オールジャパンで、たばこの煙のない社会を
『禁煙治療のすすめ』
日本禁煙学会 理事
NPO法人禁煙みやぎ
理事長 山本蒔子
自己紹介
私は、1989年からJR仙台病院に勤務し鉄道員の健康管理に携わることになった。あまりに喫煙者が多いことから、禁煙活動を開始した。職場のタバコ対策を推進し、企業の文化を変えることが出来て、ついに東北新幹線は2007年に全面禁煙となった。喫煙者のためには禁煙外来を創設し、禁煙治療に励んでいる。禁煙啓発のための講演会や防煙教育にもNPO法人禁煙みやぎとして活動している。
喫煙関連疾患
喫煙によってがんを始め多くの疾患が起こることは科学的に明らかである。 タバコ規制策を開始して50年を迎えた米国で、米国公衆衛生局長官のレポート「喫煙と健康」が発表された。このレポートが最初に発表されたのは1964年である。以来最も信頼のおける資料として、使われている。表に2014年に発表された喫煙関連疾患をあげた。朱字の疾患は、今回新たに加えられた疾患である。このようにがんを始めとする多くの疾患を予防するためには、禁煙しなければならない。喫煙関連疾患の他に受動喫煙と関連する疾患も記載されている。本人はタバコを吸わなくても、家庭や職場で受動喫煙に暴露されると病気になる。しかし、日本においては、受動喫煙防止の法律も制定されていないために、多くの人々が屋内で受動喫煙の被害にあっている。
ニコチン依存症治療の保険適用
禁煙治療が保険適用になったのは2006年である。喫煙をやめられないことがニコチン依存症という病気として、日本でも認められたのである。私は、保険適用がなく、禁煙補助剤はニコチンガムだけの時代の1995年から、勤務先のJR東日本のJR仙台病院において、禁煙外来を開始した。その当時に比較すれば、保険適用になり、ニコチンパッチとチャンピックスという禁煙補助剤があり、禁煙治療が保険でできる医療機関は全国で約15,000か所にもなって、禁煙治療は飛躍的に普及したと言える。しかし、いまだ禁煙治療を受けようとする人は少数である。せっかくの禁煙治療の機会が生かし切れていない。
ニコチン依存症の保険適用には、以下にあげたようにいくつかの制限がある。今まで日本禁煙学会はこの制限を撤廃するように国に働きかけているのであるが、いまだ認められない。
1.ブリンクマン指数が200以上であること
2.入院患者は、入院する以前に禁煙外来を受診している場合のみ保険適用になる。
3.歯科診療において保険は認められていない。
1日に吸うタバコの本数と、今まで吸ってきた年齢を掛けた数値を、ブリンクマン指数と言う。例えば1日20本を10年間吸っていれば、ブリンクマン指数は200となる。長期間吸っていて、喫煙関連疾患になっている喫煙者の多くは200以上である。しかし、私たちが最もタバコをやめてほしいと願っている多くの若者は、喫煙年数が短いので、ブリンクマン指数は200以下であり、保険適用にはならない。
病気で入院する時、重症でタバコを吸えない状態、病院敷地内禁煙および入院時の注意事項(入院時の禁煙やタバコの持ち込み禁止)によって、多くの喫煙者は禁煙している。また、入院を機会に禁煙しようと思う人も多い。しかし、入院してから初めて禁煙外来を受診しようとすると、保険が適用にならないので、せっかくの機会を逸することになってしまう。 歯科において、喫煙者の口腔状態は一目瞭然である。多くは重症な歯槽膿漏になって、若いうちから歯の喪失が起こる。ニコチンは黒い色素であるメラニンを体内で増やす働きがあるので、喫煙者の歯茎にはメラニン色素の沈着が見られる。もちろん口腔がんや舌がんも起こるが、歯科を受診する喫煙者は、いまだ重症な病気には罹っていない人が多い。したがって、歯科受診時に禁煙指導が受けられれば、禁煙のきっかけになる。しかも禁煙すると口腔状態は明らかに改善して、自分でも目で見ることが出来るのであるから、効果は大きい。歯科診療こそは禁煙指導や治療を保険適用とするべきである。
喫煙者の行動
喫煙者が自らから禁煙外来に受診することは極めて少ない。@医師に勧められた A病気で入院中の病院に禁煙外来があることを知らされた B健康診断で保健師に勧められた C家族から強く勧められたなど、が多い。
