これも「がん難民」の一因か
『「がんと闘うべきか否か」について
患者よ、がんと賢く闘え』
患者よ、がんと賢く闘え』
北海道がんセンター
名誉院長 西尾 正道
何しろ近藤先生の著作はベストセラーだそうで、知人が図書館に聞いたら、50人以上予約があるので、読めるのは数か月先だと言われたそうである。
そうこうしているうちに当会顧問の西尾先生が20年ぐらい前のやはりずいぶん評判になった近藤先生の「患者よ、がんと闘うな」について「月刊新医療」1996年11月号に論文を寄せられたことを知り、読ませていただいたところ、20年ほど前と言っても、内容は今回の近藤先生の著作に対する考え方としても通用する点も多いと思われるので、多くのみなさまにとって、大いに参考になると思い、多田先生のご寄稿に続いて掲載することとした。読者のみなさまには多田先生のご寄稿と併せて本稿をお読みいただき、近藤先生のこれだけの影響力のある著作についての別の見方を知ってご判断いただきたいと思う。
転載を快諾されたME振興協会のご厚意に御礼申し上げます。(會田)
1 はじめに
この特集(*月刊新医療1996年11月号)に当たり、私に与えられたテーマ自体が直接的には近藤誠氏の『患者よ、がんと闘うな』という著書(1)が社会的に大きな反響を呼び、がん治療のあり方に問題を提起したことへの対応と考えられる。またさらに最近の薬害エイズ問題にみられる医療行政・製薬企業・医師の癒着から生じる人間性軽視の現状に対して、医療のあり方そのものに揺らぎが生じているためと考えられる。本稿ではまず、近藤誠氏説への私なりの感想を述べ、それを通じて現在のがん医療場面の矛盾や問題点を検討し、医療の揺らぎ発生の根拠に考察を加え、今後の対応について言及する。この場合、医療の揺らぎとは、1医療供給者側と患者・家族の間の揺らぎ、2がん治療に携わる関連各科の医師間の揺らぎ、3貧困な職場環境や限られた医療体制の中で、現在の進歩した医学技術が患者の治療に還元できないという問題から生じる揺らぎ、などを包括した概念と捉えて考察する。
2 「がんと闘うな」論への感想と問題点
ベストセラーとなっている近藤誠氏の著書の論旨は第一に日本の外科医は切りすぎである 第二に抗がん剤は10%の疾患にしか効かないのに、無駄に使いすぎている 第三としてがん検診は意味がない。第四に転移して助からない本当のがんと、放置しても転移せず治療する必要のない“がんもどき”のがんがある、と要約できる。これらの主張を芸能人や著名人の闘病記を例にとり説明しているのであるが、的を得ている論旨と、残念ながらかなり無理のある一面的な視点の論旨が混在している。しかし、医療関係者以外の一般人にも理解しやすいように極論的な結論を述べることによって、がん医療へ問題を提起している。
近藤氏はアメリカ留学から帰国して、1980年代後半から一般ジャーナリズムを介して同様な論旨を展開してきた。法律的にもインフォームド・コンセント(IC)が保障され、放射線治療が隆盛であるアメリカのがん医療を見聞してきた彼にとっては、日本のがん医療の現実は多くの問題点を含んでいると映ったのはしごく当然のことである。
特に乳がん治療においては当時の日本は、欧米では当たり前の乳房温存療法はほとんど行われておらず、日本の外科医の“切りすぎる医療”へ警鐘を鳴らした。また科学的にも統計学的にも治療効果の根拠に乏しい抗がん剤の気休め的投与にも警鐘を鳴らし、日本のがん医療のあり方に問題を提起したことは評価されるべきである。しかし、彼の警鐘はほとんどの外科や内科の医師達に無視された経緯を経て、一般向けに解りやすい極論的な主張の展開になったものと推察される。
しかし極論の結果は、現在の「早期発見・早期治療」のパラダイムの枠で進歩してきたがん医療の方法論そのものまでも否定することとなっており、がん治療に携わる医者として、早急に対応を考える必要に迫られている。それは毎日の診療場面で、近藤理論を読んできた患者さんへの対応という仕事も加わっているからである。
近藤氏の著書で問題としている、外科治療優位の現状や、気休め的ないし試行錯誤的な抗がん剤の投与に対する批判は基本的には正論であるが、それは放射線治療医がだらしないという問題として自己批判的に考える必要がある。こうした医療のディスクロージャーだけでは現在の日本のがん医療が抱えている矛盾や問題の解決にはならない。医療行為は許容される一定の幅を持って行われているものであるが、現在の医療の揺らぎの解明にはこうした現状になっている原因について考察を加える必要がある。
