市民のためのがん治療の会はがん患者さん個人にとって、
  最適ながん治療を考えようという団体です。セカンドオピニオンを受け付けております。
   放射線治療などの切らずに治すがん治療の情報も含め、
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市民のためのがん治療の会
厳しい状況の患者でも、なんとかしてあげたいと思う医師の熱意
『癌難民・移植難民と私の雑学』
呉共済病院診療部長
泌尿器科部長
がんペプチドワクチン研究センター長
光畑 直喜
移植だけでなく標準治療後の進行再発癌の抗癌剤治療にも長年携わっていた経験から、まだまだ体力、気力とも残っているのに主治医から、ターミナル医療を勧められたため、愕然として失意の底にある癌難民の方に少しでも役立つならとの思いで研究に臨床にまい進される光畑先生。 2006年秋に病腎移植事件が世に出た際に、学会、マスコミから非難のバッシングの最中、私を辞任させる旨の報道が出た2007年春に、たった2週間で3万人を超える残留請願署名を集めていただいた方々の95%以上が県内外からの癌患者さん又はその家族や遺族の方からだった。 2006年の病腎移植報道の際、いち早く応援して下さったのは、中村祐輔教授だった。
 私は、船医を1年間勤めた後、岡山大学の泌尿器科へ入局しました。その頃、熱中していたものといえば野球と麻雀でしたが、教授に「しっかり雑学をやって知的好奇心が湧き上がったら、はじめてその道を突き進めばよい」と教えられていました。この教授は、後に母校へ帰られ天皇陛下の主治医を長期間勤められ、今でもお元気です。

 野球部出身の先輩は、なぜか脳外科と泌尿器科が共に多く、次いで整形外科で占めていました。

 ある学会で、睾丸腫瘍の患者さんが脳転移を生ずると、抗癌剤が脳血管から腫瘍へと到達しないために抗癌剤が効かずに不幸な転機をとると発表されているのを聴いて、本当に抗癌剤が脳に到達しないのかと、初めて湧きあがるような疑問を生じ、私の雑学への思いが芽生えました。

 睾丸腫瘍の患者さんの絶対数が少ないため、脳転移を発症しやすい肺癌、乳癌あるいは原発性の悪性脳腫瘍患者を対象にしたいと考え、そのような患者さんを受け持つ野球部出身の脳外科の先輩Drs.の協力を仰いで脳転移の抗癌剤治療と研究に取り掛かりました。

 脳各部位の血流と抗癌剤の到達濃度は、脳血管関門(BBB)が破綻していれば、相関関係がありますが、脳腫瘍の種類、進展度によって脳血管関門の状態は、常に変動しているので簡便な方法で外から脳の各部位での血流変化を確かめる事ができる半減期が13秒と極めて短い核種81mkrを使用して、経時に観察し、できるだけ抗癌剤を高濃度に腫瘍部と腫瘍の周辺部に到達させ、反対に正常な脳組織への抗癌剤の到達を一時的に少なくして正常脳を保護する治療目標をたてました。

 血管作動薬であるアンジオテンシンUを抗癌剤と共に骨盤内動脈へ直接動注化療する治療を泌尿器科癌で既に実施していましたので、これを脳転移の患者さんに応用しました。

 膀胱癌では、アンジオテンシンUを動脈注入に際し、抗癌剤と共に併用すると膀胱癌の部位で通常の動脈注入よりも三、四倍の高い抗癌剤濃度が観測され、反対に正常膀胱部位では、血流、抗癌剤濃度とも半減する事を観察していましたが、同時に腫瘍内の酸素濃度もこの薬剤を使用すると、癌部位での酸素濃度が上がり、治療係数の増加につながることもわかりました。しかし、脳血管関門がある脳転移の症例では、小細胞癌の如く初期の段階でも、脳血管関門が破綻していくため抗癌剤が腫瘍部も正常部も含めて到達してしまうこともわかってきました。

 それ以外の原発性脳腫瘍あるいは、肺癌・乳癌・婦人科癌の脳転移では、アンジオテンシンUを使用すると脳血管関門が破綻している腫瘍部とその周辺部では、血流が増加し、離れた正常脳部では血流が一時的に低下する研究を経て、抗癌剤をこの薬剤と共に内頚動脈あるいはソケイ部からの脳への四本の支配動脈にカテーテルを進めて治療する方法を発表しました。数回の脳手術、放射線治療にも抵抗性の悪性脳腫瘍の患者さんの癌が縮小し、地方の脳外科学会でも発表していきました。

