『ボストン・ウェルネス通信その8 米国、歴史的な飲料水のPFAS規制を発表』
大西 睦子
この度、再々に亘り当欄にご寄稿いただいている大西睦子先生が、アメリカのバイデン政権が決定したPFASについての重要な規制について報告されたので、ご許可を得て転載させていただいた。
その結果、米環境保護局(EPA)は、飲料水のPFASのうちPFOSとPFOAの基準値を非常に厳しく1リットルあたり4ナノグラム(4ng/L)としたが、現在日本の暫定目標値は、PFOSとPFOA の合計で50ng/Lである。 ぞっとする事態だ。直ちに基準値の見直しを図るべきだが、国会もメディアも一向に取り上げていない。
なお、本稿の初出は2024年04月24日MRIC by 医療ガバナンス学会 発行Vol. 24076(http://medg.jp)です。
転載をご許可いただきました大西先生並びに医療ガバナンス学会に感謝申し上げます。
「有機フッ素化合物(PFAS)」、いわゆる「永遠に残る化学物質(フォーエバー・ケミカル)」の疫学調査などによる人体への様々な影響について、以前のMRICでお話ししました(1)。
昨年12月には、WHOのがん研究機関IARCが、そのうちの「PFOA」を4段階の分類のうち最も高い「グループ1:発がん性がある(ヒトにおいて発がん性の十分な証拠がある)」に引き上げ、 「PFOS」は「グループ2B:発がん性がある可能性がある」に位置づけました(2)。
米国では、これらの化学物質の規制強化に取り組んできたバイデン政権が、今月、歴史的な規制を発表しました。 ここに至るまで、PFASをめぐる壮絶な戦いがありました。
●一人の弁護士と巨大企業との戦い
2016年1月6日のニューヨークタイムズ(N YT)「The Lawyer Who Became DuPont’s Worst Nightmare(デュポン社にとって最悪の悪夢となった弁護士)」によると(3)、 1998年ロブ・ビロット弁護士は、ウェストバージニア州パーカーズバーグの農場主ウィルバー・テナントさんから直通電話を受けました。 テナントさんは、牛がそこら中で死んでいくと語りました。 そしてつい最近まで、パーカーズバーグで国防総省の35倍以上の敷地を運営していた化学会社デュポンが責任を負っていると信じていました。 デュポンが町全体を所有する寸前だったといいます。
ビロット氏は、怒ってひどいアパラチア訛りで話すテナントさんの言っていることすべてを理解するのに苦労したそうです。 テナント氏がビロット氏の祖母、アルマ・ホランド・ホワイト氏の名前を口に出さなかったら、電話を切っていたかもしれません。 ホワイト氏はパーカーズバーグ郊外に住んでおり、ビロット氏は子供の頃、夏によく訪れたそうです。 隣人の農場への訪問は、ビロット氏の最も幸せな子供時代の思い出の 1 つでした。
ただし当時、ビロット氏の専門は化学会社の弁護士でした。 何度か、デュポンの弁護士と協力して訴訟を担当したこともあったそうです。 それにもかかわらず、祖母へのお願いとして、農場主に会うことに同意しました。 ビロット氏は、 「それが正しいことだと感じたんです」「あの人たちとのつながりを感じました」と言います。
こうして一人の弁護士と巨大企業との戦いが始まりました。 そしてビロット氏は、自身のキャリア全体をひっくり返すことになる環境訴訟に挑戦し、数十年にわたり大気や土壌に投棄されてきた化学物質汚染の隠蔽された歴史を暴露しました。
さらにこの記事は、2019年に映画「ダーク・ウォーター:大企業が恐れた男」として公開されました。 この映画によって多くの米国人が初めてPFAS問題を知り、全米で、個人、地域社会そして水道事業者などから訴訟が始まりました。
タイムズ(4)によると、1998年のテナント対デュポン訴訟(Tennant vs. DuPont)、 2001年のリーチ対デュポン訴訟(Leach vs. Dupont)、2006年のロウ対E.I.デュポン訴訟(Rowe vs. E.I. DuPont de Nemours Co)の3つのPFAS訴訟の証拠開示の過程で、ビロット氏は内部文書を入手しました。
これらの文書はカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の図書館に寄贈され、 2023年6月の『Annals of Global Health』誌の論文(5)の執筆者ナディア・ゲイバー博士らが研究のために閲覧できるようになりました。
●PFASメーカーは危険性を隠蔽していた
ゲイバー博士らの報告によると、3Mとデュポンの内部文書から、両社は1961年にはすでに化学物質が人間の健康に有害であることを知っていたことが判明しました。 例としては次のものが挙げられます。
臓器肥大:同社の報告書によると、1961年の時点で、テフロン素材には「低用量でラットの肝臓を大きくする能力」があることを発見し、 化学物質は「『細心の注意』で取り扱うように」「皮膚との接触は厳に避けるべきである」と勧告していたといいます。
