市民のためのがん治療の会はがん患者さん個人にとって、
  最適ながん治療を考えようという団体です。セカンドオピニオンを受け付けております。
   放射線治療などの切らずに治すがん治療の情報も含め、
  個人にとって最適ながん治療を考えようという気持ちの現れです。
市民のためのがん治療の会
患者の食べる喜び守る
『「食べる」を支え続ける(2)』

大妻女子大学 家政学部・島根大学医学部 特別協力研究員
日本病態栄養学会認定「がん病態栄養専門師」 川口美喜子
食事が摂れない、摂りにくいがん患者に、香りの強い真っ赤な食用バラをシロップ漬けにしたバラ水を作ったり、みそ汁なども活用する。飲み込む力の落ちた患者にはパン粥やアボガドのお好み焼きなどを考える。もちろん慢性の炎症と、筋肉の減少を抑える効果のある栄養剤など、高度に研究された最新のものも活用する。
最後まで人間の根源的な「食べる」ということに拘った研究をしておられる研究者がおられることを知り、早速ご寄稿をお願いした。大妻女子大学家政学部教授の川口美喜子先生だ。ご多用の中、現場にしっかりと足を下した、患者に寄り添う思いに溢れたご寄稿を頂いた。
先週に引き続き掲載させていただきます。(會田 昭一郎)
5.患者に寄り添うこと
 がん患者と心の通うコミュニケーションを得ることは難しさもありました。食事についてコミュニケーションが取れるまでに要した期間は(対象:2006年8月から2010年5月に対応したがん患者83名)の調査では、2〜3日31%(26名)、1〜2週間18.2%(15名)、1月以上47.3%(39名)そして半年を要した患者が3.6%(3名)でした。患者さんが看護師や医師以外の栄養士とのと関わりを持つことに抵抗がある方も多くいました。近年、がん栄養療法やがん終末期の栄養療法に関する研究の特集が組まれ、研修会も開催されていますが、栄養士が向きあう教育の場は多くありません。私たちは栄養士が患者に関わると食事摂取量が増量し、適切なサプリメントの活用が栄養状態を維持、良好にすることを明らかにし学会や研修会で発表を続けました。がん患者の心には食に関連した多くの物語があり、患者と共に作り上げたメニューはその形にすることになり、食欲を呼び起こし、喜びとなりました。患者さんとの忘れることの出来ない物語を持つメニューは300種類を超え73種類を本にまとめることができました(川口美喜子、青山広美 がん専任栄養士ががん患者さんの声を聞いてつくった73の食事レシピー:医学書院;2011年)。「がん専任栄養士が患者さんの声を聞いてつくった73の食事レシピ」の発刊は患者さんとコミュニケーションが取れるまでに時間が掛かることを悩んでいた私たちが出会いたかった書籍としてまとめました。患者さんと家族そして医療の各職種の方や栄養士が、食べることに悩んだ時にはこのレシピー集を開いていただければと思います。食欲不振の患者さんにとっては、食べたいものを思い浮かべるヒントとして。医療者の方には、患者さんの食事に対する思いを理解していただく手がかりに。患者の給食や栄養に直接関わる方には、患者さんと共に食べたいものを考えるツールとして。私たちは、がん患者さんの側でどのように対応したらよいのかと苦しみました。少しでも早く食事の苦痛を癒すために役立てばと願いこれまでの体験をレシピ本としてまとめました。