3 がん医療の原則は早期発見・早期治療
近藤氏は、がん検診の有用性を否定し、「百害あって一利なし」とまで明言しているが、まずその根拠としているデータの多くが海外のデータであり、日本の検診の有用性を否定するのであれば、日本のデータで語るべきである。国によって、検診受診者の教育レベルや経済的レベルも異なり、がん発見後の医療の対応も異なるため新たな分析が必要である。その意味からいえば、日本は就学年数も長く、国民全体の平均的知的レベルは世界一といっても過言ではないし、国民皆健康保険により必要な医療を受けることができ、がん医療のレベルも高いからである。
日本人のがんの中で最も多く、最も早くから検診が行われている胃がんを取り上げてみる。表1は1995年に権威ある雑誌に掲載された胃がんの総説で報告された日米の治療成績の比較である(2)。この比較で明白なことは、検診していない米国と比べて、日本では早期症例の比率が高く、治療成績も良好である。これは日本の検診による早期がん発見の努力と、高レベルな胃がん手術の賜物であり、また早期発見ががん克服の最良の方法であるという患者側への教育の結果と考えられる。
また、検診という医療技術や医療行為の有用性評価は単にその結果だけではなく、効果費用分析も検討すべきであるが、この問題も検診に投ずる費用が無駄となるという消費的視点ばかりで論ずるべきではない。検診はそれに関係している人々の国民総生産の一部であり、医療産業の一部として生産性を持つ側面もあり、社会総体として検診体制を維持できる経済的保障があれば、それは敢えて否定するまでもないことである。日本は医療費以上の年間30兆円をパチンコに使っている国なのである。
検診により早期例が増加すれば、早期がんの医療費は進行がんに費やされる医療と比較して数分の一の低額な医療費で済むことから、がん医療に使われる医療費は激減する。効果費用分析においても、がん医療全体に投資されるトータルな費用は減少するため、決して損な結果とはならないのである。検診技術の進歩は早期発見の医療技術を進歩させ、がんの進行度に見合った新しい低侵襲の治療法の開発につながる。
患者は形態と機能を温存して良好なQOLでがんを克服できるのであり、縮小手術で済ませる症例も増加するであろうし、また小病巣であれば放射線治療で治癒が期待できる症例も増え、近藤氏の嫌う手術的治療を行わなくて済む症例も増加するであろう。低侵襲な治療で治癒した症例は、社会復帰して労働力としての剰余価値生産に携わることとなる。検診の費用効果分析はこうした現代社会における経済的人間存在の規定性までも視野に入れて考える必要がある。
検診のテクノロジーアセスメントを行う場合は、その効率や効果費用分析の他に、それがもたらす精神的側面も考慮すべきである。幸いがんを発見されなかった被検者は、検診により健康である自分を確認して気持ち良く次回の検診まで生活できるという精神的Gainも考慮すべきである。総体として、日本は世界一安いコストで、高い医療レベルと高い国民の健康指標を得ている国であり、検診が多大に寄与していると言えよう。
肺がんの検診においても、近藤氏の検診無意味論の根拠とされている米国のメイヨクリニックのくじ引き試験で比較された2群は、単純に考えれば、4ヵ月毎の検診群と1年毎の検診群の比較であり、4ヵ月毎に頻繁に検診しても、1年に一度の検診でも差がないという解釈となり、検診否定の根拠にはならない。急増している肺がんという疾患は転移が多く、小病巣で発見し対処する以外は現在のところ治療成績の向上は望めない。したがってハイリスク群を対象としたスパイラルCTを用いた肺がん検診も決して無駄ではないと考えられる。検診の画像情報が経時的な個人情報として保存され、比較できればさらに検診は有効なものとなる。 子宮がんにおいても検診の普及によりIa期症例が増加しており、子宮頸部の円錐切除で済めば、性生活にも支障はなくQOLを損なうことなく治療が可能である。