摂取後の動物の死亡:1970年の内部メモによると、デュポンが資金提供したハスケル研究所は、C8(数千のPFASのうちの1つ)が「吸入すると非常に毒性があり、摂取すると中程度の毒性がある」ことを発見しました。 そして、1979年のデュポン社の非公開報告書で、ハスケル研究所は、PFOAを1回投与された犬が「摂取後2日で死亡した」ことを発見しました。
従業員の子供の先天性欠損症: 1980 年、デュポンと 3M は、C8 製造で働いていた妊娠中の従業員 8 人のうち 2 人が先天異常のある子供を出産したことを知りました。 これらの結果は公表されなかっただけでなく、従業員にも伝えられませんでした。
同大学のニュース(6)によると、1998年と2002年の訴訟を受けてPFAS汚染に対するメディアの注目が高まる中、 デュポンはEPAに電子メールで「EPAに(明日一番に)すぐに次のことを言ってもらう必要がある」 「テフロンブランドで販売されている消費者向け製品は安全であり、現在も安全であるということ」 「 PFOA によって引き起こされる人間の健康への影響は知られていません」と尋ねたそうです。
●訴訟、訴訟・・・そして訴訟の波
現在、大企業と戦っているのはビロット氏だけではありません。 前述のタイムズによると、ニューヨークを拠点とする法律事務所ダグラス&ロンドンのパートナーであるマイケル・ロンドン氏は、現在、デュポンや3Mなどに対して、全国で15,000件以上の訴訟が提起されているといいます。 中小のPFASメーカーも数社、訴訟に直面しています。これまでのところ、デュポン、ケムール、コルテバ、3Mの4社は、PFAS汚染による損害賠償として合計115億ドル近くを支払っています。 ただしこの数字は、1990年代にビッグ・タバコが支払った2000億ドル以上を上回る可能性があり、そして、環境弁護士はそうすべきだと主張しています。
米環境衛生団体の連合体「Safer States」(7)によると、2024年4月現在、30州の司法長官が水道やその他の天然資源を汚染したとして、PFAS化学物質の製造業者に対して訴訟を開始しています。 例えば、マサチューセッツ州では2022年、司法長官は、飲料水源、地下水、その他の天然資源を故意に汚染し、マサチューセッツ州全域の地域社会に数百万ドルの損害を与えたとして、PFAS化学物質のメーカー13社を告訴しました(8)。
ミネソタ州は2018年に和解し、デラウェア州は2021年に和解。2023年初めには、ミシガン州が旭化成プラスチック社との訴訟のひとつを和解し、最近ではニュージャージー州がソルベイ社との3億9300万ドルでの和解案を発表しました。
ただしPFAS化学物質による害を管理するための費用は、PFASメーカーである3Mによる最近の和解案103億ドルや、ダウ、デュポン、ケムールとの和解案18億ドルをはるかに上回ると見積もられています。 最近、22州の司法長官がこの和解案に公然と反対しました。 というのも、「メーカーである3Mをあまりにも簡単に許してしまうから」です(9)。
3Mの本拠地であるミネソタ州では、ミネソタ州だけでPFASを浄化するのに140億ドルから280億ドルの費用がかかると州公害防止局が見積もっています。 Politicoは、全国の飲料水に含まれるPFASの浄化には4000億ドルかかると報じています。 アリゾナ州、カリフォルニア州、コネチカット州、ミシガン州、ミネソタ州、バーモント州、ウィスコンシン州などがPFAS汚染に対処するための資金を割り当て、メイン州は農家を支援するために7000万ドルの計画を決定しました(9)。
●バイデン政権の歴史的な飲料水の規制:数十年にわたる活動の集大成
さて、4月10日、米環境保護局(EPA)は、飲料水のPFASのうちPFOSとPFOAの基準値を非常に厳しく1リットルあたり4ナノグラム(4ng/L)と定めました。 EPA当局は、この基準値は測定可能な最低レベルであるとしています(10)。
EPAは、この規則の対象となる全米66,000の公共飲料水システムの約6%から10%が、新しい基準を満たすために措置を講じなければならないと推定しています。 すべての水道会社は初期モニタリングを3年間で完了し、飲料水中のPFASの測定値を一般市民に知らせなければなりません。 さらにPFASがこれらの基準を超えるレベルで検出された場合、5年以内に飲料水中のPFASを削減するための対応をしなければならない。
A Pニュースによると、EPAは、この規則を実施するために毎年約15億ドルの費用がかかる、そうすることで数十年にわたって1万人近くの死亡を防ぎ、深刻な病気を大幅に減らすことができると見積もっています(11)。
バイデン政権は、超党派のインフラ・パッケージから90億ドルを、水道システム内のPFASを緩和する取り組みに充てます。 飲料水中のPFAS汚染に取り組むための史上最大の投資です。 また120億ドルを飲料水インフラ全般の改善に充てます(12)。
さらにバイデン政権は4月19日、PFOSとPFOAを製造または使用している多くの企業に対し、環境中に放出されたものを監視し、浄化する責任を負うよう強制することを発表しました。 これらの企業は数十億ドルの負債を抱えることになります(13)。