6.患者の想いに応えて
患者さんと家族と共に心身の苦痛を和らげる食事を提供するためにどうすれば良いか悩む日々でした。がん患者さんの栄養管理のために、まず栄養剤や健康食品の有効的な活用を探っていました。患者さんのサプリメント等の依存度を調査したところほぼ50%が入院後も継続使用し、そのうち20%は家族や知人の薦めを断れず安心させたいための利用でした。近年、医療食品会社が開発する栄養剤はとても美味しく食べやすくなり患者も求める傾向にあり、私たちはさらに牛乳や砂糖を加えるなど手を加え好みに調整し、またゼリーや氷にして継続摂取と喫食率を高めました。食欲不振の30代の女性がん患者さんは(グルタミン、オリゴ糖、食物繊維含有パウダー)の氷だけを口にしましたが、食べていることの支えになっていました。でも、「食べる喜び」を支える食事はできる限り食材で調理したい思いが募りました。そんな思いで出会い、夏になると浮かぶ「この夏を越すのは難しい」と告知された花火が大好きな女性患者さん。栄養士のわたしに望むことは「私は若くして最期を迎えます。見送る娘たちのためにもきれいな最期を迎えさせて下さい」とおっしゃいました。越せないと言われた夏になり、女性が好きな花火大会の日。病室からも花火が見られるこの日の夕食には、千切りのキュウリ、ミョウガ、セロリ、ニンジンを花火に見たてた酢の物を出しました。翌年の夏の夜、この女性は美しい最期を迎えられたと聞いています。酢の物を出した日、わたしはとても充実した気持ちがしました。でも、この患者さんに感じたことがこれで良かったのかと考える時間がありました。花火の酢の物は寂しくなかっただろうか。その日の夕食時に病室を訪ねるべきだったのでは・・・・。患者さんの思いに叶っていたのかと。



花火に見たてた酢の物


7.栄養士として食品の機能性を求めて「味噌汁」と食用バラ「さ姫」への想い
食品にはまだ明らかにされない機能性が多くあります。広い分野で機能性の活用に関する研究は進められています。栄養学と食品学、調理学のプロである栄養士が食品の機能性を病院の食事に活用することは大きな目標です。

7-1医療への活用が認められた味噌汁
栄養補給の方法として、栄養剤をチューブに通して直接胃や腸に注入する経腸栄養法があります。特に体力が低下している患者は栄養剤開始時に下痢を発症することが多くあります。静脈に直接点滴を補充する方法もありますが、人の体の免疫力の数10%を保持する腸への栄養は食物や栄養剤が直接腸を通過することで保てます。長期間、胃腸に栄養素が通過しない状況が続くと腸自体の栄養が不足し腸粘膜の萎縮を生じ下痢が起きやすく、腸内細菌やその毒素が血中へ移行し全身状態を悪化させやすくしていきます。しかし、どこの病院でも栄養剤の使い始めは、患者さんが下痢を生じることが多く、この対応に悩んでいます。対応には止痢剤や漢方、乳酸菌飲料の使用、栄養剤をゆっくり入れる、栄養剤の内容を脂肪や繊維を含まない物に変更するなど情報と知識を集約し対応しますが改善困難な症例が多いことが現実です。同室の栄養士が「小さい頃、お腹が痛い時には祖母が温かいお味噌汁を飲ませてくれて治ることがあった。」と言いますので、それを試そうと話題が盛り上がりました。下痢の患者さんのチューブに味噌汁を入れることを始めました。先進医療を誇る島根大学医学部附属病院のスタッフである病棟看護師、医師はもちろんICU(集中治療室)にも味噌汁を使用して欲しいと持ちかけました。栄養士には、このことを疑問に思う気持ちはなく、良いことを思いついたと感じていたのですが、「味噌汁を清潔なチューブに通して、患者さんは大丈夫」と半信半疑のスタッフもいました。効果を真っ先に気づき、「栄養士さん味噌汁良いね。」と声をかけてくれたのは看護師さん達です。味噌汁は栄養剤を入れる後より前が効果的、患者さんにちょっと舐めてもらうとうれしそうな顔をされると情報もたくさん頂き、栄養士も一緒になって治療していることにワクワクしました。また、病棟の主治医と看護師から依頼のあった経腸栄養管理の76歳女性 左側上顎歯肉癌術後の患者さんに会うと、「昨日まで食べ物を口から食べていたのに、形がなく、色も悪く、香りもしない茶色な物を鼻から入れられることが恐ろしい、気持ちが悪い。」と憂鬱なお顔です。一度目は少し投与し2度目は吐き出してしまい、その後は栄養補給を拒否されていました。女性患者さんは体力なく「どうしても鼻から栄養剤を入れることに納得できなくて。」と心細く寂しそうに語られました。「今夜は味噌汁を入れてみましょうか。口から飲むことは数日の間できないですが、チューブから入れる栄養も口から食べる食事も同じですよ。」患者さんの気持ちが落ち着き味噌汁だけを入れることができました。翌日からは、栄養剤も進み無事に口から食べることができて退院となりました。

