2016年3月、国立がん研究センターは、同中央病院に設置した世界初の病院内設置型BNCTシステムをメディア向けに公開した。このシステムは従来のBNCT装置が原子炉を必要とするのに対し、加速器で中性子を発生させる画期的なものだ。
これを機に、国立がん研究センターでこのシステムの総括責任者であり、主として人体の表層部等の浅い部分しか治療が行われていないBNCTの膵がん等への応用などにも果敢に取り組まれようとしておられる伊丹純先生に、ご寄稿いただいた。
国立がん研究センター中央病院放射線治療科は、株式会社CICSと共同研究で加速器を用いたホウ素中性子捕捉療法システムを開発しています。ホウ素中性子捕捉療法(boron neutron capture therapy, BNCT)は、がん組織に選択的に集積するホウ素製剤を患者に投与し、ホウ素製剤ががん組織に集まったタイミングに合わせて中性子を照射すると、ホウ素を中性子が核反応を起こしてα線とリチウム(Li)が発生し、それががん細胞を破壊するのです。そのα線とLiの射程は細胞1個より小さいため、ホウ素が集積したがん細胞のみが破壊され、ホウ素が集積しない正常細胞は温存されるのです。ところで自然界に存在する通常のホウ素(Boron、元素記号でB)は質量数11の11Bが80%程度で、質量数10の10Bが20%程度の混合体なのですが、BNCTで有効なホウ素は10Bのみでありますので、10Bのみに純化したホウ素を取り出す必要がありBNCTに使用するホウ素薬剤は非常に高価なものとなってきます。また、BNCTに用いられる中性子はエネルギーの低い熱外中性子(10keV:キロ・エレクトロンボルト以下)で、体に照射すると7cm程度までしか体内に侵入しません。ですからBNCTの治療範囲は体の表面に近いところにある腫瘍に限られてしまうのです。また、治療に用いられるだけの十分量の中性子はこれまで原子炉でしか得られませんでした。最近我が国を中心に、加速器で熱外中性子を照射使用という試みが始まっています。すでに住友重機械工業は京都大学原子炉実験所との研究でサイクロトロンベースのBNCT用加速器を開発して、京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)と南東北病院(福島県郡山市)に導入し、現在治験を行っております。その装置では、サイクロトロンで陽子を30MeVまで加速して、その陽子をベリリウム(Be)のターゲットに照射して中性子を得、その中性子を減速させて熱外中性子を発生させるのです。国立がんセンター中央病院では日本のベンチャー企業のCICS社と共同で直線加速器によるBNCTシステムを開発しています。同様に陽子を加速して中性子を発生させますが、非常にコンパクトな直線加速器で陽子を2.5MeVまで加速させ、その陽子をLiのターゲットに照射して中性子を得る方式を採用しています。Liは比較的低い2.5MeV程度のエネルギーの陽子と効率よく反応して中性子を生成します。発生した中性子の最大エネルギーも低いもので熱外中性子にまで減速するのが簡単です。また、中性子の減速過程で発生するさまざまな放射線も少なくなるという利点があります。しかし、LiはBeに比較すると融点が低く、非常に強力なターゲット冷却システムを必要とします。また、BNCT用の直線加速器は非常に大きな電流を必要とするので(陽子線治療ではマイクロアンペア単位の電流を必要としますが、BNCTではミリアンペア単位の電流を必要とし、陽子線治療の1000倍以上を必要とします)なかなか現在まで開発が進まなかったのです。様々な困難がありましたが、昨年11月には中性子照射が開始され、原子力安全技術センターの施設検査も合格し、現在は治験の実施に向けて中性子の物理データ、装置の耐久性などを検査しています。
また、ホウ素化合物としては、10Bを高い純度で含んだBPA(ホウ素化フェニルアラニン)を患者さんに点滴してもちいます。大阪のステラファーマという会社が全世界で唯一信頼おける製造法で製造しています。このBPAががん細胞にのみ集積するということがBNCT施行の大前提です。このBPAに陽電子(ポジトロン)放出物質であるフッ素(18F)を結合させてFBPAという物質を作りそれを患者に注射して陽電子断層撮影(PET)が施行可能です。あらかじめFBPA PET検査を施行することで、BPAががん組織のみに集積することを予測できるのです。同じ扁平上皮癌でも、患者によってBPAが集積する症例と集積が弱い症例があります。事前にFBPA PETを施行することによりBNCTの効果をある程度予想できるのです。FBPA PET検査でがん組織と正常組織のFBPAの集積の比がある値以上であればBPAを用いたBNCTの適応となると考えられています。全例でBNCTで再発なく治療できるわけではないのですが、少なくともFBPAが集積しないがん組織ではBNCTの適応はないと考えられます。
BNCTで放出されるα線やLiは非常に高い生物学的効果を持ち、がん細胞のDNAに修復不能の二重鎖切断を効率に引き起こします。重粒子線などより高い生物学的効果を持つといわれ、通常の放射線で効果が少ない悪性黒色腫、脳の多形性膠芽腫などにも効果があります。しかし、いままで原子炉の中性子に頼っていた治療であり、患者をはるばる原子炉にまで搬送して治療する必要があり一般的な治療とは決して言えませんでした。この原子炉BNCTは主に日本の研究者により連綿と行われ、その貴重なデータはほとんどすべて日本で得られたものです。しかし、残念ながら、原子炉で施行されなければならないというハンディキャップにより多くの患者を治療できず、散発的な症例報告という形の報告が多く、現在の腫瘍学で必要とされる、統計学的に科学的にBNCTの優位性がしめされているわけではありません。そのような状態は、今後加速器BNCTが実現することにより病院設置型BNCTとしてより多くの患者の治療に応用され、腫瘍学におけるその意義が科学的に証明される日も近いと思います。また、国立がん研究センター中央病院に設置されたBNCTシステムでは垂直ビームを用いる世界で唯一の装置です。その利点を生かして術中照射などにも取り組み、6-7cm以上の深部にある腫瘍(例えばすい臓がん)に対してもその治療可能性を追求したいと思います。BNCTが、できるだけ多くの患者さんに開かれた治療となるようにしっかりしたデータを集めて治験にとりくんでいこうというのがBNCT従事者みなの思いであります。
照射室の様子
略歴
1981年千葉大学医学部卒業
1983年ドイツエッセン大学放射線腫瘍科助手
1990年千葉大学医学部放射線医学講座助教授
1991年国立病院医療センター第2放射線科医長
2008年国立がんセンター中央病院放射線治療部長
2010年独立行政法人国立がん研究センター中央病院放射線治療科科長