 しかし、胃癌の脳転移の患者さんでこの治療により腫瘍は小さくなりましたが、不幸にも視力に障害が出現した症例に遭遇しました。

 そこで、過去に尊い治療経験をさせていただいた脳転移患者さんの脳外科主治医のもとで、癌死後、解剖されていた患者さんの遺族、主治医、病理医の御了解を得て、抗癌剤である白金製剤の蓄積量を部位別に計測してみることにしました。結果的に、予想通り腫瘍と腫瘍周辺部には高濃度に抗癌剤が到達していました。また、併用薬剤により正常域の血流を一時的に下げた正常脳組織では、反対側正常脳組織に比べても、さらに少ない薬剤濃度しか検出されませんでした。

 すなわち、アンジオテンシンUを使用する事によって、同時に動脈内投与した抗癌剤が、腫瘍およびその周辺部で予想以上に抗癌剤が達しており、反対に正常脳は抗癌剤の到達が通常法より明らかに低下し、正常脳を保護していました。

 しかし、唯一視神経交叉部付近の神経組織では白金濃度が高濃度に蓄積しており、これが患者さんの視力低下の一因であると推定されました。

 その後、海外でも同様に内頚動脈からの脳転移の動注化学療法で視力障害の報告が散見されましたが、眼動脈あるいは視交叉部位を避けてカテーテルを挿入して治療していく方法へと改良されました。血管作動薬で治療係数を上げる試みの他に、抗癌剤そのものの代謝系に作用して効果を上げる研究も併行して開始しました。

 当時、広範囲に使用されていた抗生物質系の抗癌剤であるアドリマイシン系と、食道・胃・大腸でよく使用されているフッ化ピリミジン系抗癌剤である5FUにロイコボリンを併用して、5FUの細胞内での効果増強を海外の論文より勉学し、その治療法の応用を考えました。幸い、ブタペストでの化療学会で、膀胱癌の動注化療を発表した際、私の前に口演者であったフランスのMachover,D(米国NCIのCancer Treatment Report:1803−1807,1982.にて大腸癌患者の治療において多量ロイコボリンと5FUの応用を報告したDr.)の発表を目の前で聞き、感銘を受けすぐさま帰国し、5FUに効くとされる消化器系癌の動注化療にロイコボリンを多量併用出来ないものかとすぐに関係先に連絡を取りました。当時は、仏、米国も5FUとロイコボリンの投与法は全て静脈内に点滴するものでしたが、私は肝臓を含めて癌病巣の支配動脈域で直接動注するやり方を採用しました。

 日本レダリー社にお願いしてロイコボリンを治療用に入手できないかを相談したところ、本邦では、当時2mg/アンプルの注射薬しかなく200mg/m2の多量投与は保険で認められておらず、困っていたところ米国のRoswell Park Memorial Hospitalから米国での治験用に余った30r/アンプルのロイコボリンを無償で供与していただくことができ、これを進行した消化器癌の5FUを含む抗癌剤と共に動注する治療を開始し、昭和61年に日本語ではありますが20数名の進行癌の治験成績を大学の同級生の外科医と共同で発表しました。

 その後、約10年以上を経て国立がんセンターの消化器癌チームが5FUと多量ロイコボリンの併用治療を本邦で紹介していました。

 その頃には、私の雑学の知的好奇心の興味は、腎移植への分野へ移っていました。

 癌難民と同様に慢性的な移植腎ドナー不足の日本では、比較的若い血液透析患者にも透析から健康を取り戻す腎移植のハードルは高く、特に片親から生体腎の提供を受けても現在のように免疫抑制薬が進歩していない頃は、よくて10年も経れば、移植した腎臓も機能しなくなり、透析に逆戻りしていく厳しい現実がありました。

 次のドナー候補は、もう一人の片親からとなりますが、2次移植前に既存抗体が出現しており、当時は低感度のクロスマッチさえ合えば、すぐさま次の移植を実施していましたが、移植したその日のうちに激しい抗体関連型急性拒絶のため、腎をやむなく摘出しなければならなくなり、結果的にドナー、両親、腎不全の移植者本人を含めて3人を不幸に陥れてしまう残酷な移植医療をなんとか改善できないものかと、考え始めました。

 私が1991年はじめて病腎移植を実施したのは、前述した如く健康を取り戻して仕事へ復帰し、自由に水分が摂れ、ラーメンや果物も食べられる普通の人間としての生活を望む透析患者さんが、ドナーのいない不幸のどん底におかれた現実を目の当たりにした経験からです。