多くの患者は、入院中は禁煙をしている。病院内に喫煙室があった時代もあり、そのような状況では、たとえ喫煙関連疾患であっても、手術後歩けるようになるとすぐに喫煙所に行って喫煙する。いまだに喫煙所を敷地内に設けている病院もあり、当然喫煙者は知っていて、そこに吸いに行く。敷地内禁煙は、受動喫煙を防止するためであるが、病院においては必須であることがこの喫煙者の行動からも分かる。
入院中は禁煙しているが、退院すると間もなく喫煙を再開する。退院祝いで喫煙したという患者もいる。ニコチン依存症がこのような経過を取るのは、明らかである。退院時に、禁煙できたのだから、これらはタバコのない人生を歩むようにと医療受持者が言ってくれれば、多くの人達は禁煙を続けられると思う。
禁煙外来受診者の喫煙関連疾患
現在、私は複数の医療機関で禁煙治療を行っている。大学病院や大規模な公的病院の禁煙外来では、禁煙治療は疾病の予防というよりは、すでに喫煙関連疾患になって、疾病の治療のためや再発防止のためであることが多い。肺がんの手術には禁煙が必須とされて、紹介される患者も多い。
喫煙によるがんはひとつのがんにとどまらず、複数のがんに罹り、さらにその他の喫煙関連疾患も発症していることが多い。
75歳の男性の例を示す。喫煙開始は20歳、喫煙本数は20本、喫煙年数は54年である。ブリンクマン指数は1080と高い。皮膚がんのために紹介されて禁煙外来を受診した。この方はすでに63歳時に喉頭がんに罹ったが、放射線治療により幸運にも治癒していた。しかし、その後6か月は禁煙したものの、再び喫煙を開始した。妻は受動喫煙と思われる心筋梗塞にて25年前にすでに亡くなり、皮膚がんの他に慢性閉塞性肺疾患(COPD)にもなり、日常の動作も息切れでままならない状態であった。
次は59歳の男性の例である。喫煙開始は19歳、1日の本数は25本、喫煙年数は40年、ブリンクマン指数は1000と高い。46歳:高血圧、両側腎動脈狭窄、50歳:心筋梗塞、53歳:閉塞性動脈硬化症(下肢の血管が閉塞)、 54歳:出血性胃潰瘍、57歳:一過性脳虚血発作、59歳:左腎動脈狭窄にステント挿入。まさに、頭から足まで次々と血管が詰まって行った状態である。禁煙は入院中のみであった。
禁煙外来をしてみて、このように多くの喫煙関連疾患に次々に罹っているにもかかわらず、禁煙できていない患者に出会うのには驚いてしまった。入院治療が必要であった最初の疾患で、きちんとした禁煙治療をしていれば、次々に起こる病気になることは防ぐことが出来たであろう。また、前者では喉頭がん、後者では心筋梗塞や閉塞性動脈硬化症などの病気が、医学の進歩で治療出来ているにもかかわらず、改善したがゆえにまた喫煙したため、他の喫煙疾患が発症し、医療費が浪費されている。
前者では、配偶者が冠動脈閉塞による心筋梗塞で亡くなっているが、配偶者が肺がんで亡くなることも経験する。喫煙関連疾患の表にもあるように、失明、白内障および加齢黄色斑変性が起こり、喫煙によって視力を失うこともある。高齢になって、自分自身はがんになり、目も良く見えず、孤独で暮らすことになりかねない。
もっともっと禁煙治療を
禁煙するとニコチン切れの症状が出現し、これを離脱症状(タバコが吸いたい、いらいらする等)という。離脱症状がつらいために、禁煙は出来ないと思われている。禁煙補助剤はこの離脱症状を和らげる効果があり、また、医師や看護師のカウンセリングや支援があるので、禁煙外来では禁煙が楽にできるのである。
離脱症状が完全に消失するためには、約3か月を要するために、禁煙治療には3か月をかける。3か月の間に5回の受診が必要である。この5回を受診できれば、ほとんどの方が禁煙に成功できる。受診者全体で見ると、禁煙成功率は6割から7割であり、途中で中断する方が、少しは出てしまう。禁煙外来では、5回受診できるように患者さんを励ましている。
私の禁煙外来で禁煙に成功した方たちの一言である。
@ 意志の弱い私でも禁煙できたから、誰でもできると思う。
A 医師と看護師と一緒にするから大丈夫
B 奇跡だ!