もし検診を見直すとすれば、検診の間隔の問題や、ハイリスク群の絞りこみや、がんが発見されても治療に結びつかない超高齢者は対象外とするなどの、検診の効率性をさらに検討する余地は残されている。なお検診による国民医療被爆の問題は、近藤氏は放射線科医であるが、過大評価している。確かに日本人の被爆量は世界一であるが、これは医療行為の質の問題や医療制度全体の問題として検討されるべきである。むしろこうした医療のディスクロージャーにより、医療への不信を掻きたて、ドクターショッピングのために病院を渡り歩いてX線検査の重複により無駄な医療被爆を受け、医療費を高騰させる事態はさけたいものである。
この特集(*月刊新医療1996年11月号)に当たり、私に与えられたテーマ自体が直接的には近藤誠氏の『患者よ、がんと闘うな』という著書(1)が社会的に大きな反響を呼び、がん治療のあり方に問題を提起したことへの対応と考えられる。またさらに最近の薬害エイズ問題にみられる医療行政・製薬企業・医師の癒着から生じる人間性軽視の現状に対して、医療のあり方そのものに揺らぎが生じているためと考えられる。本稿ではまず、近藤誠氏説への私なりの感想を述べ、それを通じて現在のがん医療場面の矛盾や問題点を検討し、医療の揺らぎ発生の根拠に考察を加え、今後の対応について言及する。この場合、医療の揺らぎとは、1医療供給者側と患者・家族の間の揺らぎ、2がん治療に携わる関連各科の医師間の揺らぎ、3貧困な職場環境や限られた医療体制の中で、現在の進歩した医学技術が患者の治療に還元できないという問題から生じる揺らぎ、などを包括した概念と捉えて考察する。
2 「がんと闘うな」論への感想と問題点
ベストセラーとなっている近藤誠氏の著書の論旨は第一に日本の外科医は切りすぎである 第二に抗がん剤は10%の疾患にしか効かないのに、無駄に使いすぎている 第三としてがん検診は意味がない。第四に転移して助からない本当のがんと、放置しても転移せず治療する必要のない“がんもどき”のがんがある、と要約できる。これらの主張を芸能人や著名人の闘病記を例にとり説明しているのであるが、的を得ている論旨と、残念ながらかなり無理のある一面的な視点の論旨が混在している。しかし、医療関係者以外の一般人にも理解しやすいように極論的な結論を述べることによって、がん医療へ問題を提起している。
近藤氏はアメリカ留学から帰国して、1980年代後半から一般ジャーナリズムを介して同様な論旨を展開してきた。法律的にもインフォームド・コンセント(IC)が保障され、放射線治療が隆盛であるアメリカのがん医療を見聞してきた彼にとっては、日本のがん医療の現実は多くの問題点を含んでいると映ったのはしごく当然のことである。
特に乳がん治療においては当時の日本は、欧米では当たり前の乳房温存療法はほとんど行われておらず、日本の外科医の“切りすぎる医療”へ警鐘を鳴らした。また科学的にも統計学的にも治療効果の根拠に乏しい抗がん剤の気休め的投与にも警鐘を鳴らし、日本のがん医療のあり方に問題を提起したことは評価されるべきである。しかし、彼の警鐘はほとんどの外科や内科の医師達に無視された経緯を経て、一般向けに解りやすい極論的な主張の展開になったものと推察される。
しかし極論の結果は、現在の「早期発見・早期治療」のパラダイムの枠で進歩してきたがん医療の方法論そのものまでも否定することとなっており、がん治療に携わる医者として、早急に対応を考える必要に迫られている。それは毎日の診療場面で、近藤理論を読んできた患者さんへの対応という仕事も加わっているからである。
近藤氏の著書で問題としている、外科治療優位の現状や、気休め的ないし試行錯誤的な抗がん剤の投与に対する批判は基本的には正論であるが、それは放射線治療医がだらしないという問題として自己批判的に考える必要がある。こうした医療のディスクロージャーだけでは現在の日本のがん医療が抱えている矛盾や問題の解決にはならない。医療行為は許容される一定の幅を持って行われているものであるが、現在の医療の揺らぎの解明にはこうした現状になっている原因について考察を加える必要がある。
3 がん医療の原則は早期発見・早期治療
近藤氏は、がん検診の有用性を否定し、「百害あって一利なし」とまで明言しているが、まずその根拠としているデータの多くが海外のデータであり、日本の検診の有用性を否定するのであれば、日本のデータで語るべきである。国によって、検診受診者の教育レベルや経済的レベルも異なり、がん発見後の医療の対応も異なるため新たな分析が必要である。その意味からいえば、日本は就学年数も長く、国民全体の平均的知的レベルは世界一といっても過言ではないし、国民皆健康保険により必要な医療を受けることができ、がん医療のレベルも高いからである。
