喫煙者のみならず受動喫煙の危険もあるタバコの害
『タバコと頭頸部がん』
大阪府立成人病センター耳鼻咽喉科主任部長
大阪大学医学部臨床教授
吉野 邦俊
大阪大学医学部臨床教授
吉野 邦俊
たばこが健康に悪影響を与えることは明らかであり、禁煙はがん、循環器病等の生活習慣病を予防する上で重要である。 また、「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」に基づく第2回締約国会議において、「たばこの煙にさらされることからの保護に関するガイドライン」が採択され、我が国においても平成22年2月に基本的な方向性として、公共の場は原則として全面禁煙であるべき等を記した通知を発出している。 が、「健康日本21」やがん対策基本計画の目標でもある「未成年者の喫煙をなくす」こともなかなか十分な効果が上がらないようだ。
世界禁煙デーに因んで、大阪府立成人病センターの吉野邦俊先生に、タバコと頭頸部がんについてご寄稿いただいた。(會田)
タバコを吸う習慣(喫煙)がいつ頃から始まったのか、その起源ははっきりしていませんが、7世紀のマヤ遺跡(メキシコ)の神殿にはタバコを燻らす神々の像が彫られており、すでにこの頃には喫煙の習慣が定着していたことが分かっています(図1)。この喫煙習慣はコロンブスの新大陸発見(1492年)を契機にしてヨーロッパにもたらされ、さらに大航海時代の流れに沿って約100年の間にほぼ全世界中に広まりました。日本では1600年初めの記録に喫煙の風習が記載されており、その頃には既に伝来していたことが明らかになっています。
図1.タバコを吸うマヤの神(7世紀メキシコ、パレンケ遺跡「十字架の神殿」のレリーフ)
タバコには不安や緊張を和らげる薬理作用があり嗜好品としてだけではなく、薬草として病気の治療にも用いられてきました。健康に対する有害作用が取り沙汰されるようになってきたのは最近のことです。その背景には、科学の進歩とともにライ病、コレラ、結核などいろいろな感染症が克服されるようになり、食生活や社会環境も改善して寿命が大幅に延びてきたことがあります。寿命が延びると、大気中、タバコなどの嗜好品、食品に含まれる様々な有害化学物質など外界からの刺激への長年にわたる暴露や加齢に伴って起こる遺伝子変化によって引き起こされる疾患、すなわち、がんや心・脳血管障害といったいわゆる“成人病”が前面に出るようになってきました。この成人病を引き起こす多くの危険因子の中でも、喫煙が最も大きな影響を及ぼす因子であることが疫学、基礎医学、臨床医学など数々の研究から明らかなり、社会的にも注目されるようになったのは第二次世界大戦後になってからです。
図2は日本人の死因の変遷を示したものですが、最近では成人病が上位を占めており、とくにがんは1981年(昭和56年)に死因のトップに躍り出て以来、右肩上がりで増加の一途を辿っています。
図2は日本人の死因の変遷を示したものですが、最近では成人病が上位を占めており、とくにがんは1981年(昭和56年)に死因のトップに躍り出て以来、右肩上がりで増加の一途を辿っています。
【喫煙と頭頸部がん】
タバコ(喫煙)が発がんに影響する喫煙関連がんとしては、肺がんが最も有名ですが、その他に食道がん、頭頸部がん、膀胱がんなどがあります。頭頸部がんというのは頸部〜顔面・頭部に発生するがんの総称で、馴染みが薄い言葉かもしれません。この中には舌・口腔がん、咽頭がん、喉頭がん、上顎がん、甲状腺がん、唾液腺がんなどいろいろながんがあります。これらの中で喫煙と関係が深いのは、一連の管腔構造をもった舌・口腔、中・下咽頭(上咽頭は除く)、喉頭の各がんで、いずれもタバコの刺激を直接受ける領域です(図3)。また、これらの部位は飲酒によるアルコール刺激も受ける領域でもあり、喫煙と飲酒の習慣をもつ人では両者の刺激が重なって発がんの危険度は相乗的に高くなるといわれています。喫煙や飲酒の刺激に長年曝された部位では、同時にがんが多発したり、一つのがんが治ってもまた別の部位に発がんしたりすることがしばしば経験されます。このことは広域発がん(field cancerization)と呼ばれています。
図3.舌・口腔、咽頭、喉頭の構造
毎日喫煙しているとがんで死亡する危険度は何倍になるか(非喫煙者の死亡を1とした場合、毎日喫煙者の死亡危険度)を示したのが図4です。人間のがんの中で喉頭がんが最も高く、口腔がん、咽頭がんも高いことがわかります。
図4.毎日喫煙しているとがんで死亡する危険度は何倍になるか
−非喫煙者の死亡を1とした場合、毎日喫煙者の死亡危険度−
(厚生労働省 最新たばこ情報)
【喉頭がんにおける喫煙の有害作用】