C もっと早く来ればよかった。
D 咳や痰が無くなった。
E 冷えや肩こりが良くなった。
F 性格が穏やかになった。
G 肌の色が白くなって、お化粧のノリが良くなった。
H 若くなったと褒められた。
I 運動しても息が切れない
J 食事が美味しい
K 体調がいい。
L 時間の余裕が出来た。
M 火事の心配がなくなった。
N 隠れて吸っていたので、禁煙できて後ろめたさが無くなった。
O どこでタバコを吸おうかと場所を探さなくて済む。
P 家族にとても喜ばれた。
Q タバコに支配された生活から抜けられて嬉しい。
もっと多くの喫煙者が禁煙外来を受診してほしいと思う。喫煙者の周りの人達が喫煙者にもっと禁煙外来受診を奨めてほしい。禁煙外来の更なる普及によって、前述したような喫煙疾患で倒れることのない社会にしたと思う。
略歴私は、1989年からJR仙台病院に勤務し鉄道員の健康管理に携わることになった。あまりに喫煙者が多いことから、禁煙活動を開始した。職場のタバコ対策を推進し、企業の文化を変えることが出来て、ついに東北新幹線は2007年に全面禁煙となった。喫煙者のためには禁煙外来を創設し、禁煙治療に励んでいる。禁煙啓発のための講演会や防煙教育にもNPO法人禁煙みやぎとして活動している。
喫煙関連疾患
喫煙によってがんを始め多くの疾患が起こることは科学的に明らかである。 タバコ規制策を開始して50年を迎えた米国で、米国公衆衛生局長官のレポート「喫煙と健康」が発表された。このレポートが最初に発表されたのは1964年である。以来最も信頼のおける資料として、使われている。表に2014年に発表された喫煙関連疾患をあげた。朱字の疾患は、今回新たに加えられた疾患である。このようにがんを始めとする多くの疾患を予防するためには、禁煙しなければならない。喫煙関連疾患の他に受動喫煙と関連する疾患も記載されている。本人はタバコを吸わなくても、家庭や職場で受動喫煙に暴露されると病気になる。しかし、日本においては、受動喫煙防止の法律も制定されていないために、多くの人々が屋内で受動喫煙の被害にあっている。
ニコチン依存症治療の保険適用
禁煙治療が保険適用になったのは2006年である。喫煙をやめられないことがニコチン依存症という病気として、日本でも認められたのである。私は、保険適用がなく、禁煙補助剤はニコチンガムだけの時代の1995年から、勤務先のJR東日本のJR仙台病院において、禁煙外来を開始した。その当時に比較すれば、保険適用になり、ニコチンパッチとチャンピックスという禁煙補助剤があり、禁煙治療が保険でできる医療機関は全国で約15,000か所にもなって、禁煙治療は飛躍的に普及したと言える。しかし、いまだ禁煙治療を受けようとする人は少数である。せっかくの禁煙治療の機会が生かし切れていない。
ニコチン依存症の保険適用には、以下にあげたようにいくつかの制限がある。今まで日本禁煙学会はこの制限を撤廃するように国に働きかけているのであるが、いまだ認められない。
1.ブリンクマン指数が200以上であること
2.入院患者は、入院する以前に禁煙外来を受診している場合のみ保険適用になる。
3.歯科診療において保険は認められていない。
1日に吸うタバコの本数と、今まで吸ってきた年齢を掛けた数値を、ブリンクマン指数と言う。例えば1日20本を10年間吸っていれば、ブリンクマン指数は200となる。長期間吸っていて、喫煙関連疾患になっている喫煙者の多くは200以上である。しかし、私たちが最もタバコをやめてほしいと願っている多くの若者は、喫煙年数が短いので、ブリンクマン指数は200以下であり、保険適用にはならない。
