市民のためのがん治療の会
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『急ぐワクチン開発の落とし穴──コロナ世界最前線(2)』


常磐病院/ナビタスクリニック
総合内科・血液内科医師
谷本 哲也
いよいよ新型コロナウイルスのワクチンの製薬化が進み、医療者などを優先するなど、いずれにしても一般に接種されようとしています。 確かに一日も早くワクチンが開発されることは世界中が期待していることですがあまりにも開発に前のめりで、新薬の重要な要件である有効性と安全性、中でも安全性に不安を禁じ得ません。
そこで「がん医療の今」では先に『急ぐワクチン開発の落とし穴──コロナ世界最前線』と題して谷本先生にご寄稿いただきました。 (http://www.com-info.org/medical.php?ima_20200929_tanimoto
このワクチンにつきましては極めて短期間に製薬化され、また、mRNAワクチンははじめて許可されるタイプのワクチンで人体に投与された場合の影響なども不安は尽きません。
事態は急速に進んでおりますので、このところの事情を含め谷本哲也先生がワセダクロニクル2020.09.14に寄稿されたものをご許可を得て、転載させていただきました。いつもながらのご厚意に感謝いたします。
(會田 昭一郎)

新型コロナ感染を予防するワクチンの開発状況に、世界中の注目が集まっています。 普通なら開発には5年、10年とかかります。 それが今回のパンデミックでは、世界各国の製薬会社を中心に、猛烈な勢いで開発が進められています。

ウイルスの同定が1月、そこから半年余りの9月上旬には、もう最終段階の臨床試験まで進んだ品目が少なくとも9種類あります。 1年も経たない間に、ワクチンの実用化に成功するのではと期待が膨らんでいるのです。

それどころか、ロシアでは前倒しで世界初の新型コロナワクチンを8月12日に正式承認、 また、中国でも軍人や医療関係者などに対象を限定したワクチン接種が早々に進められているそうです。

今回は世界保健機関(WHO)がまとめている世界のワクチン開発状況(Draft landscape of COVID-19 candidate vaccines)をご紹介します。 このリストは定期的に更新されますが、本稿執筆時で最新の9月9日版を用いています。

35種類のワクチン候補が臨床試験中

WHOのまとめによると、世界では35種類のワクチン候補が臨床試験中とされています。 臨床試験とは、実際にヒトでの効果や安全性を試す研究のことを指します。 試験結果が良ければ、政府の規制当局がワクチンとして正式に承認し、一般での使用が始まり実用化となります。 ヒトで試す前の実験室レベルで研究中のものはさらに多く、145種類も挙げられています。

他の医薬品にも共通することですが、ワクチンの開発は一筋縄では行きません。 期待の候補が、途中で開発失敗となることは珍しくないのです。 実験室のネズミやサルで効果が期待されたとしても、それがヒトにそのまま当てはまるとは限りません。 現実の社会環境では予防効果が十分に出ないこともありますし、人体では思わぬ副反応が出ることもあります。 一人ひとりの体質も違いますし、子どもと高齢の方、妊娠中の方などでの違いなどもあるからです。

教育課程にも似るワクチン開発

そのためヒトでの効果を確かめる場合も、少しずつ段階を踏みながら臨床試験を進めます。 ちょうど幼稚園や保育園、小中学校、高校、大学、社会人と段階を踏んで教育を受けるのと似ています。 実験室レベルが幼稚園や保育園にあたるイメージです。

そうすると小中学校に相当するのは、第1相と呼ばれる第1段階の臨床試験です。 ここでは数十人程度の人数で、ワクチン候補の量をどれくらい使えばいいのか確かめる研究が主に行われます。

高校に相当する第2段階の第2相試験では、数百人程度の参加者を集め、さらに有効性や安全性のデータが詳しく検討されます。 ここまで来れば有望かどうか、ある程度は推測できるでしょう。 いわば、ロシアや中国で実用化されたワクチンは、高卒程度の段階で青田買いをしているわけです。

大学レベルになぞらえられるのが、第3段階の第3相試験です。 通常、プラセボと呼ばれる偽薬と、開発対象のワクチン候補のいずれかを、半々程度ずつヒトで打ってみて、本当に病気の発症を防げたのか、問題となる副反応が出たかなど、その成績を比べるのです。

ワクチンの場合、数千人から数万人が第3段階の臨床試験に参加するのが普通です。 それだけ多くのヒトでのデータを集めないと、本当に使い物になるかどうか分からないからです。

落第することもありうる

第2段階で見切り承認されたロシア製ワクチンは、欧米の各種メディアで非難の的となっています。 なぜなら、第3段階で開発失敗となることも十分あり得るからです。

血液検査でウイルスから体を守る抗体の数値が上昇していても、実際に感染を防ぐ効果が十分ではないかもしれません。 効果があったとしても、それが何%なのかも重要です。 第3段階では感染の予防効果が計算されます。 同じ大学卒業でも、トップレベルの成績なのか、合格点ギリギリなのか、みたいな話です。

できれば70%以上の有効性が望ましいそうですが、米国はそのハードルを下げ、50%以上あれば実用化を認める方針としています。 しかし、有効性の低いワクチンを導入した場合、マスクや社会的距離などの対策を怠ると、逆にパンデミックが悪化することにもなりかねません。