日本人のがんの中で最も多く、最も早くから検診が行われている胃がんを取り上げてみる。表1は1995年に権威ある雑誌に掲載された胃がんの総説で報告された日米の治療成績の比較である(2)。この比較で明白なことは、検診していない米国と比べて、日本では早期症例の比率が高く、治療成績も良好である。これは日本の検診による早期がん発見の努力と、高レベルな胃がん手術の賜物であり、また早期発見ががん克服の最良の方法であるという患者側への教育の結果と考えられる。
また、検診という医療技術や医療行為の有用性評価は単にその結果だけではなく、効果費用分析も検討すべきであるが、この問題も検診に投ずる費用が無駄となるという消費的視点ばかりで論ずるべきではない。検診はそれに関係している人々の国民総生産の一部であり、医療産業の一部として生産性を持つ側面もあり、社会総体として検診体制を維持できる経済的保障があれば、それは敢えて否定するまでもないことである。日本は医療費以上の年間30兆円をパチンコに使っている国なのである。
検診により早期例が増加すれば、早期がんの医療費は進行がんに費やされる医療と比較して数分の一の低額な医療費で済むことから、がん医療に使われる医療費は激減する。効果費用分析においても、がん医療全体に投資されるトータルな費用は減少するため、決して損な結果とはならないのである。検診技術の進歩は早期発見の医療技術を進歩させ、がんの進行度に見合った新しい低侵襲の治療法の開発につながる。
患者は形態と機能を温存して良好なQOLでがんを克服できるのであり、縮小手術で済ませる症例も増加するであろうし、また小病巣であれば放射線治療で治癒が期待できる症例も増え、近藤氏の嫌う手術的治療を行わなくて済む症例も増加するであろう。低侵襲な治療で治癒した症例は、社会復帰して労働力としての剰余価値生産に携わることとなる。検診の費用効果分析はこうした現代社会における経済的人間存在の規定性までも視野に入れて考える必要がある。
検診のテクノロジーアセスメントを行う場合は、その効率や効果費用分析の他に、それがもたらす精神的側面も考慮すべきである。幸いがんを発見されなかった被検者は、検診により健康である自分を確認して気持ち良く次回の検診まで生活できるという精神的Gainも考慮すべきである。総体として、日本は世界一安いコストで、高い医療レベルと高い国民の健康指標を得ている国であり、検診が多大に寄与していると言えよう。
肺がんの検診においても、近藤氏の検診無意味論の根拠とされている米国のメイヨクリニックのくじ引き試験で比較された2群は、単純に考えれば、4ヵ月毎の検診群と1年毎の検診群の比較であり、4ヵ月毎に頻繁に検診しても、1年に一度の検診でも差がないという解釈となり、検診否定の根拠にはならない。急増している肺がんという疾患は転移が多く、小病巣で発見し対処する以外は現在のところ治療成績の向上は望めない。したがってハイリスク群を対象としたスパイラルCTを用いた肺がん検診も決して無駄ではないと考えられる。検診の画像情報が経時的な個人情報として保存され、比較できればさらに検診は有効なものとなる。 子宮がんにおいても検診の普及によりIa期症例が増加しており、子宮頸部の円錐切除で済めば、性生活にも支障はなくQOLを損なうことなく治療が可能である。
もし検診を見直すとすれば、検診の間隔の問題や、ハイリスク群の絞りこみや、がんが発見されても治療に結びつかない超高齢者は対象外とするなどの、検診の効率性をさらに検討する余地は残されている。なお検診による国民医療被爆の問題は、近藤氏は放射線科医であるが、過大評価している。確かに日本人の被爆量は世界一であるが、これは医療行為の質の問題や医療制度全体の問題として検討されるべきである。むしろこうした医療のディスクロージャーにより、医療への不信を掻きたて、ドクターショッピングのために病院を渡り歩いてX線検査の重複により無駄な医療被爆を受け、医療費を高騰させる事態はさけたいものである。
<以下、次週に続く>
20年前の西尾先生の論文を読ませていただいて、「患者よ、がんと闘うな」というところに「医者に殺されない47の心得」を代入すると、そのまま論文が成立するような感じですね。