さて、EPAが新たな汚染物質の飲料水基準を設定するのは1996年以来初めてです。 EPA当局は、この連邦規則によって約1億人の飲料水中のPFAS暴露が減少すると推定しています。 ロブ・ビロット弁護士は公衆衛生の大勝利を祝い、「数十年にわたる活動の集大成」と声明で述べました(14)。
現在日本では、飲料水の暫定目標値は、PFOSとPFOA の合計で50ng/Lです(15)。 今回の米国の新しい基準は日本にも影響する可能性があるでしょう。
(1)http://medg.jp/mt/?p=12119
(2)https://www.iarc.who.int/faq/iarc-monographs-evaluate-the-carcinogenicity-of-perfluorooctanoic-acid-pfoa-and-perfluorooctanesulfonic-acid-pfos/
(3)https://www.nytimes.com/2016/01/10/magazine/the-lawyer-who-became-duponts-worst-nightmare.html
(4)https://time.com/6292482/legal-liability-pfas-chemicals-lawsuit/
(5)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC10237242/
(6)https://www.universityofcalifornia.edu/news/makers-pfas-forever-chemicals-covered-dangers
(7)https://www.saferstates.org/priorities/pfas/
(8)https://www.mass.gov/news/ag-healey-sues-manufacturers-of-toxic-forever-chemicals-for-contaminating-massachusetts-drinking-water-and-damaging-natural-resources
(9)https://www.saferstates.org/press-room/more-than-half-of-us-state-attorneys-general-have-taken-action-against-pfas-manufacturers-and-key-users/
(10)https://www.epa.gov/newsreleases/biden-harris-administration-finalizes-first-ever-national-drinking-water-standard
(11)https://apnews.com/article/forever-chemicals-pfas-pollution-epa-drinking-water-1c8804288413a73bb7b99fc866c8fa51
(12)https://www.epa.gov/newsreleases/biden-harris-administration-finalizes-first-ever-national-drinking-water-standard
(13)https://www.epa.gov/newsreleases/biden-harris-administration-finalizes-critical-rule-clean-pfas-contamination-protect
(14)https://www.epa.gov/newsreleases/what-they-are-saying-biden-harris-administration-takes-critical-action-protect-100
(15)https://www.env.go.jp/content/000150400.pdf
内科医師、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ在住、医学博士。 1970年、愛知県生まれ。 東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。 国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。 2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。 2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。 ハーバード大学学部長賞を2度受賞。 現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員として、日米共同研究を進めている。 著書に『カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側』(ダイヤモンド社)。 『「カロリーゼロ」はかえって太る!』(講談社+α新書)。 『健康でいたければ「それ」は食べるな』(朝日新聞出版)などがある。