市民のためのがん治療の会
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『私がお薦めしたい本:小山美砂著『「黒い雨」訴訟』』


紹介者・京都大学名誉教授 山田耕作
本年3月15日付で『 「汚染水海洋放出の争点―トリチウムの危険性」の紹介 』
http://www.com-info.org/medical.php?ima_20220315_yamadaをご寄稿くださいました山田耕作先生より、 『「黒い雨」訴訟』についてのご紹介のご寄稿がありましたので、掲載させていただきました。
(會田 昭一郎)

なぜ、「黒い雨」被爆者は戦後75年もの間、置き去りにされてきたのか。 それは放射線被曝において、国際的に核を推進する者達によって隠蔽され続けてきた内部被曝そのものが争点であったからである。 そして、放射性微粒子による被曝による健康被害は、国際放射線防護委員会(ICRP)の被曝防護体系の根本を揺るがすものであるからである。 本書はこのような大きな力に対して、病苦と貧困の中で、互いに支え合いながら後の被曝者のために戦い続けた人々の記録である。 福島原発事故による被曝者が同じ内部被曝により苦難の道をたどることを自らの生涯を通じて確信する人たちの不屈の戦いであった。

1.被災者と共に

p11 「長年の運動、そして行政による2度の検討会を経ても動かなかった援護の壁。 被爆70年の節目に起こしたこの訴訟を、原告らは『最後の戦い』と位置づけていた。 多くの原告が深刻な病を抱えながら,被ばくの実情と救済を訴えた。」

p12「『病気だらけの人生でお金に困り、多くの人が死にました。 全ての黒い雨被爆者の声を代弁するため、ここに立っています』一審広島地裁における証人尋問で高東征二が訴えた言葉だ」

p13 「原告だけの戦いではなかった。 その背後には、病身で体を横たえ、あるいはすでに命を落とした多くの黒い雨被爆者がいた。 そして、その先には東京電力福島第一原発事故の被害者をはじめとする被ばくを甘受させられた黒い雨以外の被害者の救済を見ていた。」

p13「審理過程で18人の原告が命を落とす中、一審、二審とも原告全員を『被爆者』と認める全面勝訴を引きだした。 原告全員に手帳が交付され、政府は原告以外も救済すると表明した。 司法判断が政府を動かし、援護施策の改定に結びつけたのだった。 運動の鮮やかな勝利だった。」

以上は本書の「序章 終わらない戦後」からの引用である。

本書の著者小山さんは黒い雨訴訟の原告を一人一人尋ね、その生活を知り、その声を聞いてまわったのである。 75年も放置され、共に戦った原告が他界していく中で、病苦と貧困と闘いながらの裁判であった。 しかも心ない人たちはお金のために裁判をしていると噂した。

苦難から挫折しかけたとき、福島原発事故が起き、新たな被曝者を生み出した。 このとき黒い雨訴訟の原告達は、改めて未来の人類のために自分達の果たすべき役割を再確認したのである。 この新たな被曝者のために死ぬまで戦うと決意した。


「黒い雨」訴訟、小山美砂著、集英社新書、2022年7月、960円+税

【目次】
序章 終わらない戦後
1章 “降らなかった” 黒い雨
2章 選別される被爆者
3章 雨が「卵形」に降るか!
4章 「黒い雨」訴訟
5章 私たちは、嘘はつけないの
終章 切り捨てられる被ばく

2.科学と実証主義 『科学的・合理的』とは?