有難うございます。近藤先生の持論はさほど変わっていません。出版社は販売部数が増えればそれでいいという姿勢ですし、近藤先生は感性的なレベルで手術嫌いですので、悪い結果に終わった例を持ち出して極論を言っています。人間が人間を相手に行う医療では絶対はありませんし、結果論で判断することは簡単です。
有難うございます。近藤先生の持論はさほど変わっていません。出版社は販売部数が増えればそれでいいという姿勢ですし、近藤先生は感性的なレベルで手術嫌いですので、悪い結果に終わった例を持ち出して極論を言っています。人間が人間を相手に行う医療では絶対はありませんし、結果論で判断することは簡単です。
西尾先生が「毎日の診療場面で、近藤理論を読んできた患者さんへの対応という仕事も加わっている」とお書きになっておられるのも、今、多くの医療現場で起こっていることでしょうね、20年前の繰り返し・・・。
それはあまり感じません。患者さんや国民はもっと現実的な問題としてがんと診断されたらそれなりの常識的な対応をしています。抗癌剤の限界も少しずつ理解してきており、使用するかどうかも判断している方が多くなりました。
それはあまり感じません。患者さんや国民はもっと現実的な問題としてがんと診断されたらそれなりの常識的な対応をしています。抗癌剤の限界も少しずつ理解してきており、使用するかどうかも判断している方が多くなりました。
近藤先生は「患者よ、がんと闘うな」の「文庫本のためのまえがき」で、「本書で論証を試みた「手術はほとんど役にたたない」「抗がん剤治療に意味があるがんは全体の1割」「がん検診は百害あって一利なし」「がんは本物のがんと、がんもどきに分かれる」という主な4つのテーマのうち、前二者には格別異論が生じなかった」と述べておられます。抗がん剤の効果はともかく、手術はほとんど役に立たないというのはよく分かりませんね。
誰も何も言ってこなかったから争いがない、というのは、外科の先生方がちゃんと意見を言われなかったからで、ほんとうはどうなのか、患者としては学会などのレベルで議論していただきたかったですね。
外科側の先生達は呆れて相手にしないという事だと思います。ただ近藤先生自身が手術は意味がないという医学的なデータは全く示していません。単に手術したが良い結果が得られなかった有名人の話をしているだけで全く科学的ではありません。
感性的なレベルで手術嫌いの人間が、失敗例を取り上げて手術療法そのものを否定しているだけで全く論理の飛躍があります。また議論したいと思っても、近藤先生は発表する医学的なデータも持ち合わせていませんので、医師達が集まる学会や研究会には全く出席しなくなりました。専門家同士の議論の場にも出てきませんので、議論の仕様もありません。本を書いて素人は誤魔化せても同業者はごまかせません。
誰も何も言ってこなかったから争いがない、というのは、外科の先生方がちゃんと意見を言われなかったからで、ほんとうはどうなのか、患者としては学会などのレベルで議論していただきたかったですね。
外科側の先生達は呆れて相手にしないという事だと思います。ただ近藤先生自身が手術は意味がないという医学的なデータは全く示していません。単に手術したが良い結果が得られなかった有名人の話をしているだけで全く科学的ではありません。
感性的なレベルで手術嫌いの人間が、失敗例を取り上げて手術療法そのものを否定しているだけで全く論理の飛躍があります。また議論したいと思っても、近藤先生は発表する医学的なデータも持ち合わせていませんので、医師達が集まる学会や研究会には全く出席しなくなりました。専門家同士の議論の場にも出てきませんので、議論の仕様もありません。本を書いて素人は誤魔化せても同業者はごまかせません。
がん検診も百害あって一利なしと言われると、患者はどうしていいか分からなくなる。私なども西尾先生から、「舌がんの患者は食道、胃、大腸など消化器系に多重がんが発生する傾向があるから、それらの検診を受けるように」と言われて、いまだに検査を続けています。一度がんになった患者はこのように定期検診を受けるので、がんになったことのない人などより万一がんになっても早期がんとして治療も簡単なので、平均余命がむしろ長いというようなことも伺いました。
がん対策の基本はやはり早く発見して最小限の治療で適切に治療することです。