病気で入院する時、重症でタバコを吸えない状態、病院敷地内禁煙および入院時の注意事項(入院時の禁煙やタバコの持ち込み禁止)によって、多くの喫煙者は禁煙している。また、入院を機会に禁煙しようと思う人も多い。しかし、入院してから初めて禁煙外来を受診しようとすると、保険が適用にならないので、せっかくの機会を逸することになってしまう。 歯科において、喫煙者の口腔状態は一目瞭然である。多くは重症な歯槽膿漏になって、若いうちから歯の喪失が起こる。ニコチンは黒い色素であるメラニンを体内で増やす働きがあるので、喫煙者の歯茎にはメラニン色素の沈着が見られる。もちろん口腔がんや舌がんも起こるが、歯科を受診する喫煙者は、いまだ重症な病気には罹っていない人が多い。したがって、歯科受診時に禁煙指導が受けられれば、禁煙のきっかけになる。しかも禁煙すると口腔状態は明らかに改善して、自分でも目で見ることが出来るのであるから、効果は大きい。歯科診療こそは禁煙指導や治療を保険適用とするべきである。
喫煙者の行動
喫煙者が自らから禁煙外来に受診することは極めて少ない。@医師に勧められた A病気で入院中の病院に禁煙外来があることを知らされた B健康診断で保健師に勧められた C家族から強く勧められたなど、が多い。
多くの患者は、入院中は禁煙をしている。病院内に喫煙室があった時代もあり、そのような状況では、たとえ喫煙関連疾患であっても、手術後歩けるようになるとすぐに喫煙所に行って喫煙する。いまだに喫煙所を敷地内に設けている病院もあり、当然喫煙者は知っていて、そこに吸いに行く。敷地内禁煙は、受動喫煙を防止するためであるが、病院においては必須であることがこの喫煙者の行動からも分かる。
入院中は禁煙しているが、退院すると間もなく喫煙を再開する。退院祝いで喫煙したという患者もいる。ニコチン依存症がこのような経過を取るのは、明らかである。退院時に、禁煙できたのだから、これらはタバコのない人生を歩むようにと医療受持者が言ってくれれば、多くの人達は禁煙を続けられると思う。
禁煙外来受診者の喫煙関連疾患
現在、私は複数の医療機関で禁煙治療を行っている。大学病院や大規模な公的病院の禁煙外来では、禁煙治療は疾病の予防というよりは、すでに喫煙関連疾患になって、疾病の治療のためや再発防止のためであることが多い。肺がんの手術には禁煙が必須とされて、紹介される患者も多い。
喫煙によるがんはひとつのがんにとどまらず、複数のがんに罹り、さらにその他の喫煙関連疾患も発症していることが多い。
75歳の男性の例を示す。喫煙開始は20歳、喫煙本数は20本、喫煙年数は54年である。ブリンクマン指数は1080と高い。皮膚がんのために紹介されて禁煙外来を受診した。この方はすでに63歳時に喉頭がんに罹ったが、放射線治療により幸運にも治癒していた。しかし、その後6か月は禁煙したものの、再び喫煙を開始した。妻は受動喫煙と思われる心筋梗塞にて25年前にすでに亡くなり、皮膚がんの他に慢性閉塞性肺疾患(COPD)にもなり、日常の動作も息切れでままならない状態であった。
次は59歳の男性の例である。喫煙開始は19歳、1日の本数は25本、喫煙年数は40年、ブリンクマン指数は1000と高い。46歳:高血圧、両側腎動脈狭窄、50歳:心筋梗塞、53歳:閉塞性動脈硬化症(下肢の血管が閉塞)、 54歳:出血性胃潰瘍、57歳:一過性脳虚血発作、59歳:左腎動脈狭窄にステント挿入。まさに、頭から足まで次々と血管が詰まって行った状態である。禁煙は入院中のみであった。
禁煙外来をしてみて、このように多くの喫煙関連疾患に次々に罹っているにもかかわらず、禁煙できていない患者に出会うのには驚いてしまった。入院治療が必要であった最初の疾患で、きちんとした禁煙治療をしていれば、次々に起こる病気になることは防ぐことが出来たであろう。また、前者では喉頭がん、後者では心筋梗塞や閉塞性動脈硬化症などの病気が、医学の進歩で治療出来ているにもかかわらず、改善したがゆえにまた喫煙したため、他の喫煙疾患が発症し、医療費が浪費されている。