『科学』に関して言えば、日本政府と基本墾は「科学的・合理的な根拠」を口実にある特定の病状を発症している人以外は被曝者として認定しなかった。 認定のためには被ばくによる健康被害の「科学的」証明を要求したのである。 被爆者の援護を妨げる手段ともなるのが『科学』である。 p116 「1980年の基本墾報告書を引用して『被曝地域の指定に当たっては,当該地域において原爆放射線による健康影響が認められるという科学的・合理的な根拠が必要である.』と示していた。」

被曝者援護法の精神は、被ばくの被害を受けた可能性のある全ての人が、生活の不安や医療費の心配なしに予防や治療に専念できることを補償することである。 日本政府が起こした戦争によって被ばくした何の罪もない人たちである。 その人達の健康を守り、文化的な生活の補償をすることが償いである。 被ばくによる被害が出ないよう、健康な生活を営み、発症したときの治療の補償は、当然である。 これこそ人権と健康というものに対する本当の科学的考察である。 単に被爆による症状のみを求めるのは「実証主義」と言われる偽の科学、エセ科学である。 被曝の本質を理解した真の科学は人権と矛盾しない.それどころか人権を守る武器なのである。

p131「『原子爆弾の放射線の影響を受けるような事情の下に』にあればいい。 つまり、原爆放射線の影響を受けたことを否定できなければいいのです」被爆者の条件として原告弁護団はこのように主張した。 その根拠は被爆者援護法であった。

被爆者援護法に基づく「原子爆弾被爆者健康診断実施要領」(1958年)より著者は引用している。

「昭和20年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は、もとより、世界最初の例であり、したがって、核爆発の結果生じた放射線の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点が極めて多い。

しかしながら被爆者のうちには、(中略)被爆後10年以上経過した今日、未だに原子爆弾後障害症と言うべき病状を呈するものがある状態である。

特にこの種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと、 一見良好な健康状態にあるかにみえながら,被爆による影響が潜在し、突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり、被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものも見られる。

したがって、被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方、 障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い,その健康回復につとめることが極めて必要であることは論を待たない。」

極めて自然な決定である。 これは放射線被曝による内部被曝の本質を捉えている。 これが科学的で民主的な立場である。

3.これは福島の被曝者と全く同じである

それ故、国は福島原発事故に適用されることを恐れ、頑なに補償を拒否しているのである。 しかし、明確な判決と世論に押され、国、広島県、広島市は上告を断念し判決が確定した。

広島・長崎の黒い雨訴訟と福島原発事故被ばく者を貫く共通の課題は、これまで一貫して無視されてきた内部被曝という科学的事実である。 放射性微粒子として人体に取り込まれた放射性元素は体内に蓄積し、長く留まり、体の内部から放射線を浴びせ続ける。 内部被曝では放射線が直接遺伝子や分子を破壊する効果と同時に間接的に放射線が電離作用によって活性酸素やフリー・ラジカルを発生し、脂肪膜で構成される細胞膜を連鎖的に破壊するペトカウ効果が危険である。 大気中に較べ体内では5千分の1の被曝線量によって細胞膜が破壊される。 心臓、肝臓、腎臓などあらゆる臓器の細胞膜が破壊され多臓器不全などを引き起こす。 それのみならず、被曝の影響は長く体内に残り、後の世代に影響することもある。

このような放射性微粒子を呼吸や食事で取り込んだ可能性のある人に、空気のよい所に移住や保養を薦め、汚染のない食品を提供することが必要である。 病気が発症するまで待ってはじめて、被ばく者と認定するのではなく,被ばくの科学に基づき、予防的に被ばく者の健康を守らなければならない。 これが「実証主義」と「科学」の違いである。

著者は序章のおわりで次のように述べている。 全くその通りであると思う。

「本書は、黒い雨被爆者が『切り捨てられてきた』戦後を記録した。 初めてのノンフィクションである。 その記録は長崎で,福島で,そして世界中で今も置き去りにされている放射線による被害者を救う道しるべになると確信している」。

おわり

【著者プロフィール】
小山 美砂(こやま みさ)
毎日新聞記者。
1994年、大阪府生まれ。
2017年に入社し、希望した広島支局に配属。
被爆者や原発関連訴訟の取材に取り組んできた。
原爆報道キャップとなった2019年秋から、当事者の証言や思いを伝える連載「区域外の被爆者を訪ねて 『黒い雨』の原告は訴える」を開始。
以降、100人近くへの取材を通して被爆者援護の課題を発信してきた。
2022年4月~大阪社会部在籍。

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