 たとえば、家庭の主が不幸にして腎不全となり、血液透析を導入され、経済的にも肉体的にも破綻し、学校の教員から塾の先生へ転出し、その後肉体苦からその職場も迫われ生活保護になっていくという現実、あるいは両親から2回の移植を受けたのに、また透析生活へ戻り、主夫となった男性の家族が子供の不登校、夫婦仲の亀裂など家族全員がストレスを溜めてゆく移植難民の患者さんと対峙すると、彼らは自らの心の叫びを主治医の前にだけ初めて吐露してくれます。

 ある患者さんの場合ですが、1回目の移植を妻から腎提供を受け実施したが、拒絶反応のため摘出をよぎなくされ、二度と戻りたくなかったであろう透析生活へ戻った時、将来を悲観し何度も自殺を考え、夜中に目を覚ますと尊い腎を自分に提供してくれた隣に寝ている妻の顔を見る度に、この人を残して自分だけ死を選ぶのは卑怯だと自殺を思いとどまる患者さんの心の叫びを前にして医者は何をなすべきか自問自答しました。
遅々として増加しない献腎移植をただひたすら登録をして10数年ドナー腎を待機しなさいと彼等に説明しても道は開けません。

 この時に思いついたのが、病気で摘出する腎をホルマリン浸けで保存し、5年後に焼却処分するのではなく、使用可能な摘出腎であれば、修復して再利用し、一定のリスクを許容する腎不全の患者さんで、切に移植を希望する人に提供するという考えです。

 我々、瀬戸内グループに属する医師団が宇和島市立病院の万波誠Dr.を中心に患者さんとともに団結して第3の移植に踏み出しました。

 呉共済病院でも1991年から6名の腎不全患者さんへの修復腎移植を実施しています。結果的にドナーとなった方の疾患は、腎動脈瘤2名、腎癌1名、尿管癌3名で、当院あるいは県外の病院にて、癌部分を切除した後、病気を持っていた腎臓でも喜んで移植を受けたいと願う患者さんへの移植手術を実施していました。6名中5名が、2回目、3回目の移植経験者です。

 特に担癌患者さんからの病的部位を除去して移植しても癌が再発するリスクはあるため、再々にわたり本人、家族、主治医ととことん話しあったうえでこれらの移植を実施しました。拒絶反応で全く透析から離脱することなく、移植された腎臓を摘出した患者さん1名を除いて、動脈瘤の患者さんからいただいた腎を大切にして21年間普通の生活ができている人を最長に、担癌患者さんからの4名の移植者も10年から15年間移植腎は生着し、見知らぬ腎提供者の好意にいつまでも本人や家族が感謝しています。

 1991年来当科では、本来の治療目的で入院され、かつ自らの病気の再発等の不安の中で摘出し、再度修復して第3者に移植することを決断していただいたすべての過程を書面でのコンセントで記録していましたが、2006年秋に病腎移植事件が世に出た際に、学会、マスコミから非難のバッシングの最中、私を辞任させる旨の報道が出た2007年春に、たった2週間で3万人を超える残留請願署名を集めていただいた方々の95%以上が県内外からの癌患者さん又はその家族や遺族の方からだった事を移植者団体の方から知らされました。当時私は、移植だけでなく標準治療後の進行再発癌の抗癌剤治療にも長年携わっていた経験から、まだまだ体力、気力とも残っているのに主治医から、ターミナル医療を勧められたため、愕然として失意の底にある癌難民の方に少しでも役立つならとの思いで、当時、全国的に癌のセカンドオピニオンを行っていた平岩正樹Dr.の主催するがんWeb相談室(http://2nd-opinion.fast-corp.jp/)の回答者として2003年〜2007年11月まで担当を続け、その後病腎移植問題の道義的責任をとり、ボランティアでの回答者から降板しました。

 しかし、自ら行ってきた医療に対しては全くぶれることなく正しい事をしたと自負しております。

 腎不全で移植を待つ難民の患者さんのみならず、癌治療の相談で私と何らかの接点があった癌患者さんを中心にこれだけの応援が得られた事は、移植難民も癌難民も、医学的立場は全く異なっても思いは同じで、更に希望と光を求めて、同じ目線で共に悩み、bestでなくてもbetterな治療法を提示してゆく大切さをこの事例を通じて再認識しています。