喉頭がん患者のほとんど(当科の調査では97%)は過去に喫煙習慣があったか、現在も喫煙を続けており、喫煙しなければ喉頭がんにはまず罹らないといえるほどです。喉頭は声帯(声門)とその上下の部分(声門上部、声門下部)の3つに分けられ、その表面は声門が扁平上皮、それ以外の部分が線毛上皮という2種類の上皮で覆われています。扁平上皮は口腔、咽頭〜食道の食事の通り道の上皮でもありますが、線毛上皮は空気の通り道である喉頭〜気管・気管支に及ぶ気道を覆っている上皮で、外界からの異物を喀痰として排出する役割をもっており、扁平上皮より繊細な上皮といえます。
喫煙の刺激で喫煙が喉頭に及ぼす影響を病理学的に調べた結果では、喫煙量に比例して喉頭の表面を覆っている上皮が変化し細胞の異型性が高くなることが分かっています。すなわち、喫煙量が増加するに従って、線毛上皮は扁平上皮に変化(扁平上皮化生)し、その範囲が広範になって行きます(図5)。喫煙の刺激によって繊細な線毛上皮はより抵抗力のある扁平上皮に変化すると考えられます。また、扁平上皮細胞の異型性には軽度〜高度の様々な程度がありますが、喫煙量の増加に伴って高度異型性の細胞の割合が多くなり、がん化へと進行していきます。
図.5 喉頭の扁平上皮化生
*喉頭を開いて内面を見たところ
*色素で染色(ピロニンY染色)すると、線毛上皮は赤色に染色される
(扁平上皮は染色されない=白色)
*喫煙量の増加に伴って、扁平上皮(化生)=白色の部分が広範になっている。
それではどれぐらい喫煙すると危険なのでしょうか?喫煙量を表す指標としては、1日の喫煙本数に喫煙年数を掛け合わせた値で示されるブリンクマン指数があります。例えば、1日に20本を20歳〜60歳まで40年間吸い続けた場合の指数は20×40で800になります。当科での調査(1,509例)では喉頭がん患者の平均指数は1,100と高値で大部分は600以上であり、この値を喉頭がんの危険域と考えています。
【たばこ対策と禁煙宣言】
喫煙の人体に及ぼす有害作用が医学的に明らかになっているにもかかわらず、この習慣には未だ根強いものがあります。日本たばこ産業(株)の調査によると、成人男性の平均喫煙率は1966年(昭和41年)の 83.7%をピークに低下傾向を示し2010年(平成22年)は36.6%となっていますが、諸外国と比べると依然高率です。 成人女性の平均喫煙率は12.1%であり、ピーク時の18.0%(1966年)より漸減していますが、最近はほぼ横ばいの状態です。わが国のたばこ対策は、2003年(平成15年)の「健康増進法」、2004年(平成16年)の「たばこ規制枠組み条約」(WHO)に基づいて様々な対策が進められてきました。具体的には国や各自治体によって駅ホームなど公共施設での禁煙、タクシー禁煙化、タスポの導入、路上禁煙などが制度化されてきました。2006年(平成18年)からは、やめられない喫煙はニコチン依存症という病気であるとの認識になって、禁煙治療に保険が適用されるようになり、さらに、2010年(平成22年)にはタバコが大幅に値上げされました。また、2012年度からの次期がん対策推進基本計画では、10年後の喫煙率を12%に減らすことが数値目標に挙げられています。
喫煙関連の疾患を研究している学会では、2000年に日本肺癌学会が初めて禁煙宣言を発表して以来、各種学会や、日本医師会、日本看護協会などでも宣言を出してさまざまな活動を推進しています。日本頭頸部癌学会でも2006年(平成18年)に禁煙・節酒宣言を行いました(図6)。
図6.禁煙・節酒宣言ポスター(日本頭頸部癌学会)
【おわりに】
タバコは若いときから吸わないのが一番ですが、既に喫煙の習慣があり発癌の危険性が高い人は、舌・口腔、咽頭、喉頭がんについては耳鼻科で定期的な検診を受けて早期発見に努めることが大切となります。最近は内視鏡が進歩してNBI(narrow band imaging)などの内視鏡による微小がんの発見が増加しています。このような微小がんであれば内視鏡下に切除が可能で、入院も短くてすみ機能障害もほとんどありませんので、進んで検診を受けるようにしましょう。
略歴
吉野 邦俊(よしの くにとし)
1975年(昭50年)大阪大学医学部卒業後、大阪府立成人病センター耳鼻咽喉科、同耳鼻咽喉科部長を経て2006年(平成18年)同耳鼻咽喉科主任部長、
現在に至る
2008年(平成20年)から大阪大学医学部臨床教授
1975年(昭50年)大阪大学医学部卒業後、大阪府立成人病センター耳鼻咽喉科、同耳鼻咽喉科部長を経て2006年(平成18年)同耳鼻咽喉科主任部長、
現在に至る
2008年(平成20年)から大阪大学医学部臨床教授