最も多い罹患者数である胃癌や肺癌を例に取ってみても、胃癌がT期で見つかれば90〜95%以上は治癒しますし、開腹せずに内視鏡的切除でも治療可能です。しかし進行したW期であれば5年生存率は数%です。転移しやすい肺癌でもT期であれば、開胸せずに胸腔鏡下切除もできますし、ピンポイント照射で放射線でも90%前後の局所制御率となり、80%前後の5年生存率を得るようになっていますが、W期の状態では治療しても5年生存率は限りなく0%に近い成績です。一般の患者さんは近藤先生よりは冷静で賢い選択をしていると思いますよ。
がん対策の基本はやはり早く発見して最小限の治療で適切に治療することです。
最も多い罹患者数である胃癌や肺癌を例に取ってみても、胃癌がT期で見つかれば90〜95%以上は治癒しますし、開腹せずに内視鏡的切除でも治療可能です。しかし進行したW期であれば5年生存率は数%です。転移しやすい肺癌でもT期であれば、開胸せずに胸腔鏡下切除もできますし、ピンポイント照射で放射線でも90%前後の局所制御率となり、80%前後の5年生存率を得るようになっていますが、W期の状態では治療しても5年生存率は限りなく0%に近い成績です。一般の患者さんは近藤先生よりは冷静で賢い選択をしていると思いますよ。
それでもなお20年前に『患者よ、がんと闘うな』がベストセラーになり、このたびまた「医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法 」がベストセラーになったのは、西尾先生も「特に乳がん治療においては当時の日本は、欧米では当たり前の乳房温存療法はほとんど行われておらず、日本の外科医の“切りすぎる医療”へ警鐘を鳴らした。また科学的にも統計学的にも治療効果の根拠に乏しい抗がん剤の気休め的投与にも警鐘を鳴らし、日本のがん医療のあり方に問題を提起したことは評価されるべきである。」と言われるように、市民の現在の医療政策特にがん医療政策について非常に不信感を抱いていて、それが20年経っても変わっていないということではないでしょうか。
「がん診療連携拠点病院」を指定したりして、全体としてはがん医療のレベルは上がっています。10人10色の意見があり、死生観も違いますし、患者さんも医学の限界に対する理解も十分ではないまま医療に対する要求度だけは上がっていますので、いつまでたっても完璧は期待できません。
「がん診療連携拠点病院」を指定したりして、全体としてはがん医療のレベルは上がっています。10人10色の意見があり、死生観も違いますし、患者さんも医学の限界に対する理解も十分ではないまま医療に対する要求度だけは上がっていますので、いつまでたっても完璧は期待できません。
そこで、感情的にではなく、きちんと科学的な立場で、良い点は良いと、間違っている点は間違いだという見解を明らかにしたいというのが今回の「がん医療の今」の狙いです。西尾先生の論文は長いので次週で引き続きお話を伺いましょう。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
略歴
西尾 正道(にしお まさみち)
独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 (放射線治療科)
1947年函館市生まれ。1974年札幌医科大学卒業。国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科に勤務し39年間がんの放射線治療に従事。がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、収善するための医療を推進。「市民のためのがん治療の会」代表協力医を10年間つとめ本年4月より当会顧問。
独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 (放射線治療科)
1947年函館市生まれ。1974年札幌医科大学卒業。国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科に勤務し39年間がんの放射線治療に従事。がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、収善するための医療を推進。「市民のためのがん治療の会」代表協力医を10年間つとめ本年4月より当会顧問。