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市民のためのがん治療の会
TPPで激変−医療と食環境
『TPPがもたらす医療崩壊と日本人の健康問題(1)』

北海道医薬専門学校学校長
北海道厚生局臨床研修審査専門員
北海道がんセンター名誉院長 西尾 正道
鶴見俊介氏が亡くなった。7月24日付朝日デジタル版は「鶴見俊輔さん「理解した上で反論を」残した知の指針」と打っている。そう、賛成にせよ反対にせよ、ことは理解してからだ。
今問題になっている安保法制は10法案を一括した「平和安全法制整備法案」と、新法の「国際平和支援法案」からなる11本の法案をまとめたもので、100時間以上の審議といっても理解がどの程度進んだかは甚だ心許ない。
ところでTPPは安保法制どころではない、実に21分野にも及ぶ包括的な交渉分野の多さで、とても十分な理解は、普通の市民には無理な話だ。
米とか豚肉といった農業分野や、自動車関連についてはそれぞれの業界団体などがそれぞれの利害得失を踏まえて必死に運動している。しかしそのほかにも重要な分野については、何がどのように検討されているのかもわからない。
結着すれば21分野セットでそれぞれの分野での取り扱いが決まってしまうが、その中で今後の大きな成長分野である医療分野でも重要な取り決めがなされる。
例えばアメリカのGEはかつては家電品でも世界有数のメーカであったが、既に医療用機器などにシフトしていることからも分かるとおり、医療分野は多くの事業者にとっての狙い目である。(http://www.com-info.org/ima/ima_20140115_kawakami.html
そこで今回は医療分野と食糧分野でのTPPの流れを西尾先生に解説していただき、医療面、健康面にどのような影響を及ぼすかを解説していただいた。皆さんの「理解したうえで反論を」に資すれば幸いである。
なお、本稿は西尾先生が北海道医報平成27年7月1日第1162号に寄稿されたものを、北海道医師会のご了解のもとに転載させていただきました。ご協力に感謝申し上げます。
(會田 昭一郎)
TPPと医療
 2015年は後世の人達から見ればエポックメーキングな年となるかもしれない。「今だけ、金だけ、自分だけ」の社会的風潮の中で、閣議決定も悪用して日本の方向性大きく変えられようとしている。「特定秘密保護法」で情報の隠蔽・操作・管理を画策し、「従軍慰安婦問題」などに見られる歴史の修正、そして「集団的自衛権」の拡大解釈と、違憲でもごり押しして「安保法制」の準備で、きな臭い社会となっている。そして最後の仕上げとして、恒常的な日常生活にも影響を与える「TPP問題」がある。「昔戦争、今TPP」である。
 TPP(Trans-Pacific-Partnership, 環太平洋連携協定)の内容は妥結後4年経過しなければ公表できず、国民の生活に直結するような多くの内容が秘密にされ、「知る権利」も否定されて、米国の経済的植民地化の道を歩もうとしている。全てが秘密裏に進められるTPPとは、憲法21条が保障する国民の知る権利を侵害するものであり、また国民に知られては困ることが満載されているのであろう。秘密裏に21分野にわたって影響すると言われているTPPは、生存権・人格権、知る権利の侵害であり、またISD条項は主権の侵害である。グローバル企業の利益を優先される売国奴的政府の姿勢が論じられることは少ない。
 人間の存在は、現実には社会的な諸関係の総和であり、我々医師は医療という狭い範囲で活動しているが、医療も極めて社会経済的なフレームワークの中で成り立っていることを考えれば、TPPの妥結によりもたらされる日本の医療の変化と健康被害について知り、TPPの妥結を阻止する必要がある。健康を守るための医療と食品問題が大きく影響を受けるからであり、医師会の存在意義が問われる問題なのである。