 「味噌汁」の味、香り、色そして言葉の響きは心と体を休めてくれます。日本古来の伝統の味であり各地域、各家庭に醸造の技法が有り、懐かしい味を思い起こします。このことは、研究へと発展し2010年に大きな栄養治療の学会で賞を頂くことが出来ました。受賞には「食品の機能性に目を向け、その可能性で医療に貢献した」という言葉を頂きました。食欲不振の患者さんに「食べたいものはありませんか」と聞く前にお好みの味噌汁を提供する、それも食事治療だと思うのです。

7-2食用薔薇「さ姫」が患者と家族を癒す
 栄養治療は栄養状態の改善、免疫力などの積極的な治療をすると共に痛みを伴わない心身の治療を実践したい。機能と体力を奪われていく過程で、残された感覚、感性に触れる食を提供したいと思い続けました。そのためには食材との出会いは大きな意義があります。日々その想いを持っていたところ、地元で生産される食用薔薇「さ姫」を知りました。深紅で芳香性の高い「さ姫」を薔薇水に調理し提供し、臭覚、視覚によって患者と家族の気持ちを癒しました。この効果は「食用バラ「さ姫」を用いた病院給食の取り組みによるがん患者の食環境に及ぼす効果について」として、生産者奥出雲薔薇園と島根大学病院栄養治療室との共同研究で実施しました。現在「さ姫」の効果は、大妻女子大学の学生と共に医療・介護現場への発展を目指して取り組んでいます。薔薇香る溶けないアイスクリームなどいくつかの試作品が出来ています。栄養士としての感性で新しい取り組みをしたいと考える日々に患者の声(食の物語)がこのような研究を発展させていきます。



深紅で芳香性の高い食用バラ「さ姫」を薔薇水に


8.小児がんの患者さん「トシ君」に作ったお食事
 4歳の誕生日を目前にした幼いトシ君とお母さんに初めて会ったとき、病室のベッドの上でお母さんはとても暗い顔でトシ君を抱きしめていました。食欲のないトシ君のことを思い家族も医療スタッフもみんなが切ない思いでした。病棟からトシ君がオムライスなら一口二口食べられるけれど毎日夕食にオムライスを出せますかと連絡が入りました。厨房スタッフが引き受けてくれました。夕食にオムライスばかりではと連日キャラクターのプレート食を出し続けていました。7度目の写真のプレート食は最後となり患者の目に留ることはありませんでした。気持ちの沈んだ私たちは、トシ君に出来たことをこれからの患者にもしていこう。そのことが患者と家族に大切なことなのだと感じることができました。私たちは、トシ君のことをずーっと思い続けています。患者さんに寄り添うことの素晴らしさを教えてくれてありがとう。残業で調理してくれた男性調理師が気負わないで言いました「僕に子供ができて入院したら作ってやりたいと思ったから」と。9年間のがん栄養治療は食事と栄養に関わるスタッフの熱い思いを共同で出来たことであり、そのことを誇りに思っています。