 最新の雑学への思いを再度奮い立たせてくださったのが、東京大学医科学研究所の中村祐輔教授でした。2006年の病腎移植報道の際、いち早く応援して下さった中村教授を私は知りませんでした。何せ、学生時代には野球ばかりやっていましたのでワトソン博士さえ知りませんでした。中村先生の知人の紹介で、はじめて医科研の中村教室で講義を受けた時、今まで癌治療の分野で経験してきた疑問、即ち個々の癌治療はどうあるべきか、薬の容量は体重面積から算出する方法への疑問、怪しいエビデンスへの疑問、抗癌剤の副作用効果の個性差と20数年間悩んでいた課題が先生の講義を聴いて、目からうろこの如く新鮮なお話でした。

 抗癌剤の治験を考える場合、同じ患者さんの背景因子の中に、その薬剤に対する遺伝子多型の群を均等化して、比較検討して初めて幼いエビデンスが生まれてくること、今までのエビデンスは、参考に過ぎず次世代のエビデンスは、遺伝子背景を考慮して初めて知り得ること、癌の発育・増殖を促す癌遺伝子あるいは癌抗原に対する診断薬と分子標的剤、特異的な癌ペプチドワクチンの治療の時代が来ていることを中村教授の講義を聞いて意を強く致しました。

 我々の病院は、悪性中皮腫に対する癌ワクチンの選定作業の研究を実施しています。アスベストは断熱剤として広く世界で使用された時代があり、特に造船業・建築・自動車産業に広く汎用されていましたが、30〜40年を経て体内に入ったアスベスト粒子が悪性の中皮腫を発症させることが知られています。現在では使用されていませんが、旧軍港であった呉市周辺では、労働作業中にアスベストの被ばくにあい、中高年になって悪性中皮腫を発症した患者さんの尊い手術検体・剖検検体が残されており、倫理指針に基づいて再度、検体中の癌抗原を染色して、治療に難渋している悪性中皮腫患者さん用の癌ワクチンの開発を目指して研究中です。

 アスベストを使用した建築物は、学校の体育館、校舎のみならず一般の家庭にも使用されており、先の神戸の大震災、東北大震災での超多量のアスベストを含んだ大気を放射能以外に、発癌物質として体内に知らずに取り込んでいます。また、一般家庭の水道水にも地震・津波に関係なく広くアスベストは存在しています。

 現在、英国は第2次中皮腫の増加期ですが、米国・日本の第2次増加期は、10数年先に訪れます。この日に備えて、少しでも眠っている検体が再度後世に役立つのであれば、先の患者さんも喜んでいただけると思います。

 また中村教授の癌ワクチンの臨床研究、製薬会社等の治験に参加してヒントが得られた事は、中皮腫の癌ワクチン研究と併行して、原発巣が不明の腺癌、扁平上皮癌の原発巣の確定に際して、癌を増殖させる癌抗原を得られた検体に対して広範囲に染色を施し、その発現強度の濃淡あるいは従来のバイオマーカーを駆使しながら原発巣不明癌の原発巣探求に役立つ日が来ると確信して病理医と共に研究中です。現に、当院でも原発巣不明の骨転移の少量の標本から原発巣を特定して迅速な治療の開始にこぎ着けた事例が出ています。この手法が応用確立されれば、全国の原発巣不明癌の患者さんに治療の糸口を与えることが可能になるかもしれません。

 数々の癌治療、移植医療をはじめとする雑学を通じて、学んだ事は癌難民もドナーがいない移植難民も全く立場は同じであり、治療する側の医療者がいかに患者さんの視点で物を捉えられるかという点で幅広い雑学を応用することと知的好奇心を持ち続ける事が大切と再認識いたしました。

 この度は、市民のためのがん治療の会への寄稿を承り、今までの先生方とは全く違って、土着で新鮮味に乏しいですが熱意だけは持ち続けておりますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


略歴
光畑 直喜(みつはた なおき)

昭和49年5月30日医師免許取得後船医として勤務、昭和52年岡山大学医学部附属病院泌尿器科医員、広島市民病院泌尿器科を経て岡山大学医学部附属病院 泌尿器科助手。平成元年国家公務員共済組合連合会呉共済病院泌尿器科に移り、同科医長、部長を経て平成23年国家公務員共済組合連合会呉共済病院診療部長、同病院がんペプチドワクチン研究治療センターセンター長、現職

関係学会:日本泌尿器科学会 専門医・指導医、日本がん治療認定医機構 暫定教育医 日本移植学会 日本癌治療学会 日本臨床腎移植学会 広島県腎移植更生医療認定医 日本バイオセラピィ学会
医学博士
万波誠を中心とする瀬戸内移植グループにて20数年腎移植に従事

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