前者では、配偶者が冠動脈閉塞による心筋梗塞で亡くなっているが、配偶者が肺がんで亡くなることも経験する。喫煙関連疾患の表にもあるように、失明、白内障および加齢黄色斑変性が起こり、喫煙によって視力を失うこともある。高齢になって、自分自身はがんになり、目も良く見えず、孤独で暮らすことになりかねない。
もっともっと禁煙治療を
禁煙するとニコチン切れの症状が出現し、これを離脱症状(タバコが吸いたい、いらいらする等)という。離脱症状がつらいために、禁煙は出来ないと思われている。禁煙補助剤はこの離脱症状を和らげる効果があり、また、医師や看護師のカウンセリングや支援があるので、禁煙外来では禁煙が楽にできるのである。
離脱症状が完全に消失するためには、約3か月を要するために、禁煙治療には3か月をかける。3か月の間に5回の受診が必要である。この5回を受診できれば、ほとんどの方が禁煙に成功できる。受診者全体で見ると、禁煙成功率は6割から7割であり、途中で中断する方が、少しは出てしまう。禁煙外来では、5回受診できるように患者さんを励ましている。
私の禁煙外来で禁煙に成功した方たちの一言である。
@ 意志の弱い私でも禁煙できたから、誰でもできると思う。
A 医師と看護師と一緒にするから大丈夫
B 奇跡だ!
C もっと早く来ればよかった。
D 咳や痰が無くなった。
E 冷えや肩こりが良くなった。
F 性格が穏やかになった。
G 肌の色が白くなって、お化粧のノリが良くなった。
H 若くなったと褒められた。
I 運動しても息が切れない
J 食事が美味しい
K 体調がいい。
L 時間の余裕が出来た。
M 火事の心配がなくなった。
N 隠れて吸っていたので、禁煙できて後ろめたさが無くなった。
O どこでタバコを吸おうかと場所を探さなくて済む。
P 家族にとても喜ばれた。
Q タバコに支配された生活から抜けられて嬉しい。
もっと多くの喫煙者が禁煙外来を受診してほしいと思う。喫煙者の周りの人達が喫煙者にもっと禁煙外来受診を奨めてほしい。禁煙外来の更なる普及によって、前述したような喫煙疾患で倒れることのない社会にしたと思う。
山本蒔子(やまもとまきこ)
1940年秋田県に生まれる。1965年東北大学医学部卒業 東北大学医学部にて甲状腺疾患の研究、診療、教育に携わる。その後1989年にJR仙台病院健康管理センターに赴任し、センター長を務める。禁煙推進のために、1994年日本禁煙推進医師歯科医師連盟に入会し、同時に、宮城支部を設立する。1995年には禁煙外来を東北では初めて開始する。同年から世界禁煙デー関連イベント「世界禁煙デー・宮城フォーラム」を開催し、今年で第20回を迎える。2008年からは組織をNPO法人禁煙みやぎと変えて、理事長を務める。また、2006年に日本禁煙学会の立ち上げに参加し、現在理事を務める。2012年4月には第6回日本禁煙学会学術総会を会長として仙台にて開催した。いくつかの医療機関においていて、禁煙外来を開設し、禁煙治療に従事している。
1940年秋田県に生まれる。1965年東北大学医学部卒業 東北大学医学部にて甲状腺疾患の研究、診療、教育に携わる。その後1989年にJR仙台病院健康管理センターに赴任し、センター長を務める。禁煙推進のために、1994年日本禁煙推進医師歯科医師連盟に入会し、同時に、宮城支部を設立する。1995年には禁煙外来を東北では初めて開始する。同年から世界禁煙デー関連イベント「世界禁煙デー・宮城フォーラム」を開催し、今年で第20回を迎える。2008年からは組織をNPO法人禁煙みやぎと変えて、理事長を務める。また、2006年に日本禁煙学会の立ち上げに参加し、現在理事を務める。2012年4月には第6回日本禁煙学会学術総会を会長として仙台にて開催した。いくつかの医療機関においていて、禁煙外来を開設し、禁煙治療に従事している。