また、高齢の方など一部で強い副反応が出たり、ワクチンを打って数週間、数ヶ月と時間が経ってから副反応で困ったりする可能性もあります。 また、ワクチン接種のせいで、新型コロナにかかった時にかえって症状が悪化する可能性すら想定されています。 9月9日には、重篤な神経系の副反応の疑いで、英国アストラゼネカ社による第3段階の臨床試験が一時中断されたことが報じられました。

このあたり実際にどうなるかは、やはり第3相試験の最終的な結果が出ないことには何とも言えません。 何千万人分のワクチンを確保した、というニュースが世界各国で流されていますが、まさしく「取らぬ狸の皮算用」です。 ヒトと同じように試験で落第する場合もあることは、十分に注意しておくべきでしょう。

さらに言えば、晴れて第3相試験に成功し、正式に承認取得となったとしても、製造販売後に問題が見つかることもあります。 これも大学卒業後に就職し社会人デビューしても、必ずしも一生安泰ではないのと一緒ですね。

最終段階に進んだ9種類のワクチン候補の顔ぶれ

それでは、最終の第3段階の試験に進んでいる9種類のワクチン候補の顔ぶれを見てみましょう。 日本ではあまり大きく報道されていませんが、ワクチン開発で中国の存在感が非常に大きいことも今回のパンデミックの特徴です。

9種類のうち4つは中国製で、3つは不活化という従来の手法、1つはウイルスベクターという新しい手法を用いています。 さらに米国ファイザー社が開発しているもう1種類でも、中国の会社が共同開発者として入っているので、半数以上で中国が関係していることになります。

偽ワクチンが出回る一方、最先端のワクチンを開発する実力を持つという凄まじい幅は中国社会の伝統で、北宋時代の歴史書「資治通鑑」を思い起こさせます。

米国ファイザー社のRNAという遺伝子を使うワクチンは、日本にも6千万人分が供給される契約が結ばれたと報道されています。 米国モデルナ社も類似のワクチン開発を行っており、武田薬品工業が日本への4000万回分の供給を調整しているそうです。

さらに英国アストラゼネカ社が開発するチンパンジーの風邪ウイルスを遺伝子操作したウイルスベクターワクチンも、日本に1億2千万回分が供給される契約で試験が進んでいます。 ロシアのガマレヤ社、ベルギーのヤンセンファーマ社もこの系統です。

このように今回のパンデミックでは、遺伝子を用いたワクチンという、一般向けとしては今までにない方法を使っている品目が多いのも特徴です。

日本でもワクチン候補の第3相比較試験を!

日本政府の方針では、高齢者や医療関係者をワクチンの優先接種の対象にすると伝えられています。

しかし上述のように、新型コロナワクチンと一口に言っても、どこの会社のものを用いるかで中身がかなり異なります。 欧米製ワクチンは比較的信頼度は高いでしょうが、日本に入る予定の米国ファイザー社製と英国アストラゼネカ社製では、これまでの日本のワクチンにはなかった遺伝子を用いる全く新しいタイプのものです。 また、両者で副反応の出方が大きく異なることもすでに報道されています。

海外、特に新型コロナの状況が日本とは大幅に異なる欧米の第3段階の臨床試験データが、日本人にそのまま当てはめることは難しいでしょう。 これらワクチン候補の第3段階の臨床試験には日本人はほとんど含まれていないようです。

それを補うために、日本でも小規模の第1、2段階相当の臨床試験が行われるそうですが、英国アストラゼネカ社の製品を使った試験は、9月9日に副反応の報道に伴い日本でも一時中断になりました。 ただし、神経系の症状は新型コロナ感染自体でも起こることが知られており、第3段階の臨床試験の最終結果が固まらないと何とも言えないかもしれません。

日本では、海外で行われた第3段階の臨床試験結果を基に、日本人データを少し付け加えてワクチンの実用化を認めると予想されます。 しかし、日本人のデータがせいぜい数百人程度にとどまった場合、その10万倍に当たる数千万人の日本人への使用を勧めても本当に大丈夫なのかという疑問は残ります。

ロシアや中国の青田買いされたワクチンも、結局は第3段階の試験で最終評価をすることになっています。 新型コロナはまだまだ未知の部分が多く、不完全なデータで実用化を認めた場合、さまざまな社会的混乱が起こるでしょう。

そのようなリスクを未然に減らすために、日本人で数千人、できれば数万人規模の臨床試験データを集めて、日本でも有効性と安全性を最低限は見極めるべきではないでしょうか。 一般への使用を始める前には、日本でも第3段階の第3相比較臨床試験をしっかり行うべきだと私は考えています。


谷本 哲也(たにもと てつや)

1972年、石川県生まれ、鳥取県育ち。 鳥取県立米子東高等学校卒。内科医。 1997年、九州大学医学部卒。 ナビタスクリニック川崎、ときわ会常磐病院、社会福祉法人尚徳福祉会にて診療。 霞クリニック・株式会社エムネスを通じて遠隔診療にも携わる。 特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所に所属し、海外の医学専門誌への論文発表にも取り組んでいる。 ワセダクロニクルの「製薬マネーと医師」プロジェクトにも参加。 著書に、「知ってはいけない薬のカラクリ」(小学館)、 「生涯論文!忙しい臨床医でもできる英語論文アクセプトまでの道のり」(金芳堂)、 「エキスパートが疑問に答えるワクチン診療入門」(金芳堂)がある。
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