学者会議東京支部事務局長、 2000年7月~2002年7月日本科学者会議事務局長。 2010年3月一橋大学社会学研究科定年退職。 2020年6月~労働者教育協会常任理事。 『人間の生と唯物史観』(青木書店、1989年)、 『ヘーゲル用語事典』(共編著、未来社、1991年)、 『環境の思想』(創風社、1994年)、 『精神の哲学者 ヘーゲル』(共編著、創風社、2003年)、 『環境リテラシー』(共編著、リベルタ出版、2003年)、 『環境保護の思想』(旬報社、2007年)、 『マルクスの構想力』(編著、社会思想社、2010年)、 『脱原発と工業文明の岐路』(共著、大月書店、2012年)、 『生活から問う科学・技術』(東洋書店、2015年)、 『マルクスとエコロジー』(共編著、堀之内出版、2016年)、 『原発汚染水はどこへ』(共著、学習の友社、2022年)、他。
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