 報道では農産物や自動車の関税問題などだけが報じられているが、実際にはTPPの最大のターゲットは医療分野であることを認識する必要がある。
 Time誌2013年3月4日号の米国の医療ビジネスを取り上げた特集記事では、米国の医療費が高いことは周知の事実であるが、米国家庭の破産の62% は医療費が原因とされている。また、TPPの締結に向けたロビー活動費のデータでは、米国の製薬会社・医療業界が5300億円、防衛・ミサイル業界が1500億円、製油・ガス関連業界が100億円である。いかに医療がターゲットになっているかがわかる。
 TPPの締結により、日本の医療制度の根幹をなして国民皆保険制度やフリーアクセスや現物給付システムの維持は困難となる。そして確実に言えることは、国民医療費の高騰であり、国民の医療費の自己負担増である。
 現在の日本は薬事審議会で公定価格として薬価を決め、製薬会社に約1.5兆円の薬価の払戻しを行っている。しかし、TPPが妥結されれば製薬会社はISD条項を盾にして自分たちの増益のために薬価上限は撤廃され、製薬企業の言いなりの青天井の価格となりかねない。医療機器・機材も同様である。
 そして医療費抑制に動く厚労省は混合診療の解禁・拡大により、実質的に国民皆保険制度は崩壊し、医療格差は拡大する。国民皆保険制度が維持されたとしても公的保険診療の給付範囲は縮小される。2012年医薬品の輸入額は2兆5000億円を超えているが、この金額は格段に上がることになる。混合診療の足がかりとして2016年4月からは、TPPを見据え、保険外併用療養費制度の拡充と称して「患者申出療養制度」が開始される。
 人口比で比較すると世界一使用されている抗癌剤は分子標的治療薬の開発などにより高額なものとなっているが、日本では公的医療保険の中に高額療養費制度があり、医療機関や薬局の窓口で支払った額が、暦月(月の初めから終わりまで)で一定額を超えた場合には、その超えた金額を支給する制度があるが、国や自治体では支えきれなくなるのは明らかであり、最終的に医療崩壊を引き起こす。ちなみに先駆けて2012年3月に発効した米韓FTAにより、韓国の医療費は2年間で2倍となっている。
 今後は医薬品や医療技術に費用対効果分析の手法を導入して医療の質を考える視点が重要となるが、「金の切れ目が、命の切れ目」の医療となる。
 最近の論文で、大腸癌に対する一次および二次化学療法へのベバシズマブ(商品名:アバスチン)の上乗せに関して、米国における費用対効果分析の報告(2015年4月1日 J. Clin. Oncol. 電子版)が出されている。ベバシズマブは血管新生阻害薬で日本では標準的に使用されている。しかしこの論文では一次治療でのベバシズマブ使用は5万9,361ドル(1ドル120円換算で約712万円)の費用で0.10 QALY(Quality Adjusted Life years, 質調整生存年)の追加があり、完全に健康で1年間過ごせるとした換算では、費用対効果増分比は1QALYあたり57万1,240ドル(約6855万円)が必要となり、また再発例では,約2カ月延命のために3万9,209ドル(約470万円)の費用となり、費用対効果増分比は1QALYあたり36万4,083ドル(4369万円) であると報告されている。医療もグローバル化し、米国の医療を基準とした場合、日本の医療もこうなる可能性を覚悟する必要がある。
 また本年4月の医療保険制度改革関連法の成立により、月収123万5000円以上の人の保険料の値上げや、入院食の段階的自己負担増や75歳以上の保険料の特例軽減措置の廃止などが決まっている。2013年現在、民間のがん保険契約件数は2000万件を突破し、保有契約額は約2.5兆円とされているが、TPP締結後は医療費の高騰に対応すべく民間の医療保険加入者も増加すると思われる。
 こうしたTPPによる医療崩壊を危惧して、北海道医師会も2011年11月9日付で、「TPP交渉の参加に強く反対する緊急声明」を出しているが、内容が秘密のため議論が深まっていないのは残念なことである。このままでは営利を目的とした医療が更に進行することとなる。

略歴
西尾 正道(にしお まさみち)

北海道医薬専門学校学校長、厚生労働省北海道厚生局臨床研修審査専門員、独立行政法人国立病院機構 北海道がんセンター 名誉院長 (放射線治療科)
1947年函館市生まれ。1974年札幌医科大学卒業。 国立札幌病院・北海道地方がんセンター放射線科に勤務し39年がんの放射線治療に従事。
がんの放射線治療を通じて日本のがん医療の問題点を指摘し、改善するための医療を推進。 「市民のためのがん治療の会」顧問。認定NPO法人いわき放射能市民測定室 たらちね顧問。


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