キャラクターのプレート食

9.現状の問題点
 食事は暮らしの中に必ずある。生きるためには患者は食べ続けなくてはならない。病院から一歩出た後の食事に大きな不安がきっとある。島根大学病院の再開発時(2012年末完成)には、病院から施設、在宅にどう繋ぎ守るべきか考えました。病院厨房内に日常給食調理に支障をきたさない個別対応部門を設置し、個別の熱源、冷蔵庫とシンクのゾーンで自由に調理できる空間を作りました。栄養士事務所に併設して、新しい料理を考案出来る調理システムを完備した調理実験室を設けました。栄養相談室にも調理実習室を併設しました。アイランド式オーブン付き調理システムを2台導入し、患者と家族が、退院後に揃えるべき調理器具を実際に使用し調理体験ができます。摂食嚥下に障害が残る、頭頸部がん患者ではミキサーを実際に使用して調理を行い、ミキサーの蓋を開ける力が足りないことや、ミキサーの使用に適さない食材に戸惑うなど栄養士が患者から教わることも多くありました。洗いが簡単な調理器具を推奨することも必要でした。患者の語りを聞きながら家庭の様子を垣間見ることができます。そして、どんな調理、調理器具を使用するかなど具体的な提案が可能となりました。在宅で口から食べることを支えるために、病院栄養士は患者を送り出すまで責任を持つべきだと思うのです。
 昨年7月からは教育現場と東京都新宿区都営戸山ハイツの空き店舗に設立された「暮らしの保健室」でがんと共に生きていく方々の語りを聞きながら持てる力を引き出せる栄養治療を目指した対話を行っています。先に目標のない在宅もあります、でも生きているうちはみんな穏やかに生きていたいと願っています。在宅は命の長さよりも限りある生の質を大切にするところであり、普通の生活をより良く生きること、誰もが穏やかに生きることを願っています。最期まで望むように生きられる社会を目指して失われていく機能の苦しみ、悲しみを乗り越えた穏やかな最期を向かえる支援を「食べる喜び」で支えていこうと思います。


10.病院から在宅に向けての取り組み
 病院栄養士が、がん患者の病状に適した栄養治療を実践するためには幾つかの疑問や問題点もあります。がん患者のケアを考えて提供する特別食は保険診療では非加算食であること、がん患者の栄養指導は栄養指導料を請求できないこと、緩和ケア診療加算の職種として管理栄養士が明記されていないことなど管理栄養士の地位と経済的な保険償還には多くの矛盾があるように感じます。現状の病院栄養管理においては「がん患者の専任栄養士配置」は困難とも感じます。でも、私はがん栄養管理に必要な臨床研究と共に患者に寄り添う「食」の支援を継続し客観的評価を出したいと思います。



川口ゼミの学生さんたち
略歴
川口 美喜子(かわぐち みきこ)

昭和56年大妻女子大学家政学部食物学科管理栄養士専攻卒業後、管理栄養士取得
平成5年島根医科大学研究生(第一内科)終了
平成8年島根大学医学部附属病院第一内科文部教官、島根県立看護短期大学講師(非常勤)、平成16年島根大学医学部附属病院栄養管理室室長に就任。平成19年特殊診療施設臨床栄養部副部長、平成24年栄養治療室室長を経て平成25年大妻女子大学家政学部教授、島根大学医学部臨床教授、医学博士

この間、平成17年5月 島根大学医学部附属病院NST(栄養サポートチーム)の構築と稼働、平成17年9月島根県スポーツ栄養研究会を発足、島根県スポーツ栄養研究会会長に就任

資 格
管理栄養士、公認スポーツ栄養士、日本病態栄養専門師、日本病態栄養学会NSTコーディネーター、日本病態栄養学会認定がん病態栄養専師、日本糖尿病療養指導士、島根県糖尿病療養指導士、TNT-D認定管理栄養士、日本ライフセーバー認定資格

専 門
スポーツ栄養、病態栄養、がん病態栄養、高齢栄養治療、食育
所属学会・その他
日本栄養改善学会、日本栄養士会、日本病態栄養学会 代議員
日本臨床栄養協会 評議員、日本静脈経腸栄養学会 評議員
日本栄養アセスメント研究会、日本緩和医療学会、日本糖尿病学会
日本スポーツ栄養研究会、島根県スポーツ栄養研究会会長

受 賞
1) 第33回老年消化器病研究会 優秀賞
   研究課題「複数の栄養剤の混用と半固形化を用いた経管・胃瘻栄養の有用性
   ― 糖尿病合併高齢者での検討―」
2)日本静脈経腸栄養学会 「第10回 味の素ファルマAward賞] 川口美喜子
    研究課題 「味噌を用いた経腸栄養管理の下痢に対する有効性について

大妻女子大学で学生に臨床栄養学を教えることの楽しさを感じています。
月に2度は島根県ではスポーツ栄養の指導を行い、毎週木曜日は東新宿の在宅医療連携拠点「暮らしの保健室」で高齢者、がん患者と家族の栄養相談を行っています。


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